31歳のキャンパスライフ

31歳、独身、実家暮らし、通信学生社会人の日常日記です。

継続すること、について ‐「ヨガ」と「歩く」‐

こんばんは、さきこです。

 

さて、今日は具体的な静の努力の方法をまとめていきます。

具体的な方法を考える前に、目的を再確認します。

静の努力をする目的は、リラックス状態を作ること、です。

その為に、私に必要なことは以下の2点なんじゃないか、と最近分かってきました。

 

・自分と向き合う時間を作ること

・身体を動かすこと

 

この条件を満たす事を1日の中に組み込んであげると、割と調子が良いです。

現在実践しているのが以下の内容。

 

≪静の努力の具体的な方法≫

・ヨガをする

・ひたすら歩く

 

ヨガは母が以前買ったストレッチメインのヨガDVDを掛けながら行っています。小一時間くらい。朝起きて、ご飯を食べる前に実施。

DVDを掛けながらやる利点は、一度始めると止める事が出来ないところ。スタートもポチッとするだけで始まってしまうので、やる気の出ない日もハードルが低く始められ、何だかんだで最後までやる事になります。やるときの格好も寝巻きのまま、ヨガマットも使いません。

ここでのポイントは、ヨガを極めたい、のではなく、自分の身体に集中できる運動のひとつとしてヨガをする、なので形は何でもいいのです。

ハードルが低いからか、そもそもヨガが好きなのかはわかりませんが、お陰で北海道から帰ってきて約2ヶ月、ほぼ毎日続けられています。

最初は出来なかったポーズも少しずつ形になっているのも嬉しい。逆に、昨日できたポーズが今日はできない、ということもあったりもします。そんな時はどこがうまく動かないんだろう、原因はなんだろう、と自分の身体について考えます。

自分の身体と向き合う時間が持てるのです。

 

ひたすら歩く、は本当にひたすら歩きます。

コースはその時の気分、歩きたい長さ(時間)で幾つかルートを決めています。1時間くらい歩きたい時はこの道、30分くらいで切り上げたい時はあの道というような感じ。

また、外出先の場合はGooglemapで調べて何駅か分、歩いてみたりします。

景色はあまり楽しみません。音楽を聴きながらとりあえず歩きます。

歩きながら色々考えます。今だとこのブログの内容について考えている事が多いかもしれません。その他、この先どうやって生きていこうか、から派生し、どんな働き方をしたいか、どんな家庭を築きたいか、という妄想。また、単純に今日のお昼ごはん何食べようかな、とか、昨日見たドラマ(今は主に逃げ恥)の反芻をしたりとか。

考えすぎて疲れたら、姿勢をやたらよくしてみたり、早歩きしてみたり、身体に集中します。アップテンポな曲をかけてリズムを取りながら歩いていたりもします。

で、その内また何かしら考えたくなってくるのでその相手をします。そうすると、ふっと気になっていた事を思い出したり、自分でも思っていなかった気持ちを見つけたり、ちょっとした悩みの解決方法を思い付いたり、します。

自分の内側に向き合う時間が持てるのです。

 

現状は「ヨガ」と「歩く」を具体的な方法としていますが、きっと生活スタイルが変わるにつれて変化すると思います。

けど、この「自分の身体と内側に向き合う具体的な行為」を働き始めても、誰かと家庭を築いてもちゃんとするようにしたい、と思っています。

ただ、やっぱり不安はあって。ニートで実家暮らしだから出来る事なんじゃないか、とか、時間が贅沢に使えるから出来ることなんじゃないか、とか。

けれど、だからと言って蔑ろにもできない、というかしちゃいけないから。

他の人はこうだ、とか関係なく、私にはこの時間と行為が必要なのです。仕事をする上でも、家庭を築く上でも、絶対必要。

その内また忘れそうだから、忘れてもまたちゃんと思い出せるように書きます。

毎日の中に自分をかえりみる時間をちゃんと作ること、その為の具体的な行動を起こすこと、それを継続すること、を忘れないこと。

 

じゃあ、忙しくなった時、どうやってその時間を作っていくのか。

何度も出てきて恐縮ですが、ちきりんさんの新刊「自分の時間を取り戻そう」を読んで、自分なりに実践してみたいな、と考えた事があるので、次回まとめてみます。

 

≪余談/わたしの好きなBUMPうた≫

今回はちょっと古め「真っ赤な空を見ただろうか」という曲です。こちら、シングル「涙のふるさと(2006)」のカップリング曲です。もう10年も前なのか。この曲、イベント会社1年目の時に、幕張メッセからひとり都内にハイエースで帰ってるときに爆音で聴きながら号泣していた思い出があります。どうした、私。

歌詞というよりかは、メロディとやたらリラックスした感じの藤くんの声が好きです。あと、これ歌いやすいのでカラオケでも気持ちいいよ。

継続すること、について ‐休むことができなくなった理由を考える‐

こんばんは、さきこです。

久しぶりに電車で寝過ごしました。なんか、とても気持ち良かった…ただ、お陰で帰る時間が遅くなり、更にそのお陰で綺麗な空を見る事ができました。遅いと言っても夕方…ニートなので行動時間が早いのです、ご了承ください。

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さて今回は、いつから自然にリラックスできなくなったのか、を掘り下げていきます。

振り返ってみると、3つの期間に分けられました。「自然体期」「後ろめたい期」「もったいない期」です。それぞれまとめていきます。

 

≪自然体期/誕生~中学1年生≫

まず、自然体期はその名の通り、自然にリラックスできていた時期です。本能のまま遊んで、お腹が空いたら食べて、疲れたら眠ってという、いろいろと深く考える前の時期。

 

≪後ろめたい期/中学2年生~イベント会社在職中≫

転機は中学校で入っていた部活です。ハンドボール部でした。昔はそこそこ強かったけど、当時はそうでもなく、入った当初はゆるゆるとした雰囲気でした。

ところが2年生になる頃、ガチで指導できる先生が赴任してきました。部内の雰囲気はガラリと変わりました。練習方法も変わって、朝から晩まで部活をしていたイメージがあります。真面目な私は先生の期待に応えようと必死で頑張っていました。

そして3年生の夏、引退後。ずっと部活をしていた時間がぽっかり空いて、そうしたらよく分からない不安に襲われました。

ほぼ強制されていたような練習の日々がなくなった途端、何もすることがない状態に後ろめたさを感じました。

そのパワーが受験勉強に向いて、当時筆記試験でも倍率が2倍を超える(平均倍率が確か1.2~1.4とかだった気がします)第1志望校に入れたのですが、その時からうまく休めなくなっていった気がします。

高校では部活や体育祭・文化祭の実行委員活動をし、大学ではバイトに精を出し、イベント会社に入社。そこにはびっくりする程働いている人たちがたくさんいました。

今思い返せば、休みの取りやすい雰囲気の会社でした。けれど、当時の私は休むことに抵抗があった。先輩や上司が働いているのに…という思いがあった、というよりかは、働かないと置いていかれるような恐怖感があったのだと思います。

もっともっと働いて、もっともっと出来るようにならなければ、みたいな。

結局、会社というより、そこにいることで自分が陥ってしまう「働かなければ!」という精神についていけなくなって辞めてしましました。

 

≪もったいない期/企画会社在職中~最近まで≫

そうして、私は働く時間がしっかり決められている会社を選んで転職をしました。みんな同じなら、置いていかれることもない。

企画会社に入ったばかりの頃は、他の社員の方同様、ほぼ定時で仕事を終え、平日の夜も土日も全部自分の時間でした。

これで、やっと余裕のある生活ができる、と思ったのも束の間、「もったいない期」が始まります。

せっかく時間があるのに使わないのはもったいない!と、仕事終わりに飲みに行き、土日になれば友達と会う予定を詰め込み、習い事を始め、さらに空いた時間には映画館や美術館に足を運び、2~3ヶ月に一度は旅行に行く、というような生活。書き出しながら、アグレッシブだったなあ、と思います。

仕事のボリュームが小さいうちはそれでも良かったのです。

ただ、企画会社在職中、段々と仕事のボリュームが増えていくのですが、状況が変わってもこのハードなプライベートスケジュールを続けていました。むしろ、仕事のストレスからか、より友達への依存度が高くなり、予定は増えていたかもしれません。

通勤時間も睡眠時間も使って仕事をして、たまに早く上がれても「もったいない」から遊びに行く。そんな日々が続いていました。

そして心が壊れました。転職をしました。初めは注意していたのに結局同じような生活になりました。身体を壊しました。

 

もう、良くない連鎖は止めなければ、そんな思いもあって、北海道に行きました。

周りに何にもなくなって初めて、私は自分が休む時間を作ってなかったんだな、と知りました。やる事を探してもないから、仕方なくのんびりしてみると、とても気持ちが良かった。こういう事を求めていたのだな、とやっと気付いたのです。

今日は天気が良いから太陽を浴びながら本を読もう。今日は雨だから少し手の込んだ料理でも作ろうか。

係わる人は限られていたけど、係わりたいと思えば手が届く範囲にいつも誰かがいてくれました。

生きていくのに、ほんとはそんなにたくさんのものは要らないのかもしれない。

北海道での生活は、最終的に寂しくて帰ってきてしまったけれど、穏やかで、大事な事がたくさんわかる期間でした。

 

都会は、賑やかで色々と溢れています。

楽しい、おもしろい、かわいい、かっこいい、おいしい。

だから、空白ができた時、どれかから選ばなければならない気になる。

でも「何も選ばない」という選択肢もあるんだ。そんな当たり前の事にぐるぐる回って今、私は辿り着きました。

 

ただ、やっぱり溢れている場所にいると引っ張られてしまうのも確かで。

そこにはどうしても努力、というと大袈裟だけど、意識的に行動する必要があると思います。とりあえず、私にはその必要があります。

 

と、いう事で次回は、具体的にどうしていくのか、前回投稿の言葉を借りれば、「静の努力」の方法を考えていきます。

 

≪余談/わたしの好きなBUMPうた≫

今回は「大我慢大会」という曲をご紹介します。最新アルバム「Butterflies(2016)」に収録されています。このアルバムを引っ提げたツアーには参戦できてなくて妄想でしかないですが、これ、ライブでやったら絶対最後の方のコール&レスポンス楽しいと思う!と思っている曲です。歌詞サイトには載っていないのですが、「大声出すのは誰だ(僕だ) 元気になるのは誰だ(君だ)」という掛け合いがあって。ここ絶対盛り上がるでしょ!と思っている。今月末発売のライブDVDに収録されてるみたいなので早く見たい!てか、サンタさん!欲しいです!サンタさん!!…いや、うん、自分で買いますよ。で、特に好きな部分が以下です。

平気な顔してみたって あんまり上手じゃないみたい

元気を出すのは誰だ 最後笑ったのいつだ

涙の意味ってなんだ 考える価値などないか

 忘れた意味ってなんだ 考える価値などないか

考えたくなくても考え込んでしまう。考えたってどうしようもないのに、という時に、考える価値って本当にないのかな?そんなことないんじゃない?と言ってくれている気になるのです。

近年の藤くんはリスナーを引っ張っていきたいんだよ、というような気持ちをダイレクトに歌ってくれている気がして、とても心に響きます。

継続すること、について ‐努力のカタチ‐

こんばんは、さきこです。

cakesに掲載されている、マンボウやしろさんと能町みね子さんの記事で、なるほど!と思ったのでご紹介します。恋愛市場におけるブサイクの生き方について。はっ!としたのが以下の部分。

①男に生まれて男として生きる人。

②女に生まれて女として生きる人。

③人間として生まれて人間として生きる人。

 

①×②の相性はいいんだけど、③のタイプは③同士でしか合わない。①×③とか、②×③はうまくいかないんですよ。それも分かってきたのが大きい。

https://cakes.mu/posts/14572

 

何だか妙に納得して、心が楽になりました。ちなみに私は③タイプだと思います。

そうか、人間として生きる人を探したらいいのか。

 

さて、本文とはあまり関係ない前段になりましたが、今回は「努力」のお話です。

前回の末尾で多面性と書きましたが、大きく分けると2つの努力の形があると私は考えています。

それは「動の努力」と「静の努力」です。

 

《動の努力》

・力をかける ・集中する ・近くで見る

・グッ!とか、ガッ!とかの効果音が似合う

・誰が見てもわかりやすい

 

《静の努力》

・力を緩める ・弛緩する ・遠くから見る

・ふぅ~、とか、はぁ~とかの効果音が似合う

・一見ダラダラしているように見える

 

一般的な「頑張る」=「動の努力」、「リラックスする」=「静の努力」なイメージです。

リラックスする、という表現に「努力」は似つかわしくないかもしれません。しかし、自分でもわからない内に動の努力スイッチが入りっぱなしになってしまう私にとっては、リラックスするのにも努力が必要なのだな、と最近感じます。頑張る事もリラックスする事も、私にとっては何がしかの努力が必要な事項なのです。

そう言うと、常に努力しないといけないなんて、しんどい人生だな、と思ってしまう。

けれど、そうじゃないんです。

 

例えば、頑張り過ぎてしまってしんどいとき、友達や家族に相談すると「そんなに頑張らなくていいんだよ」「もっと気楽に考え、リラックスして」と言われます。

もっともな答えだし、心配してくれて、とてもありがたい。

けど、その状態に陥っている時点で、十中八九、私は「気楽に」とか「リラックスする」がどうしたら出来るのかわからなくなっています。

力を抜けばいい、と言われても力加減がわからなくなっていて、0か100しか判断ができない場合もあります。パンパンに張り詰めている状態から全ての力を抜くのはとても怖いです。常に活動状態の自分の思考を止めるのは、自分の意識を手放す=自分がなくなってしまうような気がして躊躇してしまいます。

けれど、それも「努力」として考えれば。同じ「努力」を、動から静に変えるだけだ、と考える事ができる。自分を保ったまま対応する事ができるような気がする。

結果、緊張状態からリラックス状態に移行ができ、自分自身も楽になれる。楽になるための努力をすることは、行為自体はしんどいかもしれないけど、自分を休める結果に繋がる。

屁理屈みたいですが、こうして考えると、いつでもリラックス状態は自分で作れるんだ、という安心感に繋がるのです、私の場合。図式化するとこんなイメージです。

 

●「努力」⇒「力を抜く」は難しい

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●「動」⇒「静」へと努力が向かう方向を変える

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今まで私は、動の努力ばかりしてきました。

静の努力が必要な場面では、とりあえず仕事以外の時間を確保する、という環境要素で対応してきました。それ自体は正しい判断だったとも思いますが、作った時間の中で心身を休ませていたかと言えば正直違うことの方が多かったと思います。

けれど、休むことも努力なのだとわかった今は、時間を作った上で静の努力をしていこう、と思い少しずつ行動しています。まだまだ、うまくいかないことも多いですが。

 

何かを「継続」したいと思ったとき、動と静の努力をバランス良く使い分ける必要があります。その為に、具体的な静の努力の方法を考える必要がありそうです。ただ、その前に、子どもの頃は私も、静の努力などと考えなくてもリラックス状態になっていたはずだと思うのです。

一体、いつからリラックスがうまくできなくなったのか、具体的な方法を考える前に、そうなってしまった根本を次回、掘り下げてみたいと思います。

 

≪余談/わたしの好きなBUMPうた≫

今回は、「透明飛行船」という曲です。アルバム「COSMONAUT(2010)」に収録されています。

この曲、企画会社時代、行き帰りの電車でやたら聴いていた思い出があります。2番以降の歌詞が全部好きなのですが、長すぎるのでその中でもさらに厳選して好きなところが以下の部分。

多分平気なふりは人生でわりと重要なスキルだと思う

多岐に渉り効果示すので使用頻度もそれなり

大丈夫じゃなくて当然の社会

貧乏クジ引いたわけじゃないんだよ

ずっと平気なふりに頼って嘘か本音か解らなくて

もっと上手に生きていましたか飛行船が見えた頃の事

バラードではないところも良いのです。そして、大サビに向かう前のところで「ほら 思い出してよ」という歌詞があるのですが、その部分、楽器が抑えられていて、藤くん(ボーカル)の良い声が強調されていて、イヤホンで聞いてると、耳元で囁かれている感じがしてかなり萌えます。

最近、ちょっと強がっちゃってるかも…という方、是非に。

継続すること、について ‐苦手な原因をもう一度掘り下げてみる‐

こんばんは、には少し早いかな。どうも、さきこです。

この「継続」シリーズ、しばらく続く予定なのですが、いかんせん書くのがしんどい。

という事で、今回から自分へのご褒美作戦を実行してみようと思います。詳細は余談で。

 

まずは、今まで「継続」ができなかった理由を掘り下げていきます。

前回、「継続」の優先順位が自分の中で低かった、という理由を上げました。その他で考えられるものをあげてみます。

 

≪「継続」できなかった理由≫

・常に全力で取り組んでしまい、持続する体力がない

・自分ができるMAXの仕事量でスケジュールを組んでしまう

・適度な休息の取り方がわからない

 

上記に如実に表れているように、私は短距離全力疾走型です。

しかも休憩の仕方もわからないとなると、そりゃ続ける前に壊れてしまいます。

そもそも何故、全力疾走してしまうのか。

それは、楽しいからです。あ、マゾとかでなくて(いや、その気質は十分にあると思うけど)。

最初の段階って、一生懸命やればやるだけ目に見えて出来るようになりますよね。その出来るようになっていく過程が楽しくて好きなのです。

ただ、成長はどんなものでもあるレベルまでいくと、その成長率がガクンと下がってしまう。以下の図のような感じです。縦軸が成果、横軸が時間です。 

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これを学習曲線と呼ぶそうです。

ちきりんさんの新刊「自分の時間を取り戻そう」から得た知識なのですが、Google先生はまた別の曲線を出してくるので、いろいろな解釈の仕方があるようです。ここでは図のようなちきりんさん解釈でいきます。

図でいうP点に達した時、今まで私はa期間の伸び率をb期間でも再現しようと試みていました。図式化するとこちら。 

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膨大な時間を投入することで、なんとか伸び率の維持を図りました。

しかし、伸び率は一応上がるにしろ、a期間とは比にならないくらいの時間がかかり、どんどん疲弊していきました。そして疲弊の末、退職。

同じことを繰り返さないように取った解決策が、違う分野、職種へ足を向けることでした。「ここが、ダメだったのだ」という判断をしたのです。

ただ、先に述べたように、この成長曲線は分野、職種どうこうの話ではなく全てのジャンル、それこそ仕事だけじゃなくて人間関係や趣味にも当てはまるような事です。

間違った判断のもと、根本を理解せず仕事を変え続けても同じ結果を繰り返すだけ。事実として2社目での反省を活かせず、3社目でも同じ辞め方をしています。

今回の転職活動期間中に、「学習曲線」を知れてとても良かったです。この曲線を理解した上で私が目指す仕事の仕方は以下のようなもの。 

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P地点に到着した時点で、その目標に関しては執拗に完璧を追い求めず、その地点を0と考え、そこから繋がる次の目標を掲げる。

次の目標は、今までしてきた仕事を取捨選択してよりスピーディにこなす事かもしれないし、今までの経験をベースに新しい事に取り組む事かもしれない。

何にせよ、ひとつの目標で「完璧な成果」を目指すのではなく、幾つかの段階的な目標の連鎖で「大きな成果」を出していきたい。

その為には、P地点まで来た時に、自分の意思で線を引くことが必要です。気付きは外部からあるかもしれませんが、そういったアドバイスなどの情報も含めて、自分が判断していく。そうして厚みある成長が出来たらいいな、と。

ただ、これ、目標の細分化って、マーケティングの基本だったりしますよね…。ここまで書いて分かったけど、私、自分のマーケティング全然できていませんでした。

 

論理を実際に行うには結構なパワーが必要です。けれど、実践してみたいな、と思っています。

その為には中長期的な展望と、そこに達するための目標設定が必要となってきます。また、今までのような、とにかく一生懸命やる、という努力の方法では難しい局面も出てくるでしょう。

では、どのような努力の形が考えられるのか。

次回は、「努力」の多面性を考えていきたいと思います。

 

≪余談≫

さて、自分へのご褒美タイムです。それは、余談で好きな事について深く考えずに書く!という事で、「継続」シリーズの間はBUMPの好きな曲紹介をします。大いに読み飛ばしてください!

ちなみに、私はファンと言っても聴き始めたのが「天体観測(2001)」くらいから、ライブに行くようになったのが「COSMONAUT(アルバム/2010)」以降なので、メジャーになった彼らからしか知りません。ガチBUMPer(BUMPファンの意)からすればにわかです。

前振りが長くなりましたが、今回は前回の冒頭で触れた「firefly(2012)」です。こちら、ドラマ「息もできない夏」のED曲でした(ドラマ、私は見てません)。

この曲、私は「しんどいけど頑張りたくて、けど頑張ったけどうまくいかなくて、でも頑張ったんだよ、私…!」という気分の時に聴きます。慰めてほしい、というか、認めてほしい、というか、なんというか。特に下記の歌詞が好きです。

一人だけの痛みに耐えて 壊れてもちゃんと立って

物語はまだ終わらない 残酷でもただ進んでいく

おいてけぼりの空っぽを主役にしたまま 次のページへ

壊れちゃってみっともなくって、終わりにしたいけどできない状況にいる時、「それでもちゃんと立っていて偉いね」でも「頑張っている君を知っているよ」でもなくて、ただ、事実だけの歌詞。それが、なんか、うわーって来るんです。

師走の追い込みで戦っている皆さん、心が苦しくなった時に、是非。

継続すること、について ‐プロローグ‐

こんばんは。さきこです。

私はBUMP OF CHICKEN というバンドが好きです。

それは彼らの音楽性とか、歌詞の内容とか、メンバーのキャラクターとか、いろいろありますが、結局は「ずっと聴いてるから」が一番強い理由なんじゃないか、と考えています。

ずっと聴いている強み、それは

 

・曲と共に思い出がある

・一緒に成長している感がある

 

ということです。高校生くらいからずっと聴いていて、だからそれぞれの曲に、その時の自分が思い浮かんだりする。

「Stage of the ground」初めて聴いたの高校の多目的ホールの袖だったなあ、とか、「firefly」聴きながら会社の帰り道、頑張るんだ!ってよく泣いてたなあ、とか。曲を聴くとその時の自分を思い出して、懐かしく思えるのです。

また、ずっと見ているから、彼らの音楽が変わっていく様もわかります。それが嫌だと言うファンもいますが、私は肯定的に捉えています。何のために生きているのか、的な歌詞から、生きているって最高だ!と言い切った時は、藤くんの成長っぷりにすごく感動しました。誰目線や。

初音ミクとコラボしたり、最近の新曲シンセ使ったピコピコ系でチャマ(ベース)がギター持ってリズム取ってるだけの時は突っ込んだけど。でも今はどちらも好きな曲です。)

まあ、好きだからずっと聴いている、とも言えるのですがね。

 

さて、前置きが長くなりましたが、今回からは継続する力を身に付けたいな、というお話です。

私は今までの人生で、あまり「継続すること」に重きを置いてきませんでした。どうしてだろう、と考え込んだらびっくりするくらいまとまらなく、またも全然書き進まない。ので、とりあえず、今の自分があがけるだけの事をしてみようと思います。

 

まず、「継続」のメリット、デメリットを考えてみます。一般的、というよりは私のイメージです。

 

≪メリット≫

・知識が深くなる ・経験値が多くなる ・信頼関係が築ける

・その分野での更なる発展を考えられるようになる

 

≪デメリット≫

・その分野以外の知識や経験が得られない ・飽きてしまう

・途中から惰性が生まれる可能性がある

 

この「惰性」というイメージが何となく強くて、惰性になるくらいなら無理して続けなくても良いのではないか、と思っていました。まあ、惰性になる前に精神か身体を崩して辞めていますが。

なので、私の中で「継続」は優先順位の低いものでした。それよりも、より早く仕事を覚える、より速く仕事を処理する、といった「はやさ」に重きを置いていました。

「はやさ」も必要な要素ですが、はやければ続けなくていいのか、と言ったらそれは別の次元のお話で。その辺りをあまり理解していませんでした。

仕事ができる、できないの基準は、いろんな要素から判断ができます。けれど、私は物事の多面性を最近まであまりちゃんと理解していなくて、仕事ができる=はやさが全て、というロジックのみで生きてきたように思います。

 

では何故、今になって「継続」という要素に目を向けるようになったのか。2社目、3社目と病気が理由で退社し、もういい加減ちゃんと働き続けたいから、という理由もありますが、それよりももっと大きな理由が以下の2点。

 

・継続している人が格好良いから

・継続していると、より大きな成長につながるから

 

特に「格好良いから」は結構大きな要因です。格好良いんですよ、単純に、見ていて。

私は今年31歳になる年齢です。社会人9年目。同い年の子で新卒から今まで同じ会社で働き続けていると、10年近く同じ会社にいることになる。

特別大きな業績を残しているわけではないかもしれない。良いことよりむしろ嫌な事が多かった10年かもしれない。

それでも、良い時も悪い時も投げ出さずにずっと居続けているって、本当にすごいし格好良い。私もそんな格好良さが欲しいな、と思ったのです。

また、当たり前の事ですが、継続しているという事はそこにベースができること。新しいことに挑戦しても全く別の分野であれば0ベースですが、継続している分野であれば、更に上が見えるようになります。

単純に同じパワーをかければ、どんどん上がれる、という訳ではないにしろ、そういった登っていく成長をそろそろしていきたいな、と思いました。

 

●同じ分野で新しいことにチャレンジした成長率 

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●違う分野で新しいことにチャレンジした成長率 

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と、なんだか当たり前のことをぐだぐだ書いてしまった気もしますが、「継続力」を手に入れるために私は今後どのような事に気を付けていけばいいのか、を何回かに分けてまとめていきたいと思っています。

次回は、そもそも今まで継続できなかったのは何故なのか、を考えていきます。

 

≪余談≫

今回書きながらずぶずぶと泥沼に嵌っていく感覚があって、久しぶりに企画書が全然書き進まない感覚を思い出しました。しかもそういうときって出来上がりがチープ…いや、いいんですチープでも。このブログは続けるためにあるんだから。…でも、もうちょっと効率的に良質なものが作れるようになりたいです、がんばる。

こんな日も、あり

こんばんは。さきこです。

悩んでおります。全然書き進まんのです、ブログ。

だからと言ってネタを探さなきゃ!と焦っているわけでもなくて。いや、そもそも前回、「次回に続く!」的な感じでしめたんだからそれ書けや、というお話なんですけどね。

けど、前回のブログ読み返して、なんか、あんま面白くないなあ、と。持っていく方向に向かって書いているだけ、というか、整理ついてないことまで、こうしたら収まりが良いかなって方向でまとめているというか。

なので、今回はまとまりない感じでまとめようと思います。なんのこっちゃ、ですね。まあ、そんな時もあっていいさ。

 

ただ、テーマは前回から引き継いで「母性」について、にします。今回書かないと来週まで引っ張る形になるんです、私の予定上。それは面倒くさい、けど飛ばすのはなんか嫌だ、という訳で無理くりまとめます、「母性」。

 

そもそも、母性が強いよって言われても正直あんまり良くわからない(前回、何やかんやまとめた癖に何を言う、って感じですが)。

誰かが自分のしたことで喜んでくれるのは嬉しいけど、そんなの人間の本質なのでは?てか、犬とか猫だって相手を気遣うじゃん。群れで行動する動物の本能的なもので、特別多い気もしないというか、どちらかというと自分の事ばっかり見て生きてきたと思うんですよね。

この人といると「私が」楽しいから一緒にいたい、あの人と話すと「私が」落ち着いた気持ちになれるから会いたい、とか。「私が」が起点。

 

だけど、人が好きなんだな、とは感じます。むしろこんなに好きだったのか、と。これは北海道で知り合い断絶の5ヶ月を過ごしたお蔭で見えてきた事で、ちょっと驚きでもありました。

それまで、どちらかと言うと、私は自分が人間嫌いだと思っていました。

自分のコンディションが悪いと人に会いたくないし、コンディション良い日って限られてるし、みたいな。けど、これって裏を返せば、人と会うなら最善のコンディションで楽しみたい!という事だった、の、か?いや、なんか違う気もするけど。

 

以前、「私はどうやら物欲がないようだ」と書いたのですが、この事に気付いたのもハローさんとの面談を始めてからです。

ワークの中で、整理整頓が好きだし得意、という話になって。それは情報とか状況のような目に見えないものもそうだし、物理的にお掃除が結構好きなんです。実際、要らないものはバンバン捨てちゃうし、思い出の品とかもできるだけコンパクトに、例えば、かさばるものは写真に撮ってデータ保存して捨てちゃうとか、しちゃいます。

後々、あーあれ捨てちゃったのか、と思うこともあるけど、まあ、無いならないでしゃーないな、と割り切れます。

そんな話をした時に、「へえ、物欲ないのねえ」とハローさんに言われて初めて意識しました。自分にとってあまりにも当たり前な事って、本当に気付きにくいですよね。私が鈍感すぎるだけかな?

 

じゃあ、逆に手放せないものって何だろう。ハローさんに聞かれて振り返ると、それが人との関係でした。

着心地の良い服もおしゃれな雑貨もおいしいごはんもそりゃ全部ほしいけど、でも、ひとりぼっちでそれら全部があっても全然うれしくないかもなあ。

かといって、いつもいつも人に囲まれていたいわけではなくて、その時その時に会いたい人がいる、という感じです。会っている時間を本当に楽しく過ごしたいから、逆に一人の時間は絶対必要だし。

だから、寂しがり屋、というか、人が好き、なのだと思います。

そうなってきた、の方が正しいかな。昔は闇雲に人に会っていたし、いつもいつもどこかで寂しかったような気がするから。

 

人が好き、は母性とちょっと違う気もするけど、好きだから気遣いたいって思うし、どうせなら相手のプラスになるような関わり方をしたい。

そんなに壮大な事でなくて、一緒にいてちょっと楽しい、とか、いつもより笑う回数が増える、とかそんなんでいい。

 

だから、仕事でも、相手の笑顔がたくさん見れるようなものがいいな、と思います。全ての仕事の根幹はコミュニケーションだから、そんなの全部の仕事で言えるのかもしれないけど。

でも、一緒に仕事をすることを通して相手の人生に少しでもプラスになれる人でありたいな。私の人生には、そういう人が、本当にたくさんいたので。

その方々に直接返すには、もう、ちょっと距離があるけど、もらった分をこれから出会う誰かに返していきたいな。

 

やっぱり、まとまらないですね。けど、書いていて楽しかったです。

読んでいて楽しいものでもあるといいなあ。

 

さて、次回からは私の苦手な「継続する力」についてまとめていく予定です。

とても苦手な事なので、今後また暴走した時に振り返れるよう、予定通り書くつもり。がんばる。

 

≪余談≫

今日は、特になし。こんな日も、ありですよね。

「君のため。」という名の自己満足

こんばんは。さきこです。

今回、余談が長くなっちゃたので早速本題に入ります。

 

さて、ワークの内容とは少し脱線しますが、今回は「母性」のお話です。

私は2社目、3社目を退職する際にメンタルクリニックにかかっています。どちらも診断は軽度の適応障害で、薬の処方はなく、まずは休養をとるようにと言われました。

2社目退社後、通院していて状態が良くなってきた時に、先生から簡単な性格分析テストを受けてみる?と打診されました。治療の一環、というよりかは、今後の為に自分の性質を客観的に知っておくのが良いのでは、という意図からです。

その時の診断を、もう詳しく思い出せないのですが、ひとつだけ強烈に覚えていることがあります。それは「母性が満点」という結果でした。

このテストは満点を取ったから素晴らしい、ということのではなく、平均に比べてその性質が強い、という事実を表すものです。確か、「母性」と対になる「父性」の点数が平均より少し下だったので、私は人よりも「母性」に偏っている、と言えます。良いとか悪いとかではなく、そういう性質だよ、と。

 

そもそも母性、父性とはどのようなものなのか。

父母という言葉が入っていることから分かるように、親が子どもの成長を支えるために与える力や接する態度の事のようです。

 

母性:欲求を受け止め、満たし、包み込むような力

父性:欲求を耐える事、社会の規範などを教え、社会に適応できるよう導く力

 

母性がある人、というと一般的に良いイメージがあるように感じます。けれど、何事も度が過ぎると悪影響を及ぼすことがある。そこで、メリット・デメリットを考えてみました。たくさんあると思いますが、幾つかあげてみます。

 

≪メリット≫

・気遣いができる ・やさしく接することができる

・他人の感情に共感することができる

 

≪デメリット≫

・自分よりも相手が望むことをしようとする(自己犠牲)

・お願いされると断れない(利用される可能性がある)

 

この診断を受けた時、仕事量がパンパンに膨れ上がってしまった原因はこの「母性」なのだ、と思いました。急な仕事でも、困っている相手をみると「やってあげたい」という気持ちが顔を出し、自分の時間を切り詰めてでもやろうとしてしまっていたな、と。もちろん、頭ではそれが良くないことだと分かっていたし、繰り返しそういう状況に陥っていたので予防線を自分なりに張っているつもりではいました。けれど、ちゃんと出来ていなかったなあ、と改めて反省しました。ちょっとずつの「無理!」の蓄積が最終的に強制終了(退職)に繋がったのだ、と判断したのです。

 

けれど、ハローさんにこの話をした時、それは違うんじゃない、と指摘されました。本当に相手の為を思うのなら、退職しない方法を考えたはずでしょ、と。短期間でたくさんの仕事をこなせたり、クオリティを着実に上げてくれることも嬉しいけど、急にいなくなられたら元も子もないじゃない。

もう、ほんと、おっしゃる通りで、今までの上司とかクライアント様とかめっちゃ思い浮かんで謝罪の気持ちでいっぱいになりました。

確かに最初は、困っている人を助けたい、という母性からかもしれません。けど、じゃあその人の困り事は、私が私の何かを削って私一人で頑張らないと解決できないものだったのかな。

答えは否。面と向かって「さきこさんが直接作らなくてもいいからね!」と念を押されたこともありました。社内の状況もあったけれど、だったら外注に出すとかその他の選択肢もあったはずです。それを勝手に抱え込んで、苦しんでいた。何故か。

誰かの為に一生懸命になっている「自分」が好きだったから。頑張っている状態の「自分」が気持ちよかったから。自己満足する為に他人を言い訳にしていたんです、私は。最悪やん。

 

ただ、目の前の困っている人を助けたい、この人が嬉しいと思うことをしたい、というスタートの気持ちは本物です。そういう気持ちが私を動かす原動力になっているのは確か。

なので、今回の気付きを本当に納得して、反省して、次に繋げたい。

私の性質である「強めの母性」を活かして何かできる事はないかな、というようなことを次回整理していきたいと思います。

 

≪余談≫

みなさん、見てますか、「逃げ恥」。視聴率もずっと良いし、Twitterでもトレンド入りしちゃう程らしいですよ。ミーハーな私も例にもれず見ております。

もう、ビジュアルが、私的に神なんですよね。ガッキー可愛いし、星野源好きだし、恋ダンスの振り付けMIKIKO先生だし、舞台は横浜だし。

ただ、それだけじゃなくって、自分とシンクロする部分が多い気がして。

自分にとって本当に大事なことは何なのかを考えてみる、とか、とは言え、自分の事ばかりになっていたんじゃないか、と思い知るとか。

トレンド入りするという事は多くの人の共感を得ているってことでもあって、みんな同じような壁にぶつかっているのだなあ、と感じます。そしてその解決方法のひとつを示しているのが、先日余談で書いた、ちきりんさんの新刊だったりして。

今、多くの人が悩んだり、解決したい!って思ったり、そこに向かってちょっとずつ努力している事って同じことなのかもなあ、だからいろんなジャンルの人が同じようなテーマを扱っているのかもなあ、と思う12月初めの夜でした。

ちなみに今回、記念すべき20回目です。結構、頑張っている、私。読んでもらえて、とても嬉しいです。ありがとうございます。