アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

違うけど、おなじ

こんばんは、さきこです。

ここ数日、調子が悪く、予定が詰まっていたので誤魔化しながらやっていたのですが、やっぱダメだったみたいで今日はシャットダウンしてしまいました。

予定をごめんなさいをして、録画していたスイッチインタビューを見ていたら、込み上げてくるものがあり、めっちゃ泣いた。

最近、いろんな人の話、特に働き方とか生き方とか、を聞く機会が多くて。
とても楽しくて貴重な時間を頂いているなあ、と感じます。
それと同時に、他者の人生を聞くことが自分にとって価値あるものなのは何故なのか、と考える時間が増えています。
それは、個人的な趣味というよりかは必要にかられてなんだけど。

とは言え、全ての人の話を楽しく聞けるわけじゃない。人と会うのは好きだけど、この人好きだなって思う人もいればそうでない人も勿論いる。

私はどんな人の話が好きなんだろう。
ぼんやりとずっとあった問いに、何かに挑戦している(していた)人の話が好きなのかもなあ、と今日思った。

冒頭のスイッチインタビューはいとうせいこうさんと神田松之丞さんの回で。
松之丞さんは30代の講談師の方で、講談を知らない人たちに向けて、講談って面白いよ、といろんな試みをしているらしい。
先日お会いした職人さんは、何もないところから効率を考えてフロック加工という技術をオートメーション化した方だったし、療育について考え実践し続けている方にもお会いする機会を頂いた。
そういう、形として見えないものに挑戦している人たちに会うと、エネルギーの種みたいなものをもらえる気がする。

以前、そんなような話をしていた時に「僕は頑張っている人を見て、自分も頑張ろう!って思わない」と言われたことがあった。
矛盾しているようだけど、私もそう思う。
頑張っている人もいるんだから私も頑張ろう!って感じじゃなくて、挑戦と頑張るは同じようで違う、というか、なんというか。
その辺りがうまく言語化できずにいた。

で、今日、唐突に思った。
「差異の中にある“おなじ”を見つけた時、励みになる」という事。

私は完璧主義で、理想論者でせっかちだと思う。
イメージにある最善の形を実現できない自分を不甲斐なく思うし、口先ばかりになるのが嫌だし、すぐに目に見える形として実現できないような考えや思いは口にしたくないと思っていた、最近までずっと。

口先ばかりでも思ったことをちゃんと言えるようになったのはここ最近で、それは私自身がそういう自分を認められるようになったからだと思う。

矛盾していてもいいよね、って。

そうして口に出して、出し続けていたら「こういうイベントがあるよ」「こういう人がいるよ」って教えてくれる人が出てきた。
「その考え方、素敵だから一緒にこういうのしない?」と言ってくれる人までいる。そして何だか忙しかったりする。

口に出す前は、そんなことしたら非難されるだけだって思っていた。実際に非難まではいかないけど、それまでの人間関係では肯定されることはほとんどなかった。

私は私の理想とする形を目指して生きているんだと思う、明確に言語化はできないんだけど。
コミュニティなのか、ライフスタイルなのか、よくわからないけど、目には見えない、けど、何か素敵なもの。

「余裕」とか「やさしく」とか「あったかく」とか、そういうのが要素としてあって、今はまだ集めているところで全体像が摑めずにいる。

こっちの方向で何となく正しそうだ、と思っていても、やっぱり戸惑うことがある。迷子な気持ちになる時がある。

そんな時に、違う事柄であっても見えない何かに挑戦している人たちがいて、その人たちの言葉の中に、生き方の中に“おなじ”を見つけると嬉しくなる。
あ、大丈夫、正しいって思える。
灯台のようなものなのかも知れない。

そんなことを思いながら鎌倉〜江ノ島間をお散歩した2時間弱。
右足の土踏まず辺りの調子がおかしい。

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稲村ヶ崎からの夕焼け。サンセットには間に合わず、残念)

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