アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

ハローさん、最後の日

こんばんは、さきこです。
天気はいいのに寒い日が続いていますね。穏やかな陽の光に騙されて凍える時もしばしば。
早く春にならないかなあ。

さて、今回は就職先が決まったよー!とハローさんに報告に行った日のお話です。
10月末から早3ヶ月、お世話になったハローさんとお別れの日、いつもより多く時間を貰っていろんな話をしました。(たまたまハローさんに次の予約が入ってなかっただけなんですけどね)
前回書いた、私なりの新しい仕事に対する思いとか、これからの日本の事とか。
ハローさんは、「就職活動」を通じてたくさんの方と接するお仕事をしています。その中にはいろいろな問題や不安を抱えた方もいて、ハローさんはその方々が働きやすい社会とは何か、というのを常日頃から考えてらっしゃる。
私もスタートラインに立ったところではあるけれど、多様な状態の人が少しでも多く、生きやすい社会になればいいなあ、とか考えています。なので、ハローさんは私の考える方向の先にいるように勝手に感じています。ハローさんとのお話はとても良い刺激があるし、楽しいものでした。本当に素敵な方だったなあ。

最後の日、ハローさんに貰った言葉は以下の2つ。

・わからなくなったら見える化すること
・事実はひとつ、考え方や捉え方は多様。だったらプラスの考え方、捉え方がいいと思う

そして、3ヶ月の面談の中でひたすら言われた事。

・余裕を持つこと

この3つをこの先、心の片隅に置いておきたい。

今、いろいろな事が変わっていく予感があって。やりたい事や知りたい事がたくさんある中、世間一般からみた30代に必要な事が欠けていることに焦ったり、今まで大切にしてきた事を今まで通りに大事にできない不甲斐なさを感じたり、何だかとてもぐちゃぐちゃです。
負の気持ちから闇雲に動いてしまいそうになる(ってか半歩くらい進んで、違う違う!と戻ってきている)。
仕事が始まったら変わるかな、わからないけど。ハローさんがくれた言葉を胸に、思うように進んでみようと思います。
特に「余裕を持つこと」、つまりは自分を大切にすることは忘れがちなので気を付けていきたい!

《余談》
今さら腹巻きデビューしました。寝るときに巻くと、起きたとき身体が冷えきっていることがなくなりました。お腹あっためるの、大事なんだなー。

転職活動終了のお知らせ

ご無沙汰しております、こんばんは、さきこです。

今回、初めてのスマホからの更新です。ちゃんとできているだろうか…どきどき。

さて、先日、無事に就職先が決まりました!
以前こちらで書いた第一希望のところではありませんが、働けたらいいなあと思っていた会社なので嬉しく思っています。

就職先の詳細は以下の通りです。

業種:保健衛生業(社会福祉施設

職種:支援員

担当業務:発達に課題のある子どもへの療育や学習支援


今までとは全く別の業種です。
活動開始当初、こういう着地になるとは思っていなかったので面白いものだなあ、と思います。
なぜ、ここを選んだのか少しまとめてみます。

始まりは「人」に関わることがしたい、特に「生きやすさのヒントになれる仕事」がしたいなあ、でした。
3社の経験を経て、私は「働く」を通じていろいろな人と関わり、今の私を培っている考え方や行動の仕方を身に付けました。
右も左も分からない状態で、行動力だけを頼りにあっちこっちにぶつかって、たくさん傷付いて傷付けて今、割と「生きやすい」状態になっています。
で、世の中を見てみると「生きにくさ」を感じながら日々を過ごしている人がたくさんいるよなあ、と思ったのです。そして、おこがましいかもしれないけれど、その人たちが生きやすくなるお手伝いができたらなあ、と。
その思いと、働ける条件(通勤時間、労働時間、給与など)を鑑みて会社探しをしました。
その時にご縁があったのが今回の就職先です。

「発達に課題のある子ども」というのは、近年注目されるようになってきた「発達障害」と認定された子どもたちを指します。
転職活動中、このジャンルの会社に応募することに正直抵抗がありました。
何も知らないのに応募してもいいのか、ものすごく大変なんじゃないか、続けられるのか…など。自分でも葛藤したし、話した友達や家族からも言われました。
でも、面接してくれるって言うし、とりあえず話を聴いてみよう。そんな気持ちで面接を受けました。面接ではその業界の現状や会社(というか担当の方のだと思いますが)の想いを伺い、わからないことはその都度できる限りちゃんと質問しようと心がけました。自分なりの想いも、わからないなりに煮詰めて話をしてきました。

その面接の中で、発達に凸凹がある方にとって理解しやすい条件、という話がありました。
それは、以下のようなものです。

文字+絵+音で説明をする
簡潔に、丁寧に説明をする

これ、企画時代に相手に理解してもらうために気をつけるプレゼンの基本と全く同じなんです。
そのことに気付いた時、障害のあるなしに関わらず理解しやすい条件って同じなんだな、と感じました。
そして障害がある人が生きにくい今の社会って、ない人にとっても少なからずと生きにくい社会なのでは、と思ったのです。

少し話は変わりますが、今はいろんなモノが溢れていて物質的には豊かな世の中だと言われます。けれど、どこかみんな満たされなくて、その欠乏感を埋めるためのサービス(コト)に注目が集まっています。「モノ」ではなく、「コト」が売れる時代。数年前から言われている事。
では、「コト」を充実させていけば今よりも豊かな世の中になるのだろうか。私はあまりそうは思えません。
そもそも豊かな世の中ってなんだろう、というゆるゆると長く抱いていた問いに、ひとつの方向性として「今よりもっと多くの人が理解しやすい(生きやすい)社会」ってありだよなあ、と面接を通して思ったのです。

なんて、大きな事を書きましたが、現実は神奈川の小さな教室の支援員見習いです。勉強することがたくさんあります。壁にぶつかって悔しい、とか、かなしい、とか泣く日もあるだろうと思います。思っていたものと違って苦しむ日もあるかもしれません。もしかしたらまた、こういう活動をする日が来るかもしれません。
けど、まずはここから始めてみます。
「夢は大きく楽しく、行動は堅実にコツコツと」というようなことを糸井重里さんも言っていた気がするし。
少しずつ楽しみながら進んでいきたいと思います。

《余談》
今回を含めあと3回の更新でこちらのブログを完結させようと思っています。
それまでもうしばらくお付き合い頂けたらうれしいです。

いきものがかり「放牧宣言(2017)」について

こんばんは。さきこです。

あけましておめでとうございます。

みなさんは、どんな年末年始を過ごされましたか?

 

私はここ数年で一番穏やかな年末年始を過ごしました。

例年のように家族で祖父母宅に返り、大晦日に家族3人で年越しそばを食べ、紅白を見、ジャニーズでカウントダウンをして、翌朝には祖母も含め4人で初日の出を拝みました。

ゆったりとした時間の中で、祖母や両親ともポツリポツリとだけどいろいろと話もできて良かった。

お蔭で年末に何だかんだと焦っていた気持ちが緩んで、今とても良い状態です。

 

さて、タイトルの件です。

こう記載すると彼らの新しい楽曲みたいですね、「関白宣言」的な。

紅白から1週間も経たない突然の発表、と報道されていますが、個人的には自然に受け止めました。

恐らく、年末に「ほぼ日」や「SWICTインタビュー」で水野さん(いきものがかりリーダー)の対談を読んだり見たりしたからかと思います。

 

www.1101.com

www4.nhk.or.jp

 

いきものがかりを初めて知ったのは、通学中の相鉄線(神奈川のローカル線)内の中刷り広告。

あか抜けない3人組、しかも海老名出身。高校生だった私は素直に「売れなさそー」と思いました。

まあ、それが今や日経電子版でもトピックスになるようなグループですよ。海老名、大和、厚木辺りの神奈川の知名度低いチームのスターです。

ちなみに、私は当初「いきものがかり=生き物係」ではなく、「いきものがかり=生き物憑り」と脳内変換していました。神憑り、的な。

なので、神社っぽいというか、憑依系というか、なんかコアな感じの音楽なのかな、と思っていました。全然違いました。

個人的には「秋桜」という曲が好きです。どうやらインディーズ時代のものらしい。水野さん(リーダー/左側の人)のメジャーな曲も好きだけど、山下さん(髪色明るい/右側の人)のいきものがかりっぽくない曲も良いのです。

 

で、「放牧宣言」で感じたことは、継続するってこんなに自由なんだ!でした。

このブログで何回かに分けて書いた、私の目標である「継続すること」。

この目標を思った時に、いつも一生懸命でなくていい、完璧でなくても続けていくことが大事、と考えていて、実際に行動しようとしていました。

が、そうか休んだっていいのか!と。

もちろん、そこに至るまでのベース作りがあって、信頼関係があってこその「放牧」なのでしょうが、こういう判断もありなのだなあ、と心が軽くなりました。

「こうでなければならない」という考え方はいけないと、変に力んでいた部分が緩んだというか。

勝手に親近感を覚えている彼らの発表に、新年早々勇気を貰ったよ、というお話でした。

 

≪余談≫

世間の仕事始め同様、昨日より面接始め、本日よりバイト始めでした。もはや本題が余談になってしまっている…ゆるゆるとですが行動してます、転職活動。どうなるのかな。楽しみだな。

 

そして、いきものがかり余談なのですが、紅白2016のエンディング、山下さんの衣装赤いスーツでしたよね…?そしてカズレーザーっぽかったですよね、ものすごく…。Google先生で画像探してもないんだよなあ。空目だったのかなあ…気になる。

とりあえず、歩こう

こんばんは。さきこです。

年内最後の更新です。今年も後4日。早いですね。

 

さて、今回はこれまでの総括をしたいと思います。

私の現状活動内容は以下の通り。

 

面接予定企業:4社

書類選考中:2社

面接結果待ち:1社

結果確定企業:3社

 

12月の中頃から具体的に動き始めたにしては頑張っているかな、と。

ただ、お蔭でインプットが多く、また年末という事で普段と違う食生活や行動範囲で昨日はダウンしておりました。

もう、気力が全然なくて前々から約束していた予定もドタキャンしてしまいました。申し訳ないなあ、行きたいなあと思いつつも身体が動かない。

そうしておうちで1日をだらだらと過ごし、家にいるからちょこちょこと食べ物をつまみ、動かないから身体が重くなり、同時に気分も重くなり、という悪循環な1日でした。

気力がなくなると、精神的にも物理的にもこんなに重たくなるものなのか、と感じました。

病は気から、の私にとって気力がとても大事な要素なのだと改めて痛感しました。

気力を上手にコントロールできるように、来年はいろいろ整えていきたいと思います。

 

その為の手段の一つが「歩く」だな、と今日改めて思いました。

ここ最近、予定が詰まっていたり、単純に気力がなかったりを理由にさぼっていた「歩く」こと。

今日も正直億劫で…けれど、このままじゃ腐る!と、とりあえず着替えて外に出ました。良いお天気だったことが後押ししてくれたように思います。

けれど、やはり歩き始めは億劫で。うまく手足も動かないような気がするし、寒いし。

それでもせっかく出たし、小一時間歩いたら帰ろう、と思って歩を進めました。

ただ、やはり歩いていても気分が乗らなくて、BGMのアーティストを変えても無理で、けど1時間は歩くって決めたしなあ、けど家でゴロゴロしたいなあ、とウジウジ考えながら歩いていました。

ウジウジしながらも何となく、このまま帰ったらダメな気がして、それでも歩きたくなくて仕方ないので途中ベンチで日向ぼっこして時間をつぶしていました。

何でこんなに億劫なのか、考えてみました。答えは出ませんでした。

ウジウジしている自分が嫌で、けどどうしたら良いのかわからなくて、とりあえず歩きました。

どの曲を聴いても気分が乗らないので、イヤフォンを外しました。

すると鳥のさえずりが聴こえてきました。葉っぱの擦れる音が聴こえてきました。散歩をしている老夫婦の声が聴こえてきました。同じ場所を歩いている、他の人の足音が聴こえてきました。

いろんな音を聴いていたら少しずつ気持ちが上向いてきて、結果2時間半くらい歩いていました。

 

何が起きたのか、いまいち良くわかりませんが、その時自然にこう思えたのです。

「とにかく、やるべき事をこつこつやろう」

面接を受けたり、久しぶりの友達と飲んだり話したりする中で、知らず知らずのうちに自分と他人を比較して勝手に焦っていたのかもしれません。

こんな牛歩の歩みでいいのか、と思い始めていたのかもしれません。

何かをなさねば、と一足飛びにできる方法を見つけようとしていたのかもしれません。

それが、環境音を聴きながら歩く事で、どんなに頑張っても一歩一歩しか進めない行動を同じようにその場にいる人や鳥や木々とすることで、等身大の自分に戻ることができたのかな、と思います。

 

何はともあれ、「歩く」は私に必要な事。

時間も取られるし、焦っている時ほど無駄だと感じてしまうけど、その時はこの投稿を思い出そう。

無駄かもしれないけど、絶対必要だから、無駄だと思った時ほど歩こう。

 

全然転職活動の総括になっていない投稿ですね。

けど、波乱万丈だった2016年の総括にはなったのではないか、と思います。

すごくシンプルだけど、自分にとって大事な事、「歩く」を忘れないこと。

さあ、来年はどんな年になるのでしょう。一歩一歩、丁寧に、ベースを築ける年にしたいな。

 

≪余談≫

BUMPのライブDVDを観ました。なんか知らんが最初っからずっと泣いていました。やっぱり好きだなあ、と再確認。そして、やはりMCはカットされているので、現場に行きたかったなあとちょっと思いました。

それでも面接が好き。‐わたし的面接ノウハウ‐

こんばんは、さきこです。

数年ぶりにお財布を新調しました。

来年から新しい仕事を始める予定だし、環境ががらりと変わって新しい出会いが増えそうなので心機一転の意味を込めてみました。

革のお財布です。裏地が可愛いです。使い込んでいい味出してきたいと思います。

 

さて、今回も面接についてのお話です。

少し話は脱線するのですが、私は投稿した記事の読み返しをあまりしません。

投稿する前に何度も推敲しますが、公開したら基本そのままです。

一方で、ワークの記事あたりからリアルタイムな状況整理が必要となり、面接の記事に関しては自分の中でも進行形の内容を文字にしている状態にあります。

進行形の内容は自分でまだ腑に落ちていない部分もあり、いろんな意見が自分の中にある状態です。なので主張が二転三転したりします。要はぶれぶれなのです。

そんな訳で、今回の記事を書くにあたり前回分読み返してみたら、まあ、なんというか、とても良い子ちゃん的な内容で。間違いではないんだけど…ねえ?と恥ずかしくなりました。前回の記事で正義感のやたら強い主張を削ぎ落として、シンプルに伝えたかったことを整理すると以下の言葉にまとめられます。

 

面接って行く前気負いしちゃうし緊張するけど、気の持ちようで案外楽しめるよね!

 

そして今回まとめたいのは、こちら。

 

どうしても緊張しちゃって面接中もずっとその状態の時、どうやって切り替えるんだっけ?

(どうやって面接を楽しむんだっけ?)

 

そもそもなぜ緊張するのか、前回も述べていましたが改めて記載すると以下のようになります。

 

≪緊張の原因≫

採用されたい、という気持ちから、失敗できない、よく見られなければ、と自分にプレッシャーをかけてしまう

 

第何希望だろうが、面接官と対面して人となりを見極められる状況になったら誰だって選ばれたいって思います。

私はプレッシャーがかかるほど「とりあえず何か喋らなきゃ!」という気持ちが働くので、余計な事を言ってしまったり、大風呂敷を広げてしまいがちです。

結果、どんどん自分の首をしめて、自分プレッシャーが大きくなり、何を喋ってるのかよくわからないまま終わっちゃう、なんて事もあります。

その場合、結果もついてこないし(不採用になるし)、自己否定感がものすごく強まります。

この課題への対策を前回の転職活動くらいから意識的に心掛けていて、今回ようやく少しできるようになってきました。うまくいった方法を忘れないうちにメモしておこうと思います。

 

≪面接中に自分を取り戻す方法≫

・とりあえず姿勢を正す

ヤバい!喋らなきゃ!って思っている時って大概、身体が前のめりになっています。

ので、一旦落ち着いて上半身を引いて一呼吸。

そうする事で空気の通りも良くなるのか、ちょっと冷静になります。

 

・一旦黙ってみる(句読点でとめる)

質問されて、答えて、面接官の方がメモをされて、の、このメモの間の時間さえ私は沈黙するのが嫌で喋ろうとし、結果余計な事を言ってしまう。ので、一旦黙る。喋り続けない。

これ、文章でも同じですよね。今書きながら思いました。

〇〇で、××だから、でも△△でもあり、だからこその☆☆で、けれど結果的に~とか、長い文章って頭に入ってきにくい。

相手にわかりやすく伝えたいのなら、簡潔さが大切。

と、文字で書いてる時はわかるんですけどね。目で見て確認できるから。喋ってる時って舞い上がっちゃうし忘れがち。

面接ノウハウみたいなので「黙るのダメ、絶対!」的項目があった気がしますが、何分も黙るのは良くないけど、全ての質問に脊髄反射ですぐに答える必要はないのかと。

もちろん、質問想定と回答準備は必要です。けれど、用意してなかった質問にその場凌ぎで脊髄反射回答するよりかは、一呼吸おいて、ちゃんと自分の考えを述べる方がいい。とても当たり前な事に気付くジャスサーさきこでした。

 

・面接官をちゃんと見る

緊張すると私は相手の目を見て話す事が出来なくなります。見透かされるようなで怖いのです。

けれど、勇気を出してとりあえず面接官を見る。目が見れなくてもいい、とりあえず相手を見る。

そして隙(相手が長く話しそうなターン)を見て、話し方、メモの取り方、視線の配り方、身体の動きを観察してみます。

すると、可愛いペンの握り方をしていたり、意外と面接官の方も私を見ていなかったり、見てはいるけど意識が向いていないなと感じたりします。意識が向いてない時は大抵不採用になるので、とても入りたい企業であれば緊張とか言ってる間なくアピールしなくちゃ!です。

それに、相手の可愛いところとか、面白い癖とか見つけられたら愛着が湧いて少し話しやすくなる気がします。

 

以上、年末に幾つかの面接を受け、幾つかの回答をもらい、現状感じている「面接」についてのまとめでした。

 

≪余談≫

サンタさんからBUMPのライブDVDが届きまして!まだ観てないのですが、これもまた結構心の準備がいるので…整えて心して観ようと思っています!とradiko聴きながらこれ書いているんですけど、今日のSCHOOL OF LOCKのゲストがBUMPっていうね!ちいさなしあわせを感じる今年最後の月曜日の夜でした。

聖なる夜に、おはなしでも。(再掲)

クリスマスイブの夜に投稿し、あまりの恥ずかしさにひっこめた記事です。

ただ、アクセス解析を見るとTwitterからこの記事に飛んでいただいている方が少なからずいらっしゃいまして…ありがとうございます。

なので、恥を承知で再掲させていただきます。

もはや転職とか全然関係ないです。本当、すみません。

広い心で受け止めていただき、暇つぶしにでもなれば幸いです。

 

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≪ビンの中の少女≫

 

その少女は、ビンの中で暮らしていました。

毎日、そうたくさんではないけれど、幾人かの人たちが少女の前を通り過ぎていきます。

中にはこちらを見る人もいますが、誰一人立ち止まることはせず、誰一人少女に喋りかけることはありません。

誰も、少女を気にしませんでした。

少女も、何も気にしませんでした。

外の世界に多少の興味は抱いても、外に出たいと思ったことはありませんでした。

 

ある日のこと、灰色の空にちらちらと粉雪が舞っていた日のことです。

一匹の美しいちょうちょが少女の前に現れました。

モノトーンの世界に、それはまぶしいくらいの極彩色でした。

ちょうちょは、ビンの前で上に、下に、ひらりひらりと旋回してみせました。

近づいては遠のいて、また近づいて。ぼやけた灰色の世界に、くっきりと色を振りまきながら。

少女は見とれました。

ちょうちょはしばらくの間、ビンの周りを漂って、やがて遠ざかっていきました。

少女はちょうちょの行く先をずっと眺めていました。

ちょうちょがいなくなっても、ずっと。ずっと。

 

そうして、どれくらい時間が経ったでしょう。

気がつくと、粉雪のかわりに桜の花びらが舞いはじめるころでした。

コンコン、コンコン。

無機質な音がビンの中に響き渡りました。

振り返ると、一人の少年が立っていました。

「外に出たいの?」

少女はぼんやりと少年を眺めました。

「僕が出してあげようか?」

そう言うと少年は少女のビンによじ登り、意気揚々とビンの蓋を引っ張り始めました。

長い間、閉じられたままだった蓋はかたくなでした。

少年は顔を赤くして、指の先を白くして、力任せに蓋を引っ張ります。

蓋は動きそうにもありません。

うーん、うーんと踏ん張って、少年は蓋を引っ張り続けます。

ほんの少しだけ、蓋が動き始めました。

よし!と少年は嬉しそうに、さらに力をこめます。

少女はその光景を、ぼんやりと眺めていました。

やがて、きゅる、きゅる、とガラスとゴムがすれる音がビンの中に響き始めました。

きゅる、きゅる。ぎゅるる。

その音はビンの中で反響して、少女の身体の中にも響き始めました。

きゅる、きゅる、ぎゅるる。

そこにきて、初めて少女は理解をしました。

ビンの蓋が開くのだ、外の世界に出るのだ。

理解は感情になって少女の心に流れ込んできました。

空っぽだった心の器はすぐに満ちて、そして溢れました。

「いやだ!」

 

少年はおどろいて手をとめました。

少女も初めて聞いた自分の声におどろきました。

「だけど、外に出たいんでしょ?」

それきり 少女は喋りませんでした。

少年も喋りかけませんでした。

ビンの蓋は閉まったまま、またいつもの暮らしに戻っていきました。

 

けれど、何かが変わりました。

ふとした瞬間に、少女の心にちょうちょや少年が思い浮かぶようになりました。

その度に少女は落ち着かない気持ちになりました。

心がざわざわして、じっとしていられなくて。

気付くと少女は泣いていました。

はたはたと落ちる涙を見て、おどろいて、けれど止まらなくて。

泣いて、泣いて、泣いて。

しまいには、大きな声を上げて泣いていました。

けれど、ちょうちょは来ませんでした。

少年も来ませんでした。

泣いても泣いても、少女は一人ぼっち。

そのうち少女は泣きつかれ、眠りについてしまいました。

そして、夢を見ました。

 

あたり一面の極彩色、まぶしくて目を開けていられない。

だんだんと目が慣れてくると、カラフルな光が動いているのがわかりました。

それは、あの美しいちょうちょでした。

見たこともない白い花畑の中に少女はいて、あたり一面にたくさんのちょうちょが舞っています。

空は晴れ渡って、太陽は白い花びらや鮮やかな翅を惜しみなく照らします。

「ほら、外に出てよかったでしょう?」

振り返ると、あの少年がいました。

少年は少女をまっすぐ見て、笑っていました。

白くやわらかに明るい、あたたかな光景でした。

 

そこで、夢はさめました。

 

目が覚めても さっきと同じでした。

ビンの蓋は閉ざされたまま、少女は一人ぼっち。

少年も、ちょうちょもいません。

だけど少女の心は違いました。

 

少女は立ち上がって、両腕を伸ばしました。

ビンの蓋の古びたゴムの感触、初めての感触。

そして、掌いっぱいに力を込めて蓋を押し上げました。

ぽんっ。

蓋は、拍子抜けするくらい簡単に外れました。

少しおどろいて、でも、本当はずっと知っていた気がする。

ひとつ大きく息を吸って、吐いて。

少女はビンの外へ、自分の身体を押し出しました。

渾身の力を込めて。

今あるだけの勇気を振り絞って。

 

勢いがつきすぎて、ビンの口から転げ落ち、膝から血が出ました。

肘も少しだけ擦りむきました。

ひんやりとした風が、できたての傷口をなぞりました。じんっとした痛み。

ふっと見上げると、少女と同じくらいの年恰好の女の子が少女を見下ろしていました。

アイロンのかかった質のよさそうなワンピース。

とかされてつやつやの長い髪は、上品なリボンできれいにまとめられています。

女の子は少女と目が合うと、ついっと視線を外して去っていきました。

その去り際は凛としていて、そして、少しいやな感じの笑みを少女は見た気がしました。

女の子が立ち去った向こうには、たくさんの、たくさんの人がいました。

幾人もの人が少女を一瞥しては去り、また一瞥しては去っていきます。

ビンの中にいた時と同じなのに、少女は落ち着かない気持ちになりました。

ふと隣を見ると ビンに映った少女がいました。

やせっぽちで頭はぼさぼさ、着古した服は、薄汚れていてよれよれです。

夢から醒めた時の気持ちはどこかに消えて、息苦しいくらいの、きゅうっとした気持ちが少女をビンの中へ押し戻そうとしました。

 

そのときです。

あの美しいちょうちょがビンごしに少女の目にうつりました。

上に下に、ふわふわと不規則に舞うちょうちょは、とても儚く、今にも消えてしまいそうでした。

少女はちょうちょに手を伸ばしました。

ちょうちょはゆらゆらと少女に近づき、やがて、その指先に止まりました。

ビンの向こうの美しいちょうちょは、近くで見ると翅が傷ついていたり、触覚が不気味だったり、決して完璧ではありませんでした。

だけど、そこに確かにいました。

軽い身体を少女に預けて、翅を休めていました。

指先にかすかに感じる存在に、少女は見とれていました。

 

「…大丈夫?」

目をあげると、あの時の少年がいました。

「大丈夫?」

もう一度、少年が言いました。

少女は何も答えられず、じっと少年を見つめました。

少年は少し困ったような顔をして、そして、笑いました。

少女は何も喋らず、ただ目から涙がこぼれ落ちました。

「え、え、えっと、ごめんね。大丈夫?」

そう言って少年は少女の前にしゃがみ込みました。ぽろ、ぽろと涙は止まりません。

「えっと、えっと」

あわてる少年を前に涙は止め処なくこぼれてきます。

少年は、はっと思いついて、そしてその小さな腕で少女を抱きしめました。

ぽん、ぽんっと少女の背中でリズムをとります。

「大丈夫、大丈夫。」

ぽろ、ぽろ、ぽろぽろ。

「大丈夫、大丈夫。」

ぽろぽろ、ぽろぽろ、ぽろぽろぽろぽろ。

「…うう。」

「大丈夫、大丈夫。」

とうとう少女は声をあげて泣き始めました。

わあわあと大きな声をあげて。

その声に幾人もの人が振り向きました。

そして変なものを見るような目で一瞥し、去っていきました。

少女の目はその人たちを捉えていました。

でも、気にしませんでした。

少年が気にしていなかったから。

少女がどんなに泣いても、たくさんの人が怪訝にふたりを見ても、少年は少女の背中でリズムを刻みながら、大丈夫、大丈夫と言い続けました。

それはやさしくて、子守唄のようで、どうしてか懐かしいものでした。

 

そうして少女はビンでの暮らしにさよならしました。

ガラスに囲まれていない世界は、思わぬところで怪我をしたり、どうしようもなく落ち込んだり、ビンの中にはない苦しさがあります。

それでも少女は知っています。

落ち込んだ気分を慰めてくれる美しい景色があること。大丈夫と言ってくれる人がいること。怪我をしたら包帯を巻いてくれるあたたかい手があることを少女は知っています。

だからもう、少女はビンの中では暮らしません。

ひとりぼっちのビンの中は静かでぶれなくて楽ちんで、誰かがいる何も介さない世界は騒々しくて振り回されることもたくさんあるけれど。

それでも、その世界にはひとりでは起こりえない楽しいことが、嬉しいことが、たくさん、たくさん、たくさんあるって知ったから。

だから、少女はビンの外で暮らそうと、そう自分で決めたのです。

 

けれども、これは内緒なんですけどね。

時々、ほんとうに時々ですけれど、とてもとても疲れた時、少女はビンの中に戻ってくる時があります。ひとりぼっちで過ごす夜があります。

そんな少女をあなたは弱いと思いますか?ダメなやつだと言いますか?まあ、それはどちらでも構わないんですけどね。

ただ、どんなに酷い顔でビンの中に入っても、よれよれでもう立てないと思っても、少女はまた、ビンの外へ向かうのです。少し決意をしたような、けれどやわらかい表情で。

その顔をわたしはあなたにも見て欲しいと思う。

あなたにもそんな風に笑って欲しいなって、そんなことを思うんですよ。

 

おしまい

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≪余談≫

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

何か感じていただければ幸いです、いや、読んでくださっただけでも有難いです。

良いお年を!

 

それでも面接が好き。 ‐企業と個人、どっちが偉い?‐

こんばんは、ご無沙汰です、さきこです。

連日の面接がようやく落ち着きました。といってもそんなにたくさん受けていないけど。

けれど、1社ずつちゃんと調べて、準備して、移動して、ちょいかっちり目の服着て、1時間前後の時間マンツーマンとかで話し続けるってやっぱり結構疲れます。

新卒就活の時、日に何件も面接してる友達いたけど、いや、まじすごいっすわ。

私、日に2件でいっぱいいっぱい。

転職でも新卒でも既卒でも、適宜休みつつ自分のペースでがんばりましょう、お互い。

 

さて、今回からはそんな真っ最中の「面接」のお話です。

新卒時を加えると今回で人生4度目の面接受けまくるターンです。…4回もしてきたのか、私。

私は面接が割に好きです。けれど、とても面倒くさいな、とも思います。冒頭で書いたけれど、疲れるし。だけど今回の面接ターンでは、面接終了後行ってよかったなあ、と思える会社ばかりです、今のところ。

とは言え、全ての面接で良い評価をもらっているわけではありません。

昨日会っていただいた会社では異様に汗かいて途中自分でも良くわかんない回答をしていたし、過去にはテスト後面接の会社で、面接官に結果を見ながら鼻で笑われたこともあります。恥ずかしいし、哀しいしで早く帰りたかったなあ、あの時は。

けれど、好きです、面接。好きになりました、回数を重ねるごとに。

何故だろう、と考えてみました。

答えは「面接は評価される場所ではない、と思えるようになったから」でした。

 

面接は、企業側が一方的に希望者を評価する場所だと思いがちです。

けれど、本来は相互に相性を確かめる場所なはず。

企業に求める人材像があって、希望者に求める職場像があって、お互いに企業研究や書類選考などを通して「この企業(人)は自分の希望に近いかも!会ってみたい!」と思いあって面接に至ります。

ただ、このアプローチ、始まりがどうしても希望者→企業になってしまう。

それは一般的に企業が個人を見つけるより、個人が企業を見つける方が容易いからです。

ネットが普及してからは、SNSで活躍している、人気ブロガーであるなど、目立つ個人に企業側からアプローチすることも昔よりは容易になったと思いますが、それらはほんの一部のお話です。

 

面接に至る流れは、個人が立候補をして、企業が承認をして、実際に会う、が一般的。

なので、どうしても企業側が主導権を握っているように感じてしまいます。

書類選考の時点で一度、企業が個人を選んでいるからです。

だから、私も新卒時、1回目転職時は特に「どうしたら企業に選んでもらえるか、他の候補者よりも優位に立つか」を最重要事項として面接を受けていたように思います。

勿論、その意識は大事なことです。どうしてもその会社で働きたいのなら、選んでもらわなければいけないので。

けれど、「どうしてもここじゃなきゃダメ」と、面接の前段階、要はコーポレートサイトとか転職サイトの情報だけ見て思うのはちょっとおかしいだろう、とジャスサーの今は思います。

それって、友達から異性を紹介してもらう時に、写メ見てちょっとした情報だけ聞いて「めっちゃ好き!この人以外あり得ん!」て思うのと一緒だよね、と。

 

企業に対してエントリーをする、というのは、友達に異性を紹介してもらって、「良さそうな人だし、とりあえず会ってみようかな」と同じだと私は思っています。

だから、面接は企業が個人を評価する場であると同時に、個人が企業を評価する場でもある。

つまり、繰り返しになりますが、相性の相互確認の場だと考えます。良く言われる「お見合いみたいなもん」というのはとても的を射た表現だと思います。

そもそもエントリーするかしないか、という段階で個人側も企業をふるいにかけていますから、書類選考でふるいにかけられるのもフィフティフィフティな気もするし。

 

つまり、何が言いたいかというと、面接で全ての企業に好かれる必要なんてないし、全ての企業を好きになる必要なんてないんだ、と気付けたら肩の力が抜けて面接自体が楽しくなったよね、ということです。

面接が緊張する、とか、怖いと思うのは、企業に好印象を持たれないといけない、選ばれなければ失敗だ、と思っていたからなのだと思うのです。

でも、現実は違って、好印象を持たれなくても、自分が職場に求める事、提供できること、この先仕事を通じてどう成長していきたいのか、という幼稚でも今の自分をちゃんと出さない方が失敗なのだと思う。

 

面接時の年齢が若ければ若いほど、採用担当の方は年上だし、人生経験も社会経験も豊富です。

どう取り繕ったって、背伸びしたって見透かされます。自分ではうまくできていると思っていても。

けど、豊富だからこそ、この人は本気かどうかなんて見ればわかるんだろうし、その上で、自社に向いているのかどうか、を判断してくれているのだと思います。

 

ただ、選ばれないことが続くと哀しいし、自分が何の価値もない人間に思えてきたりしちゃうんですよねー。ここで選ばれやすい領域で戦うか、自分を変えていくかの分かれ道がある気がします。

その辺りの事と、何故面接が好きになっていったのか、具体的な事を次回以降まとめていきます。

 

≪余談≫

ここ数日さぼっちゃってたので土日でリカバリー…するかもしれないし、しないかもしれない。

けど、つぎはぎだらけで格好悪くても続けていきますよ。がんばる。