アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

「憧れ」と「望み」

こんばんは。さきこです。

寒いですね、急に。明日、本当に関東でも雪、降るのかなあ。

 

さて、少し脱線になりますが、先週末参加した2つのイベントでひらめきのような発見があったのでまとめてみようと思います。まずは、それぞれのイベントの概要を記載します。

 

≪イベント①≫

内容:「美」に関するイベント

参加者人数:30人前後

参加者傾向:「美」を切り口として個人経営されている方、アグレッシブに活動されている方

イベントスタイル:立食パーティ

 

≪イベント②≫

内容:「人生」について語り合う会

参加者人数:4人(+司会者1名)

参加者傾向:自分の生き方について悩んでいる方、人間関係が得意でなくけれどそれを少しずつ改善していこうと思っている方

イベントスタイル:一人ずつ自分の人生について語る方式。意見交換をするのではなく、ただ話を聞きあう

 

どちらのイベントも、初めましての方ばかりの会でした。それぞれで素敵な出会いがあり、とても有意義な時間が過ごせたな、と思います。ただ、それぞれで感じたことは全く違って、その気付きがタイトルに繋がっています。

まず、イベント①で感じたことは、本当にみなさん生き生きされていて、格好良いなと思いました。自分なりの信念みたいなものを強く持って、それをお仕事にしたり、そうでなくても何かしらの活動につなげていて素敵だな、と感じました。ただ、その方たちと対等にお話がしたい!という気持ちから、少し背伸びをした、というか、こうありたい自分を作って接していた節があり、帰り道に少し疲れを感じました。けれど、初対面の方々に囲まれれば自然と疲れるものだし、心地よい疲労感でもあったなあ、と思います。

次に、イベント②です。こちらは人数も少なく、またテーマも「人生」なので、それぞれの方の人となりを深く理解したり、自分自身の更なる気付きがある会でした。境遇は違えど、根本的な悩みが一緒だったり、直接解決に繋がらなくても、思いを共有できるってあたたかい気持ちになるんだなあ、と感じました。この会では、そう意識したのもありますが、自分ありのままでいられました。そして帰り道は何とも言えない充足感がありました。

 

この立て続けの異なるイベントを体験したことで、はっと気付いたのです。

私の中で、「憧れ」と「望み」は全く違うものなのかもしれない、と。

この二つの捉え方はきっと人それぞれだと思います。「憧れ」への過程が「望み」の場合もあるし、人によっては同じものなのかもしれない。わかりやすくビジュアルで表してみます。 

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私の場合、「憧れ」と「望み」はそれぞれ別の役割を担っているように思います。

 

≪「憧れ」の役割≫

・自分のキャパシティを広げてくれるもの

・新しい発見を与えてくれる場所

・成長を促す要素

・上に伸びていく、引っ張られる力

 

≪「望み」の役割≫

・自分自身を満たしてくれるもの

・新しい発見を自ら探す場所

・成長を感じる要素

・土台を構築する、地に足をつけるような力

 

仕事において、私は今まで「憧れ」に近いものを選んできたように思います。20代という年代においても、それは良い選択だったな、と感じています。

けれど今、これからの事を考えた時、「望み」に近い仕事がしたいな、と。広げたキャパシティを空虚なものにせず、しっかりと中身を満たしていきたいと感じています。

ただ、どちらも私にとって不可欠な要素です。一方を選択する、というよりは、比重を変える感じ。

 

今の転職活動の結果、思った通りの結果が得られなくても、この事はちゃんと覚えておきたい、そんな気付きができた週末でした。イベントに誘ってくださった方、その場でお話させていただいた方、本当にありがとうございました!

 

≪余談≫

この世界の片隅に」を観てきました。余韻がありすぎて、エンドロールが終わった瞬間映画館を早く出たい!と初めて思った作品でした。だって、もう、ずっと泣けちゃうもの。

じんわりとあたたかくて、妙な例えかもしれませんが、お出汁みたいな、染み渡る映画でした。すずさん(主人公)のような、普通の人の、普通ではない環境下での、自然な生活の延長線上に私は生きているんだなあ。

…お出汁って書いたらおでんが食べたくなりました。もうすっかり冬なんですかねえ。