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ジャスサー女子のジョブさがし。

30歳、独身、実家暮らし、無職の就職活動日記です。

本人が、そう見せたいと決めたその世界こそが、私と相手の作る嘘のない世界

こんばんは。さきこです。

引用タイトル第2弾。(これ、どこまでOKなんだろう。アウトな時はご指摘ください!)

ハチ公の最後の恋人吉本ばなな)」の一節から引用しました。

 

 本当についた嘘よりももっと悪いことは、自分の考えで人を動かそうとすることだ。たとえよかれと思っていたって、そしてどんなに軽くても重くても、罪は同じだ。他の人の考えがいつの間にか自分のつごうがいいように変わるように、圧力をかけるなんて恐ろしいことだ。

 本人が、そう見せたいと決めたその世界こそが、私とハチの作る嘘のない世界。ハチにはインドのお坊さんの衣装、私には金の冠が、夜は終わらず、なによりも美しいアメジストの夜明けがやってくる、この部屋の世界。(「ハチ公の最後の恋人吉本ばなな)」より)

 

ここだけ読んでも、なんのこっちゃ、って感じでしょうが、好きなので前後もご紹介。特別有名ではないけれど、何故か好きで何度も繰り返し読んでいます。音読しちゃうくらい好き。あ、けど、この作品に限らず吉本ばななさんの文章は音読していて気持ちいいですよ。おすすめ。

 

さて、「本人が、そう見せたいと決めた世界」とまで強く思わなくても、日常の中で、接する人によって対応が変わることは良くあるお話です。いい、悪いではなく、恋人に見せる顔と友達に見せる顔が違うように、全ての人に開けっ広げに同じ対応の人の方が珍しいのではないでしょうか。

例えば、身近な人に何かの相談をするとき、その内容が自分にとって重要であればあるほど、より信頼している人になると思います。それは、一概には言えないけれど、付き合いの長い人になると思っていて。で、付き合いが長いと、いろいろと思い悩んでいる時期や、あまり積極的に話したくない過去も近くで見ていたりするから、お互いに「わかるよね」という暗黙の了解というか、甘えみたいなものがあると思うのです。

けど、たとえ近くで見ていたって、事象はわかっても、その時の本人の気持ちはわからない。そして、事象もあくまで「周囲からの認知」です。だけど、なまじ知っているから「わかった風」で話を聞き、アドバイスをくれます。これも、いいとか悪いとかじゃなくて、自然にそうなっちゃうよね、というお話。

何が言いたいかというと、身近になればなるほど、「その人から見た私バイアス」がより強くかかったアドバイスになるのではなないかな、という事。さらに、思ってくれるからこそ熱が入り「そんなんだからお前はダメなんだ」と。けれど、じゃあその人は私が仕事をしている姿を見たことがあるんだっけ?恋愛中の私のリアルなところを知っているんだっけ?と冷静に振り返れれば良いのですが、私の場合は「ああ、そうだよなあ」とただ凹む、もしくは「そんなことないもん!ぷん!もういい」と拗ねる傾向にある気がします。

なので、ハローさん(ハローワークのキャリアカウンセラーの方、の略称)のところに通っているのです。はあ、長い説明だった。

 

ハローさんと話していて、今のところ感じるメリットは以下のような感じです。

 

≪ハローさんに感じるメリット≫

・過大でも過少でもなく、自分のキャリアの等身大に近い評価が見える

・自分でも気付かなかった自分の傾向がわかる

・自分が今まで使ってこなかった素敵な表現に出会える

 

例えば、企画会社にいた時、私はマーケティングの基礎知識がないのに仕事をしている自分が恥ずかしかったし、許せなかった時期がありました。在職中も、辞めてからもどこかで引っかかっていた。勉強もしていない人間が偉そうなことを言っていいのだろうか、と。勉強していようがいまいが、私が作った資料は仕事としてお金をいただける価値があったのも事実です。けれど「勉強していない」ことに私はこだわっていました。

その事をハローさんに話した時、彼女はこう言いました。「マーケティング知識がないってことは、理論で固められたものでなく、先入観を持たない見方ができたってことですよね。それって勉強した人にはできない事なのでは」と。慰める感じもなく、ただ事実として言っている、という口調で。

「勉強していない」自分を責めていた私にとって、すごくうれしい言葉でした。そして同時に、そういう見方もできるよなあ、と過去の自分をもっと引いた視点から見れた瞬間でもありました。自分のこととなると、とかく視野が狭くなりがちなので気を付けよう、と実感しました。

 

また、今まで私は良く「みんなは普通にできるのに、当たり前のことをどうして自分は出来ないんだろう」と思っていました。なので、それが段々と出来るようになってきた時も「私もやっと普通に、当たり前なことを出来るようになってきた」と感じていました。ただ、この「普通」「当たり前」に近づくって、それまでの自分を「普通以下」「当たり前のこともできない未熟者」と言っているような、少し嫌だけど事実だし仕方ないか、という感情を抱いていました。

ハローさんと話している時も、同じような会話が出てきました。その時に言ってくれたのが、「さきこさんも、自然に出来るようになったんだね。よかったね」でした。

些細かもしれないけど、私にとってすごく発見だったのです。「普通、当たり前」⇒「自然に」と言い換えるだけで、プラス思考の言葉になるというか。うまく言えないのですが、

 

・普通、当たり前:マイナスからやっと0地点に立てた(相対評価

・自然に:0の状態から少しプラスに進んだ(絶対評価

 

という感じ。言葉の違いで、こんなに心の持ちようって変わるんだ!というくらい私にとっては発見でした。そして言葉が変わると、自然に考え方も変わってくる不思議。私が単純すぎるのか?

 

自分が普段接している人、特に仲が良い人というのは、居心地の良い会話ができるような人、つまり同じような言葉を使う人が多くなる気がします。ハローさんは、私の中でそういうカテゴリーとは違う方なので、自分が今まであまり接してこなかった言葉に触れる良い機会になっています。

そして、何よりハローさんはキャリアカウンセラーのプロなので。私以外にもたくさんの求職者を見て、声を掛けてきた方なので、その方面の知識や語彙力が違います。さすがです。

 

そういう、いろんなメリットを通して、なんといっても「肯定的に転職活動に打ち込める」事が何よりもハローさんと進めて良かったな、と感じる瞬間です。今日も面談だったのですが、終わった後とても肯定的な気持ちになり、天気も良かったし、いろいろ思案しながら気付いたら2時間くらいご機嫌に歩いていました。

いやいや、とはいえ、あなたもう30歳でしょ、肯定的意見ばかりじゃなく否定的意見にも耳を傾けないとだめよ、という声も聞こえてきそうですが。肯定的に進めても、否定的に進めても、進む速度ってそんなに極端には変わらないと思うのです。

だったらなるべく肯定的に捉えて、楽しくご機嫌に、調子には乗らず着実に、歩いていきたいなあって今は自然に、そう思います。

 

≪余談≫

冒頭で吉本ばななさんの事を書いたら、案の定読みたくなってお風呂で音読してしまいました。のぼせた…。