イライラを見つめる
ここ数日、ずっとイライラしていました。
些細なことが気になって、それこそドアの閉め方とか、お願い事の仕方とか、椅子の座り方だとか、家族にも知り合いにも職場の人にも通勤ラッシュの混雑にも横断歩道で止まってくれない車にも、とりあえず何にでもイライライライラしてました。
きっと、はじめての事ではないのだろうけど、イライラしている自分を「イライラしてるなあ」と客観的に見れたのは、はじめてだったと思います。
今まではどうにかして自分の中でイライラを抑え込むようにしていました。(ただ、うまくいかず家族には八つ当たってました。)
そして極たまに、相手を徹底的に攻撃する、という対処法をとっていました。
これ、どっちもすごく傷付くんです。
自己処理と言っても大体は過食嘔吐に落ち着くし、相手を攻撃するのって最終的に自分に返ってくるし。
なので、今回はどちらも採用せず、とりあえず出てくる不満を一個ずつ観察してみました。
とか、格好良く言ってますが、どっちつかずで流れた結果、こうなっただけなのですが。
消化不良だった気持ちがどんどん出てきて、その時を思い出して心の中でめっちゃ相手を罵倒してみたり、理詰めで責め立ててみたり。なんか、相当怒ってた。
どうしてわかってくれないの!
どうせ、わかんないよ!
決めつけないでよ!
みたいな。
いや、めんどくさいな、私ってなった。笑
イライラが過ぎ去った今にしてみれば、あーそれ嫌だったんだねえ、とか、まだ思い返すくらい嫌なことだったのかー、と微笑ましいんだけれど、渦中の時はしんどかったなあ。
けど、抜けれた。
抜けれるんだ、と、普通に考えたら当たり前の事をちゃんと実感して、ちょっと安心した。
どんな状況であれ、一生続くことはないんだ。
これって、すごい安心感だと思う。
とはいえ、あまりにも急にやってくるので、先の見通しが立てにくいのが困る。
今回も随分前からの約束をごめんなさいしてしまったし。
まあ、困ると言ってもどうしようもないんだけれど。出来ることは、なるべく無理な予定を立てないことと、その都度謝ることくらい。
幸い、年々、自分の状況を適切に伝えられるようになってきているので、みんなわかってくれることが多い。
勇気を出して言葉で伝えることを本当にちょっとずつだけれどしてきた結果と、あとは世の中的に精神面の体調不良が一般化しているのも大きいのかな。
糸掛曼荼羅という、何にもしたくないけど何かしたいときのおもちゃも見つけたし。
(糸の掛け数だけじゃなくて、ピンの数によっても表情が変わる。いろいろ試してみたいところ)
なので、あまり先々の予定が立てにくい私です。けれど、自分のペースでそれなりに楽しくやっています。おちこんだりもしたけれど、わたしは元気です。
(らくがきとちょっと気取った写真はインスタでやってます。覗いてもらえるとうれしい。https://www.instagram.com/konosakiko/)
さあ、明日明後日は仕事だー。
適度にやるぞー。