アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

いつもと違うと

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いつもと違うと、ちょっと不便。


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いつもと違うと、ちょっと綺麗。


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いつもと違うと、ちょっとたのしい。


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いつもと違うと、ちょっとさみしい。


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いつもと違うと、ちょっと怖い。


いつもと違うと、いつもの風景がちょっとだけ違って見えて刺激になる。


けれど、私の「いつもと違う」は誰かの「いつも」だったりする。


住んでいる場所やライフスタイルによって「いつも」って変わる。


違う人の「いつも」に触れた時、いろんな発見がある。助けてもらえたりもする。


私の「いつも」を「いつもと違う」って感じる人に出会った時、手を差し伸べたり出来たりする。


雪みたいに見えるものだけでなくて、見えないものでもそうだ。


誰かの、私と異なる「いつも」が、いつだって私の刺激となっていろんな感情が生まれて、嬉しくなって行動したり、悲しくなって立ち止まったり。


だけど、刺激があるから面白いし、刺激があるからもうちょっと生きてみようって思う。


こきゅっ、こきゅっと雪を踏みしめながらほろ酔い気分でそんな事を感じた。


でも、明日はいつも通りに電車動いてほしいなー。笑

自分との信頼関係を築く

こんばんは、さきこです。

昨日今日と感情のアップダウンが激しくてしんどい。
今日は人に会えなくて、引きこもってこちらを完成させてました。

◯プレイバック・シアターロゴmovie

昨日、いろんな人に会って、SNSでやり取りをして、すごい笑ったし、すごい喋ったし、嫌な気持ちにもなったし、恥ずかしい気持ちにもなったし、期待外れなこともあったしで、今朝めっちゃ疲れてて、まあ、そんだけ感情揺れ動いたら仕方ないかなって思いました。
朝ごはんをぼーっとしながら食べて、食べすぎて、気持ち悪くて、でもまだ食べたい衝動があって、まあ、それも仕方ないかなって。
昨日頑張ったもんね、最近なかったもんね、いいよ、いいよ、みたいな気持ちでお菓子とか菓子パンとかおにぎりとか買いに行ったんですね。

お買い物の帰り道に、「で、何が嫌だったのかな?」と自問自答したんです。何に疲れちゃったの?と。内省しないと同じことを繰り返すことになるので。

その時に、ふと、思ったんですよね。
ああ、そっか、傷付いたんだねって。

嫌な感情になった時、私は反射的に相手を攻撃しようしたり、次の一手を具体的に考えます。
原因に対してすぐに対策を考えちゃう。
PDCAサイクルを回したくなる。笑

仕事だったらそれでいいんですよね。
むしろ超優秀ですよね。
なので結構仕事できるんですよ、私。笑

けど、心はついていけないんです。
事象に対する次の一手は、事象を動かすためには必要だけど、そこに私の心はないんです。事象の為なんです、全部。
心は置いてけぼりなんです。

なるほど、だから、気付くといつもどんどんズレていくのか…!
そのズレのバランスを取るために食べ物に走っていたんだ…!!と、発見。

実際に、そっかあ…傷付いたんだね。と思った瞬間、食べたい気持ちがなくなるっていう。笑
いや、これ、ほんとで、買ったもの全部食べなかったんですよ。
すごい機能ついてるな、私って思った。

何か困難にぶつかった時、どうしたらいいかなって対策を考えることは悪いことじゃない。むしろ大事なことだと思う。
けど、心を置いてけぼりにしちゃダメだなって改めて思った。
大人の私(行動)だけじゃなくて、子どもの私(心)も一緒に連れて行きたい。

とはいえ、生き方の癖みたいなものは身についてしまっているので、しばらく自分の為に時間をたっぷりと取って丁寧にやっていきたいな、と。

だから、今年の抱負は、
「自分との信頼関係を築く」

仕事とか結婚とか事象が気になるけど、事象ではなく心に目を向ける一年にしようと思います。
引きこもるって意味でなくね。
むしろ人によってはガンガン関わっていくので。笑
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

違うけど、おなじ

こんばんは、さきこです。

ここ数日、調子が悪く、予定が詰まっていたので誤魔化しながらやっていたのですが、やっぱダメだったみたいで今日はシャットダウンしてしまいました。

予定をごめんなさいをして、録画していたスイッチインタビューを見ていたら、込み上げてくるものがあり、めっちゃ泣いた。

最近、いろんな人の話、特に働き方とか生き方とか、を聞く機会が多くて。
とても楽しくて貴重な時間を頂いているなあ、と感じます。
それと同時に、他者の人生を聞くことが自分にとって価値あるものなのは何故なのか、と考える時間が増えています。
それは、個人的な趣味というよりかは必要にかられてなんだけど。

とは言え、全ての人の話を楽しく聞けるわけじゃない。人と会うのは好きだけど、この人好きだなって思う人もいればそうでない人も勿論いる。

私はどんな人の話が好きなんだろう。
ぼんやりとずっとあった問いに、何かに挑戦している(していた)人の話が好きなのかもなあ、と今日思った。

冒頭のスイッチインタビューはいとうせいこうさんと神田松之丞さんの回で。
松之丞さんは30代の講談師の方で、講談を知らない人たちに向けて、講談って面白いよ、といろんな試みをしているらしい。
先日お会いした職人さんは、何もないところから効率を考えてフロック加工という技術をオートメーション化した方だったし、療育について考え実践し続けている方にもお会いする機会を頂いた。
そういう、形として見えないものに挑戦している人たちに会うと、エネルギーの種みたいなものをもらえる気がする。

以前、そんなような話をしていた時に「僕は頑張っている人を見て、自分も頑張ろう!って思わない」と言われたことがあった。
矛盾しているようだけど、私もそう思う。
頑張っている人もいるんだから私も頑張ろう!って感じじゃなくて、挑戦と頑張るは同じようで違う、というか、なんというか。
その辺りがうまく言語化できずにいた。

で、今日、唐突に思った。
「差異の中にある“おなじ”を見つけた時、励みになる」という事。

私は完璧主義で、理想論者でせっかちだと思う。
イメージにある最善の形を実現できない自分を不甲斐なく思うし、口先ばかりになるのが嫌だし、すぐに目に見える形として実現できないような考えや思いは口にしたくないと思っていた、最近までずっと。

口先ばかりでも思ったことをちゃんと言えるようになったのはここ最近で、それは私自身がそういう自分を認められるようになったからだと思う。

矛盾していてもいいよね、って。

そうして口に出して、出し続けていたら「こういうイベントがあるよ」「こういう人がいるよ」って教えてくれる人が出てきた。
「その考え方、素敵だから一緒にこういうのしない?」と言ってくれる人までいる。そして何だか忙しかったりする。

口に出す前は、そんなことしたら非難されるだけだって思っていた。実際に非難まではいかないけど、それまでの人間関係では肯定されることはほとんどなかった。

私は私の理想とする形を目指して生きているんだと思う、明確に言語化はできないんだけど。
コミュニティなのか、ライフスタイルなのか、よくわからないけど、目には見えない、けど、何か素敵なもの。

「余裕」とか「やさしく」とか「あったかく」とか、そういうのが要素としてあって、今はまだ集めているところで全体像が摑めずにいる。

こっちの方向で何となく正しそうだ、と思っていても、やっぱり戸惑うことがある。迷子な気持ちになる時がある。

そんな時に、違う事柄であっても見えない何かに挑戦している人たちがいて、その人たちの言葉の中に、生き方の中に“おなじ”を見つけると嬉しくなる。
あ、大丈夫、正しいって思える。
灯台のようなものなのかも知れない。

そんなことを思いながら鎌倉〜江ノ島間をお散歩した2時間弱。
右足の土踏まず辺りの調子がおかしい。

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稲村ヶ崎からの夕焼け。サンセットには間に合わず、残念)

感想を今話題のレターポットでいただけると、すごく喜びます♡

三月のライオン事件

こんばんは、さきこです。

今日のブログ、その場の感情で書いていて、もう気持ちはすっかり落ち着いているのですが、せっかくなのであげます。(ごめんね、気を悪くしないでね)

さて、みなさんはアニメ見ますか?
わたしはオタクではないけれど、毎クールいくつかピックアップして録画して見るくらいには好きです。
ストーリーも、もちろん大事なのですがキャラクター動きが丁寧に描写されていたり(ハイキュー!のジャンプ前のグッと踏み込むとことか超好き)、背景の描き込み具合とか(新海誠が雲を描くとき上空の風速とか温度を考えて描くって言ってたのとかマジ素敵)、音楽と映像のマッチングとか(細田守作品はエンドロールの曲まで見切って完結だと思う。バケモノの子以外)、その辺りにこだわりを感じる作品が好きです。

ここ最近では、三月のライオンのオープニング(以下op)、エンディング(以下ed)が好きで、そこだけ何度も観たりしています。暇人です。
で、年末年始を挟んでクールが変わり、op、edが変わったんですね。

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(ちなみに文部科学省とコラボしていじめ防止取組の普及もしているらしい)

前のクールのopがすごい好きだったもので、これはもう保存版にしよう!とハードディスクのリモコンでコマ送りしてop部分だけ切り取って大事に取っておいたんですね、DVDに焼こうと思って。
それをですね、家族に消されまして。

いやあ、もう、ほんと腹立った!
アラサーだけど、たった1分半のアニメだけど!
文字にすると幼稚さ半端ないけど!!笑

でも、消された事実を知った時よりもむしろ、その後の家族の対応により腹が立ったんです。
ちゃんと謝ってもらえなかったので。
正確に言うと、“わたしがちゃんと謝ってもらったと思えなかった”ので。

いや、確かにね、消された衝撃から声も荒立ったし、動作も攻撃的になっていたとは思う(対物です。対人ではない)。
そこはわたしが悪い。けどさ。
言い訳とかじゃなくて、ちゃんと謝って欲しかったんだよね、わたしは。
いや、謝ってたのかもしれないけど、わたしに伝わってなかったの。

で、もうイライラするし、そもそもアニメ消されたとかで怒る年齢でもないし、そんな自分がふがいないやで出掛けてたんですけど。
いろいろ収まりつかなくて音楽聴きながらちょい早足で歩いていて、ふと、ね、改めて気付いたんです。

そうか、謝って欲しかったのか、と。
そうだよね、リモコンでカチカチ編集したやつ消されてそれを半笑い(に見えた)で謝られて腹立ったんだよね、かなしかったんだよね、と初めて自覚した。

今まで、こういう怒りってあんまり自覚したことがなかった。限界まで我慢をして、振り切れるところまでいって訳わかんなくなるのが常だった。小さな怒りには鈍感になってた。
今までだったら、腹立つ!もう知らん!!と家を出てブログに愚痴るのではなく、過食嘔吐に走ってた。
ああ、ちゃんと怒ることができるようになってる〜とちょっと嬉しくなった。
怒るの表現方法はまだ改善の余地ありだけど。

けど、こうして考えると、子どもってこうだよね。
腹立った!って暴言吐いて暴れて親に怒られて。
わたしの怒り表現レベルはまだ小さい子と同じなのだと思う。(因みに悲しい表現レベルも同じで暴れて泣きます。迷惑w)

で、感情の渦中の身から言わせてもらうと、昂ぶってる時にあれやこれや言われると、言葉の裏まで考えられなくて全部自分が責められている気になります。
感情を持つこと自体がダメって言われている気になる。ここに今までずっとわたしは囚われていました。

でも、感情を持つことはダメなことではないよね。
だって怒りとか悲しみとかあるから前に進めたり優しくなれたりするもの。(ピクサーでそんな映画あったな)
だから、まずは「そうだね」って受け止めて欲しい。

けど、これってかなり難しい。
親だって人間だし、近しい人間だからこそ互いに素直になれないものだ。
(話せるんだったらわたしだってこんなとこに愚痴らない)
そんな時にね、第三者がいるっていいなあって思う。収まりがつかない時間に付き合ってくれて、元気になった?って聞いてくれる相手がいるのは、すごく有り難くて最強のライフラインだと思う。
そういうのを、みんないくつも持ち合えたらいいよね。

それが、岡田哲也さんが提唱している「地球家族」なのかもしれないし、Chiaki Yoshihiroさんが始めた「お父さんバンク」なのかもしれないし、かっくん(井上和享さん)がやってる「プレイバック・シアター」の見守り役(観客)なのかもしれないし。

ひとりじゃしんどいから、子どもも、大人も、独身でも、既婚でも、障害を持っていても、疾患があっても、普通の人も、みんな少しずつ甘えあえたらいいよね。

そんな事を思った三月のライオン事件。
ちなみに今クールのop、edもとても美しいです!
さすがシャフト!さすがNHK!!
是非見てください〜そしてこの気持ちを分かち合おう〜。

概念の世界から出ておいで

こんにちは、さきこです。

大晦日ですね。いかがお過ごしですか?
わたしはおばあちゃんの昔話を聞いたり、アメトーーク!スペシャルを家族で見て笑ってたりしてます。平和。

年末、なんだかとっても慌ただしく過ごさせていただきました。
ニートなのにやることがあるってうれしいなあ、と人とのご縁に本当に感謝。

その中で、地元でお世話になっている方からもらった言葉がタイトルです。

『ブログ読んだよー。あなたはもう、ある程度、精神的には確立されてきているよ。概念の世界もいいけど、もう動いてみなさい。自分で実際にやってごらん。失敗してもいいから。』

タイミングすごくて神の言葉かと思った。笑
笑ったけど、でも、あったかくてうれしかった。

わたしは自分の内側だけでずっと生きてきた面があって。
だから、見た目以上に脆くて弱くて、そんな自分が大嫌いだった。
強くなりたいってずっと思っていて、とにかくなんでも闇雲にぶつかってきた。
泣いて、吐いて、調整して、挑戦して、そうしたら強くなるって思って生きてきた。

結果的に外面はほどほどに強くなっていったんだけど、内面はあんまり変わらなくて自分の中にどんどんギャップが生まれていきました。
ギャップが苦しくて過食嘔吐して、けどギャップで苦しんでいる、と気付けなくてまた外側だけ鍛えて、さらにギャップが大きくなって…というのが数年前までの状況だと思います。
いや、薄々は気付いていたんだけど、弱い自分を認めるのが怖くて。そこを見なくても何とかならないかなあ、と足掻いていた感じもある。

なぜ、怖かったのか。
弱い自分では、誰からも必要とされないって思っていたから。価値がないって思っていたから。
だから、誰からも嫌われたくなかった。蔑まれたくなかった。見くびられたくなかった。必要とされたかった。みんなの輪の中にいたかった。
どうやったらみんなと同じでいられるんだろう?
考えて、行動して、うまくいかなくて、また考えて。そうやって処世術を身につけていった。
そこには本音がなかった。
本音なんて要らなかった。
「その場にいてもいい自分」でいることが一番大事だった。

けれど、そんな生き方には限界があって、怖いし恥ずかしかったけど、自分の奥までずっと潜っていって見つけたものを言葉にする練習をずっとブログを通してしてきたように思う。
時に誰かを傷付けながら、自分も傷付きながら。
答えなんてなくて、終わりなんてないように思っていた。
それが、こんな風に誰かに認めてもらえるなんて。
意味のないように思えたことも、続けることで自分の支えになるんだ。初めて実感した。

彼女の言葉に後押しされて、来年は自分の「こうあるべき」を超えてみます。
思考を具現化した時、あまりのショボさに愕然とするのが眼に浮かぶけれど。
だけど、ひとつずつ、動いてみたいなって。
失敗もたくさんするんだろうなあ、とか、浮かれたり落ち込んだり激しくなるかもなあ、とかいろいろ思うところはある。
既にあるサービスや優秀な人たちに圧倒されたり、やはり甘い考えだったか…とまあ、もう既に思いそうなんだけど。笑
怖いし、不安だし、でもちょっとワクワクする。
アホみたいな生き方で笑える。
だけど、同時に素敵だなって思う。

2017年、皆さまにとってどんな年でしたか?
わたしは本当にたくさんの人と出会えた1年でした。うれしいこともびっくりするようなこともあったけど、めっちゃ楽しかった!
関わってくれた皆さま、本当にありがとうございました。みんな、大好きです。

今年のご縁を大切にして、2018年は現実を動かしていく年にしたいと思います。
すぐ挫折する気もするけど、まあ、とりあえずトライはします。笑

出会えた全ての皆さまが、穏やかに年を越せていますように。
来年も、どうぞよろしくお願い致します。

2017年、年の瀬に。
さきこ

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(近くまで行くのめんどくて門から撮ったら城、すげーちいさい笑)

リアルでもっと繋がるために

こんばんは、さきこです。

今、12/23に行われたイベントのレポートを書いているのですが、いやあ、なんか、すごいちょっとずつしか進まない。

◯Think Universal.×ヒューマンライブラリー 
(当日の様子、映像まとめたのわたしです。見て!)

誰かにちゃんと伝えようって思うと、「もうちょっと説明した方がいいかな」とか「この組み立て方でわかりやすいかな」とか考えすぎてしまう。
その点ブログは楽ですね。
感情の垂れ流しなので。笑

今日は高校生ダンス部の発表会見学に行ってきました。
高校とか久々、てか、普通の高校とかほぼ初めて。2000年代生まれの人たちだ…!JK…!!
ダンスは想像以上で、若さとパワーに圧倒されました。
学校の先生に「撮影は顔が見えない範囲で…」と言われていたので遠慮していたのですが、徐々に楽しくなってきちゃって最終的に最前列でバンバン撮るっていう。
だって、カッコいいコンテンツあったらカッコよく撮りたくなる、これ自然の摂理でしょ。
いろいろアングル考えたり、アオリで撮ってみたり、めっちゃ楽しんだ。
そうだ、わたし、映像撮ったり編集したりするの好きだったんだなあって改めて実感しました。

ダンスを見ながら思ったことがふたつある。
ひとつめは、「機会は平等ではないこと」。
わたしが通っていた高校は当時はまだ珍しい総合学科のある高校だった。
授業は全て自分で選び、時間割を組み立て、制服もなくて、大学生の時より大学生っぽい生活だったように思う。
高校には多目的ホールがあった。
200人くらい収容できるホール。
二階部分には調光室があって、ホールスタッフの生徒がいれば先生が立ち会わなくても使えた。
そこそこちゃんとした音響・照明のオペ卓があって、ピンスポットもあり、ステージ上を二階部分から観客を気にせずに狙える。
ステージ上には昇降式の舞台バトンがあって照明を吊って思い通りのライディングができた。カラーフィルムを使えば色だって好きに選べた。
そんな設備がルールを守ればお金はかからず自由に使えた。
こんな高校なかなかないよなあ、と思いつつも、当時のわたしたちにとっては多目的ホールは当たり前の学校設備だった。
でもそれが、今日ダンスを見せてもらった彼らにはないんだなあ、と。

ふたつめは「いろいろ、もったいない」。
今日繋いでいただいた方の関係で、以前幼稚園に行った時、園児たちの近寄り方がすごかった。
特にわたしはスケッチブックを首から下げていたので、「これ何?」「なんて書いてあるの?」「わたし読める!」と子どもたちが次々にやってきた。
そういうのが、今日はなかったなって。
年頃だからっていうのもあるんだろうけど。
けど、もうちょっと大人に興味を持ってみてもいいんじゃないかな。
…ん?……あっ!あんまり魅力的じゃなかったのか、わたしが!!
いや、まあ、それは否めないけども…。
それでも、少し話しかけてみるとかしたらいいのに。てか、話しかければよかったのか。
単純にわたしが話してみたかったんだ、彼らと。
感想を述べて「ありがとうございます!」って言われるんじゃなくて話を聞いてみたかったな。
「学校」という場に入ると、子どもたちにとって段々と大人は「評価する人」になっていく。
それがもったいない。
評価する大人もいる、けど、君たちと一緒に楽しみたい大人だっているんだよ。
もっと一緒に遊んでほしいなあってさみしくなったアラサーでした。

彼らを見ていて、若者ってすごいなって改めて思った。この時期特有のエネルギーがある。
このエネルギーをもっと掛け合わせたらおもしろいことになりそうだなってわくわくした。

例えば、高校生ダンス部×映像系専門生or大学生とか。それぞれの立ち位置で議論をしながらひとつの作品を作るの。
間に大人を交えて議論の仕方フォローしながらワークショップして作品作りを進めていく。
高校生は無駄にハイスペックな機材で自分たちのダンスを撮ってもらえるし、映像系学生はセミプロに近いダンサーの撮影ができる。
何より学校、年齢を超えて、作品を通して議論ができるっておもしろそう。
卒制にも使えるしね!

学校単位で固まるの、もったいないです。
いろいろなしがらみがあるのも想像できるけど。
繋がりたい声があって、繋がれそうなら、できる範囲でわたし介在するし、なんかできないかな。
やりたいなー。

クリスマスだから好きな事を自由に書いてみる。

メリークリスマス、さきこです。

ホリディクリスマス、みなさまいかがお過ごしですか?

わたしはここぞとばかりに一日引きこもっていましたw

休みの日のクリスマスに外出とか無理ww

そんな引きこもりの一日をただダラダラと書くだけのブログです、今日は。

 

午前中は、溜まっていたアニメとドラマをひたすら見ました。

今期アニメ、わたし的にかなり良くて。

観てるのは「三月のライオン」「魔法使いの嫁」「血界戦線」なのですが、もうね、映像の美しさに癒されます。

op、ed飛ばして観ちゃうタイプですが、この3本についてはop毎回飛ばさず観てます。血界戦線に関してはedまで観きる。

一番好きなのは三月のライオンのopで、零ちゃん(主人公の男の子)がガードレールを飛び越えるところから川面を駆け抜けていくまでの描写なのですが、鉛筆で書かれたような柔らかい線と水彩っぽいやさしい色合い、自然な動作のアニメーションが最高なんですよね。今日3回くらい見返しちゃった。youtubeに上がっていないのが残念。是非放送見てください。

 

3lion-anime.com

 

午後からは頼まれていた画像編集とか、頼まれてないけど楽しくなっちゃた映像編集とかしてました。

やっぱ、何か、表現って楽しい。

(Think universal.のFacebookページから見れます。見て欲しい、是非。)

www.facebook.com

 

そう言えば、昨日イベント終わりの忘年会でブログについて褒めてもらった。どうしたらそういう文章が書けるの?みたいな事も聞かれて、すごく嬉しかった。

その時は恥ずかしさもあってさらりと流したんだけど、改めて考えてみた。

 

わたしの表現の根底には、わたしの好きなものの影響がある。

今、ぱっと浮かぶのはBUMPと齋藤陽道さん。

BUMPはね、もう、ほんと毎回新曲出るたびに泣きながら聴いているから。

藤くんの歌詞に毎回心揺さぶられています。

しかも、その時々のわたしの気持ちや状況に対して的確に突いてくる。

藤くんはわたしのために曲を書いている、と全バンパー(BUMPファンの事ね!)が思うようなことを普通に思う。

今日の午後エンドレスでリピートしていたのは「リボン」。

 

www.youtube.com

 ここはどこなんだろうね

どこに行くんだろうね

誰一人わかっていないけど

側にいる事を選んで 今側にいるから

迷子じゃないんだ

 

たのしい、けどそれだけでいいのかな、と最近よくそう思う。

このまま進んで行けそうだけど、いったいどこに行くんだろう。

不安だってある。

そんな時に「迷子じゃないよ」と言ってもらえると安心する。

自分で選んだ今に自信を持とうって思える。

 

齋藤陽道さんはろう者の写真家さん。

彼の文章がわたしはすごく好きだ。

note.mu

日常や自分の心の動きをのそのままを、まっすぐに言葉にしようとしている。

彼の著書「それでも それでも それでも」のあとがきは音読するくらい好き。

 

たったひとつのそれだけを見る。

一瞥しただけでわかったつもりにならない。

一方的に言葉をあてこむこともしない。

それまで培ってきた価値観を頼りにしない。

その存在と、ただただ出会う。

なにごともおこらないその鮮烈さをもって、素朴にただ出会う。

そうすることで、その奥からやっと浮かぶものがある。

それを待つ。それをこそ見る。そして撮ってきた。

自分の写真においての行いを、そういうふうに思っている。

 

彼には、同じくろう者の奥さんと、聴者の2歳になる子どもがいる。

彼がSNSで、子守唄を歌っていた自分に驚いた、と言っていた。

そういう発見もあるのだな、と思う。

異なることは困ったり、不便だったり、時には生死にかかわることもある。

(泣き声が聞こえなくて子どもの異常に気付けない、とか)

それでも、異なりがうれしい、と彼は言う。

その表現が、すごく好きだ。そう心から言えるようにわたしもなりたいなって思う。

 

わたしは自分の気持ちを他者に伝えるのが怖い。

言葉にしようとすると涙も一緒に出てきてしまう。

だから、上辺だけで話すことも多い。

泣かないで話せる範囲の言葉で済ませてきた。

コミュニケーションには困らないし、それなりにたのしい。

けど、やっぱり、その先に行ってみたい。

そんなことを思う聖なる夜。

これからのわたしに、期待。