継続すること、について ‐努力のカタチ‐
こんばんは、さきこです。
cakesに掲載されている、マンボウやしろさんと能町みね子さんの記事で、なるほど!と思ったのでご紹介します。恋愛市場におけるブサイクの生き方について。はっ!としたのが以下の部分。
①男に生まれて男として生きる人。
②女に生まれて女として生きる人。
③人間として生まれて人間として生きる人。
①×②の相性はいいんだけど、③のタイプは③同士でしか合わない。①×③とか、②×③はうまくいかないんですよ。それも分かってきたのが大きい。
何だか妙に納得して、心が楽になりました。ちなみに私は③タイプだと思います。
そうか、人間として生きる人を探したらいいのか。
さて、本文とはあまり関係ない前段になりましたが、今回は「努力」のお話です。
前回の末尾で多面性と書きましたが、大きく分けると2つの努力の形があると私は考えています。
それは「動の努力」と「静の努力」です。
《動の努力》
・力をかける ・集中する ・近くで見る
・グッ!とか、ガッ!とかの効果音が似合う
・誰が見てもわかりやすい
《静の努力》
・力を緩める ・弛緩する ・遠くから見る
・ふぅ~、とか、はぁ~とかの効果音が似合う
・一見ダラダラしているように見える
一般的な「頑張る」=「動の努力」、「リラックスする」=「静の努力」なイメージです。
リラックスする、という表現に「努力」は似つかわしくないかもしれません。しかし、自分でもわからない内に動の努力スイッチが入りっぱなしになってしまう私にとっては、リラックスするのにも努力が必要なのだな、と最近感じます。頑張る事もリラックスする事も、私にとっては何がしかの努力が必要な事項なのです。
そう言うと、常に努力しないといけないなんて、しんどい人生だな、と思ってしまう。
けれど、そうじゃないんです。
例えば、頑張り過ぎてしまってしんどいとき、友達や家族に相談すると「そんなに頑張らなくていいんだよ」「もっと気楽に考え、リラックスして」と言われます。
もっともな答えだし、心配してくれて、とてもありがたい。
けど、その状態に陥っている時点で、十中八九、私は「気楽に」とか「リラックスする」がどうしたら出来るのかわからなくなっています。
力を抜けばいい、と言われても力加減がわからなくなっていて、0か100しか判断ができない場合もあります。パンパンに張り詰めている状態から全ての力を抜くのはとても怖いです。常に活動状態の自分の思考を止めるのは、自分の意識を手放す=自分がなくなってしまうような気がして躊躇してしまいます。
けれど、それも「努力」として考えれば。同じ「努力」を、動から静に変えるだけだ、と考える事ができる。自分を保ったまま対応する事ができるような気がする。
結果、緊張状態からリラックス状態に移行ができ、自分自身も楽になれる。楽になるための努力をすることは、行為自体はしんどいかもしれないけど、自分を休める結果に繋がる。
屁理屈みたいですが、こうして考えると、いつでもリラックス状態は自分で作れるんだ、という安心感に繋がるのです、私の場合。図式化するとこんなイメージです。
●「努力」⇒「力を抜く」は難しい
●「動」⇒「静」へと努力が向かう方向を変える
今まで私は、動の努力ばかりしてきました。
静の努力が必要な場面では、とりあえず仕事以外の時間を確保する、という環境要素で対応してきました。それ自体は正しい判断だったとも思いますが、作った時間の中で心身を休ませていたかと言えば正直違うことの方が多かったと思います。
けれど、休むことも努力なのだとわかった今は、時間を作った上で静の努力をしていこう、と思い少しずつ行動しています。まだまだ、うまくいかないことも多いですが。
何かを「継続」したいと思ったとき、動と静の努力をバランス良く使い分ける必要があります。その為に、具体的な静の努力の方法を考える必要がありそうです。ただ、その前に、子どもの頃は私も、静の努力などと考えなくてもリラックス状態になっていたはずだと思うのです。
一体、いつからリラックスがうまくできなくなったのか、具体的な方法を考える前に、そうなってしまった根本を次回、掘り下げてみたいと思います。
≪余談/わたしの好きなBUMPうた≫
今回は、「透明飛行船」という曲です。アルバム「COSMONAUT(2010)」に収録されています。
この曲、企画会社時代、行き帰りの電車でやたら聴いていた思い出があります。2番以降の歌詞が全部好きなのですが、長すぎるのでその中でもさらに厳選して好きなところが以下の部分。
多分平気なふりは人生でわりと重要なスキルだと思う
多岐に渉り効果示すので使用頻度もそれなり
大丈夫じゃなくて当然の社会
貧乏クジ引いたわけじゃないんだよ
ずっと平気なふりに頼って嘘か本音か解らなくて
もっと上手に生きていましたか飛行船が見えた頃の事
バラードではないところも良いのです。そして、大サビに向かう前のところで「ほら 思い出してよ」という歌詞があるのですが、その部分、楽器が抑えられていて、藤くん(ボーカル)の良い声が強調されていて、イヤホンで聞いてると、耳元で囁かれている感じがしてかなり萌えます。
最近、ちょっと強がっちゃってるかも…という方、是非に。