ちいさな神さま
夏、猛暑の中、ちいさな家族が死んだ。
生まれて半年、うちに来て4ヶ月。
祖母の家に車で帰り、数日過ごして戻ってくる、その道中。
気付いた時にはもう息はなくて、けれどまだ柔らかくて、命の痕跡みたいなものがあった。
行きの道では元気だったから、子どもの時に飼っていた子たちは大丈夫だったから。
そういう過信、人間のミス、私のミスだった。
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春分の日に家族になったから、『はる』。
はるがうちに来た頃、私は何度目かの診断書をもらって、何度目かの休職をして退職をして、何度目かの就活をして、社会に出てからはじめてフルタイムではない仕事を始める、そんなタイミングだった。
いろんな不安があった。
不甲斐なさや、無力感もあった。
だからこそ、わかりやすい『守るもの』が欲しかったんだと思う。
はるは、怖がりで、好奇心がなくて、自分の家が好きで、いつもぐでっとしていた。
朝晩ひとつひとつ手でひまわりの種をあげると、ちいさな手でひとつひとつ受け取って殻をむいた。
時々、ちょん、と私の指に乗るちいさな感触が可愛かった。
夜はリビングで家族みんなで寛いだ。
はるが楽しかったのかはわからないけれど、家族のまんなかにはるがいて、はるの一挙一動にみんなで微笑んだ。
はるは、我が家のアイドルだった。
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違うお家の子になっていたら、もっと長生きできたのかな。その方がはるは、しあわせだったんじゃないかな。
帰りの車の中、膝の上でずっとはるを撫でた。
涙が止まらなかった。
ごめんね、ごめんね。
なんでもっと、どうして、どうしたら。
ごめんね、ごめんね、ごめんね。
ごめんね、ありがとう。
ありがとう、大好きだよ。
ありがとう、ありがとう。
何時間もずっとそうしていて、はるの中から少しずつ命が抜けていくのを感じていた。
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あれから、目まぐるしく時間が過ぎて、それでも本気で思い出すと、まだ涙が出る。
どういう気持ちからなのかはわからない。
つい先日、母が言った。
「はるちゃんは、ちいさな神さまだったんだよ。辛い時に来てくれた。家族の会話をつくってくれたよね。」
春分の日に家族になったから、はる。
太陽の陽と書いて、はる。
彼がしあわせだったかはわからない。
最後の顔が安らかだったなんて、飼い主のエゴかもしれない。
けど、はるがいて、私はしあわせだった。
動かないし、懐かないし、言うこと聞かないし、好き嫌い多いし。
けど、そこにいてくれて有り難がった。
おひさまみたいにあったかかった。
ちいさな神さま、はる。
あなたと暮らせてよかった。
でも、やっぱり、ごめんね。
ありがとう、はる。