31歳のキャンパスライフ

31歳、独身、実家暮らし、通信学生社会人の日常日記です。

人の目や世間体を気にするようになったのはいつからだろうか ‐後編‐

こんばんは。さきこです。

さて、今回は前回からの続きです。テーマは二つ。

 

・人の目を気にしなくなったのは何故なのか

・「戸惑い」という言葉について

 

順番は前後しますが、まず「戸惑い」について考えてみようと思います。

我が家にあった小学校の頃の国語辞典によると、

 

とまどい:とまどうこと。

とまどう:まごつく。どうしたらよいのかわからなくなる。

(株式会社 日本標準「改訂新版 国語学習辞典」より)

 

ちなみに、「まごつく」は「どうしてよいかわからなくてこまる。」という意味です。

次に、何か問題に直面した時の、解決までの道のりをわかりやすくビジュアル化してみます。

 

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私の場合、この「戸惑い」→「考える」の時間がとても速いようです。

「とまどっ、はい、考えよー!悩もー!」みたいな、若干食い気味な感じ。何故かというと、「戸惑う」というよりかは、「戸惑うような出来事があること」が悪いこと、恥ずかしいことだと思っていたからです。

 

前編で、私は社会性の発達が人よりも少し遅かったようだ、と書きました。社会性の発達が遅い、ということは、社会の中で当然とされるようなルールや知識、流行に対してのアンテナが低い、という事になります。

友達はみんな当然知っているのに、知らない、恥ずかしい。結果、「知ったかぶり」をよくしていた気がします。もちろん、ずっとそのままだと嫌われるし、自分に引け目も感じるので、改善すべくかなり努力したと思います。

その為には、問題発生から解決までの時間を早くする必要がありました。戸惑っている暇なんてなかったのです。

 

そして、そのまま成長しました。同じようにスピード第一!で対応を続けていました。関わる人が増えるにつれ、解決法が多様であることを知りました。自分とは異なる価値観にも触れました。自分の出した答えより素敵な答えがあることも知りました。羨ましい、とか、悔しい、とか、そういった気持ちからもう一度考え直そうとしては悩む、という無限ループに落ち、結局その問題を見ないようにすることもありました。

学生の内はまだ、それでよかった。時間がたくさんあったし、なにより解決しなくて良いことも多かった。合わない人とは距離を置けばいいし、異なる意見に耳を傾けなくてもそれなりに生きていけます。どんどん生きにくくはなるけれど、自分を変えるまでの必要性はなかった。

けれど、社会に出るとそうはいかなくなりました。合わない人とも仕事をする状況にはなるし、無限ループに浸っていられるだけの十分な時間はなくなる。けれど自分は変えたくないから、その場で取り繕ったり、睡眠時間やらを削ったり。結果、プツンとスイッチが切れてしまう、そんなサイクルを続けていました。で、もう、それはいい加減しんどいな、と自分の見直しをしました。

 

そもそも、答えを考え直す余地のある問題には、幾通りもの答えがあるのだと思います。正解など無いのかも知れません。だからこそ、考え込んだり悩んだりするのですが。

ただ、その時のベストアンサーは導き出せると思うのです。その時に「戸惑う」をしっかりと経ていないと、いや、でも、と再び、考える&悩む無限ループに取り込まれてしまいます。

何故なら、その問題の何に困っているのか、自分自身が理解していないからです。

 

「戸惑う」は前述した通り、どうしたらよいのかわからなくなる「状況」です。一方、「悩む」「考える」は以下のように「感情」に近いものだと考えます。

 

なやむ:①心配して苦しむ。②病気などで苦しむ

かんがえる:①頭の中で、あることについていろいろと思いをめぐらす。②あることについて、心を決める。③いろいろと工夫して思いつく。

(株式会社 日本標準「改訂新版 国語学習辞典」より)

 

「状況」は、物事のありさま、様子を説明する言葉です。これは客観的に把握することが可能です。一方、「感情」は、物事によって引き起こされるものです。主観性が強く、多様な広がりがあり、客観的に俯瞰することがなかなか難しい。

ここで考えます。

「戸惑う=状況の把握」と「考える、悩む=感情の把握」、どちらの方が答えに辿り着きやすそうだろうか。

私は、感情の海の中でぐるぐると悩むより、複雑そうに見えても状況を細分化していって、解決に結びつける方が簡単そうだし、早そうだな、と思いました。

今までの自分のやり方(戸惑いはすっ飛ばしてとりあえず考える!)をやめよう、と。

そもそも「戸惑い」が恥ずかしいと感じていたのは、戸惑う=停滞すると思っていた節があって。けど、結果的に、問題→解決までスピーディに行えるのなら私は構わないようなのです。

最終的には考えたり、悩むのですが、多面性のある問題そのものに戦いを挑むより、その問題のどこに戸惑ったのか、を明確にしてからの方が勝てそう。だったら、しっかり戸惑おうじゃないか!という思考に今なっています。

そして、戸惑うことが出てくるたびに、「私まだこんなことで戸惑ってんのか、笑える~、ぷぷぷぷ~」と思いたいです。

そうは思っても、なかなか実行するのは難しいとは思いますが。少しずつ、やっていきたいです。

 

さて、なんだか、長くなってしまったので、「人の目を気にしなくなったのは何故なのか」はまた次回にします。とりあえず、今日はここまで。

 

≪余談≫

今回のお話、もっと具体例とか入れてわかりやすく書ける予定だったのですが、例を入れたら長くなるし、とか試行錯誤しているうちに疲れちゃいまして。で、えらい抽象的になっちゃいました…そして、論理破綻している気もしないでもない。。

ただハローさんから「それって戸惑ったんじゃない?」って言われたときに、「戸惑うって、なんて素敵な言葉!」と思った事を書き留めたかったのですが。何となくわかった気がしたものを言葉にするって難しいですねえ。