アラサー女子のジブンさがし

31歳、独身、彼氏なし、貯金そこそこ、実家暮らし女子の雑感です。暇つぶしにどーぞー

自分を大切にする方法はそれぞれ 〜転職から半年たっての考察/後編〜

こんばんは、さきこです。

駅ナカの本屋さんで朝から店員さんが三月のライオン新刊の呼び込みをしていたので思わず購入したのですが、疲れすぎて読む気になれないっていう。今週は何やら忙しい。明日でひと段落、乗り切ろう。

さて、子どもと関わる仕事がしたい、と昨日書きましたが、なんで子どもなんだろう?と改めて考えたら、別に「子どもだから」じゃないのかも、という答えが出ました。
というか、わたしは彼らと「大人と子ども」という関係で接している訳じゃないな、と気付きました。

少し遠回りして話します。
昨日のブログで書いた「知識や知恵を習得する順番が、体験→体感→理解」ということ。これって非常に非効率なんです。
実際に身体を動かす前に頭が少しでも働く人なら「あー、これすごい疲れる(苦手な)やつだ、やめよっかなー(少し手え抜こうかなー)」と思う事にも「とりあえず全力で体験!」ってなるんですよね。
いろんな経験を経て、実行前に少し考える時間を持つ意識はできるようになったけど、今でもその傾向は強くて、だからすごく生きづらさを感じることが多かった。
毎日のように傷付くし、感情の振れ幅が大きくて自分自身も苦しいし、自分のアップダウンで周りを巻き込んでしまっている(と感じる)ことでまた落ち込むし。
そんな自分の特性に対して、無闇に壁にぶつかって、力の限りで行動して、いっぱい泣いて、悩んで、落ち込んで、それでも、と這い上がっていくしか、とにかく動くしか、わたしは方法を知らなかった。
そうしてアラサーになった今、やっとなんとか適度に生きる術を身につけられ始めています。

体験→体感→理解が一番知識や知恵を習得しやすい。それは間違ってないです。間違ってないけど、疲れるのも確か。けど、ちゃんと得るにはそれしかないんだよなあ、わたし…と考えてふと思う。

生きてく上で、全ての物事に対して知識や知恵を得なければいけないわけでもないよなー、と。

…あ、そっか、自分にとって必要なものに対してだけ行えばいいのか!(今更)

そう思えてからだいぶ楽になりました。
今更と思えるこの取捨選択が出来るようになったのは、本当にごく最近です。

で、子ども云々の話に戻るんですけど。
子ども、というか、過去(つい最近までだけど)の自分に似た人の手助けがしたいなあ、というのが始まりなんですよね。だから、

・真面目すぎて
・ピュアすぎて
・がんばりすぎちゃう

そんな人たちに関わって生きたいなあ、と。そして、できればその人がご機嫌に生きられるこれからの時間が長いといいな。
その考えから「今、生きづらい子どもたち」に辿り着いたのだと思います。

平井堅の歌にこんな言葉があります。

“何の取り柄も無いからさ
淋しそうに君は少し笑った
諦めたものを数えて  その声は小さくなった
あぁ  その胸の隅っこに
ふてくされた希望を隠してるなら
そいつと手を組んで  あの青空まで
一緒に飛ばそうよ”
平井堅「君の鼓動は君にしか鳴らせない」

子どもたちが時々言うんです。
「できないからやりたくない」
「自分はバカだから」
「どうせそう思ってるんでしょ」
ちいさな身体で、何をたくさん諦めてきたんだろう。他人と自分を比較して、比較されて、どれだけ苦しかったろう、悔しかったろう。
それでも、まだ、ふてくされていても希望があるのなら、まだ、大人を信じてやってもいいかなって思ってくれるなら、いや、思ってくれるようにアプローチしていきたい。

自分で書いていても綺麗事だと思う。
彼らにとったら迷惑な話かもしれない。
わたしのエゴだと思う。
だから、押し付けない。
だけど、ここにいたい。
いられるだけの努力をしたい。

“意地や恥ずかしさに負けないで
心で正面から向き合えるよ
僕らを結ぶリボンは  解けないわけじゃない
結んできたんだ

君の勇気を  僕がみれば  星だ
並べても同じでありたい
あぁ  ここはどこなんだろうね
どこに行くんだろうね  迷子じゃないんだ”
BUMP OF CHICKEN「リボン」

どんなにささやかでもちっぽけだと思われる事でも、勇気を出した行動に気付きたい。一緒だねって同じ目線で立っていたい。

転職して半年。なかなかいいところに来たじゃないか、と思う。