アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

ぐるぐるループから抜け出したい

こんばんは、さきこです。
急に寒くなりましたね。わたしはピーク時よりも10㎏強増えた脂肪、起毛パーカー、ウィンドブレーカー、ネックウォーマーという出で立ちで出社し、少し汗ばみました。

さて、前回の記事で書いた「五感セラピー」。
思うところがあって、ちゃんと勉強することにしました。思うところってご大層な前置きをしましたが、単純にセルフメンテナンスをちゃんとできるようになりたいと思ったからです。
「自分を愛するってことがわかった!」とか書いていたけど、ひとりで継続するのは難しく…結局それな!って感じだけど。
それでも、あの感覚は必要な時に自己再現できたほうがいい気がして一念発起しました。何度目だ、と突っ込まれそうだけど、いいの。

先日、1回目の授業がありました。
一番初めは先生と一対一で自己分析をします。
心理学的なもの、カラーセラピー的なものを組み合わせた課題をいくつか行いました。
その中で印象的だったのが以下の2点。

①わたしは、ヘタレわがままであること
②幼児期のどこかで感情の発達を止めた可能性があること

①は、まあ、そうだよね…的な。
思う節はたくさんあるし、メンタルクリニックで受けたテストの結果とも一致してる。
メンタルクリニックでの結果は、母性が満点で父性が人並み以下、というもの。父性=責任感を持って行動すること。その値が低いので、責任感を持って行動できない口ばっかりのヘタレ、ということになる)
ただ、新しかったのは、短所を補う必要はない、ときっぱり言われたこと。
かといって長所で戦うわけでもない。短所を突き詰めて強みにするのがベスト、なのだそう。

つまり、ヘタレでわがままな自分を前面に押し出して生きていくのがベスト、ということ。
















いや、それめっちゃ嫌われるやーーーん。





けど、それがいいんだって。
嫌う人もいる。けど、確実に「それでもいいよ」と好意的に接してくれる人もいる、その人たちを大切にしなさい、と。
というか、まずは自分がそういう(ヘタレわがまま、いいじゃん!そんなとこが大好き♡と思える)人になりなさい、と。
それ、めっちゃ難しい。
けど、がんばる。うん。

てか、「新しかった」って書いたけど、今までにも散々言われてきたことだなあ。
「そのままの自分を受け入れること」。理解するって本当に難しい。

そして、驚いたのは②でした。
これまでの人生のカラーサイクル(時期ごとに色を当てはめたもの)を見ながら先生が、「あなた、自分の色がないのよねえ…」とおっしゃいました。
えー…31年も生きてて自分の色ないとか。。えーーーー……と思った次の瞬間。

「多分、この辺(2〜3歳辺り)で感情止めちゃってるんじゃないかな?」

言葉が出る前に、涙がどわーってなってすごくびっくりした。

ジャスサー女子の〜(前のブログ)の記事で「わたしの社会性が身に付いたのは小学校4年生くらいのころ」「それまでは他者に対する認識がなかった」と書いた記憶があります。
あれを書いた時、わたしは「それまで自分のことしか考えていなかった」「転校して初めて、他の人がいてその人たちに対して感情が動くことを知った」と思っていました。
けど、先生は「自分で感情が動かないようにしたんじゃないの?」と問うたのです。

他者の認識、感情の動き、これを社会性ではなく、自我と捉えるとします。
そうすると、通常子どもの自我って生後半年くらいには芽生え始めて、言葉の発達とともに1歳半頃からより積極的な主張が始まるのだそうです。
そこから少し経ったくらいの時からわたしは何らかの理由で感情の発達を止めた、と考えられる。

自分が感情を表した事で、ひどく誰かに怒られたのかもしれない。
自分が主張した事で、ひどく誰かを悲しませたのかもしれない。
自分らしくある事で、物理的に誰かを傷つけたり、傷つけられたりしたのかもしれない。
わたしは自分の感情がわからない、のかもしれない。正直、それさえもわかんない。

けど、人には感情がある事、対面する人がどんな感情を抱いているかはわかるし、わかりたいと思ってきた。
だから、「かなしい」も「たのしい」も「うれしい」も「すき」も「くやしい」も知っている。
知ってるけど、本当の意味で理解はしていない…のかもしれない。
いや、理解できるんだけどしたくないというか、表に出したくないんだ。






怖いから。


わたしが感情を出すと、身近な人が怒ったり泣いたり叫んだりする気がするから。
そんな事、大人になった今、そうそうないってわかってる。けど、絶対ないとは言いきれない。
大人なんだから、それくらい受け流しなさい。
そう言われても怖いものは怖い。
ヘタレなわがままだし。笑

だから、感情を閉じ込め続けた。
その結果、30歳を越えた今でも自分の感情がわからないのかも。そう仮定するといろいろ辻褄が合うのも事実。

感情がわからないから、「疲れた」がわからなくてオーバワークしてしまう、「まんぞく(満腹)」がわからなくて過食してしまう、のかなー、なんて。

怖いと感じたのかな?と思い当たる経験は、具体的に思いつくものもあるし、曖昧なものもある。普通の人から見たらささやかな光景かもしれない。けれど、わたしにとっては大きなダメージを受けた事柄。今でもおぼろげなのに鮮明に覚えてしまっていること。

それについてどうこうしたいのではない。
過去に遡って当事者に謝ってほしいとか全然思わない。責めたいわけじゃない。非難しているわけじゃない。嫌いになるとか離れたいとか、そういうのでもない。
だけど、ひとつだけ望むことがある。

そういう事があったよね、と認めてほしい。
そういう事があったから、今、怖いって感じることは事実としてあっても不思議ではないよね、と知ってほしい。
悪い思い出だ、とかではなく。事実としてあったよね、と。
懺悔とか解決とか後悔とかいらない。
ただ知って欲しくてこの記事を書いた。

30年近く続けてきた生き方を変えるのは怖い。
周りにはわからない変化でも、わたしにとっては大きな、大きな改革です。
ここ数年で少しずつ現れている、付き合いが悪い、とか、返信が遅い、とか、愛想がない、とか、言葉数が少ない、とか、それも変化の1つだと思う。
身近であればそれだけ、変化を感じると思う。
そして、わたしに対して不安や不満を抱くのかもしれない。ごめんなさい。
だけど、わたしはちゃんと自分で立ちたくて、今はその為に足掻いている途中で、だから誰が悪いとかじゃないんです。言葉とか寄り添ってとか要らなくて、ただ…ただ、そのままで居ることを認めて欲しいんです。

前述の通り、わたくしはヘタレなので、直接言う勇気などございません。
なのでここの場を利用させていただきました。
面倒臭くてごめんなさい。
大人になりきれなくてごめんなさい。
器用に生きられなくてごめんなさい。
めんどくさヘタレわがままっ子ですが、今後もお付き合いいただける方が少しでもいたら嬉しい。

未熟なアラサーも、そこそこ働いて、毎日なんとか生きてます。
どうかあなたも、あなたの人生を楽しんでください。それぞれの足で立って、笑ったり泣いたり、たまに寄り添ったり、慰め合ったり。
そうやって、一緒に生きていきたいです。

おわり。