アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

感じる、まとめる、理解する

久しぶりに企画書を書いている。

たまに書くと、たのしい。


限られたプレゼン時間の中で、先方にどう表現したら伝わるのか、を考える過程には、自分たちが一番伝えたいとこは何か、そして、わたし自身が大事にしてるものって何なんだろう、と考えることでもあるなあ、と。
そうやって普段は散らばっている思いや考えをまとめる作業は少し大変だけれど、新しい気付きやすっきり感があって、たのしい。


紙の上という限られたスペースに、見やすく伝わりやすく文字や絵を配置するために、削ぎ落として、削ぎ落として、ちょっと付け加えて、また削りながら整えて。

 

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両育わーるど、というNPOに関わり始めて1年ほど経つ。それまで人生においてNPOと全く関わりがなかったのに、いつの間にやら行き着いて、今ではすっかり当たり前になっている。
ゆるくゆるくなので力になれているとは言い難いけれど。


大きく動いているプロジェクトで「Think Universal.」というのがあって、それは、障害、難病、希少疾患当事者の存在をおしゃれに提示して、抵抗感なく知ってもらおう、というもの。

 

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関わり始めた当初は放課後等デイサービスで指導員をしていたけれど、今は全然関係ないし、当事者と関わることも少ない…少ない?
少なくはないのかな、とここまで書いて、ふと思う。


両育メンバーには何かしらの障害や疾患を持っている人もいて、区分けするなら「当事者」なのだと思う。
…でもなあ、しげさんはしげさんだしなあ、と思う。
当事者っていうか、しげさんだよなあ。


関わっていく中で、障害理解ってなんだ、合理的配慮ってなんだって、考えていくとどんどんよく分からなくなって、自分自身だって苦しいのに…!と思う人の気持ちもわかるしなあ、かと言って、だから障害のある人にはやさしくしないといけないんですね!っていうのも、うーん、なんだろな、うーん…となる。


でも、そうか、書いていてなんとなく、こういう社会だったらいいな、というわたしなりの思いがちょっと見えた気がした。


脳脊髄液減少症のお兄さん、ではなくて、しげさん、となった瞬間がきっとどこかであって。
ゆるゆると、だけど、一緒にイベントをしたり、ビジョンやミッションを話し合ったり、ごはんを食べたりする中でそれはあって。
そういう瞬間を感じる人が、当事者と呼ばれる人、健常者と呼ばれる人、双方に増えていったらいいな。
〇〇な人、ではなくて、〇〇さん、として相手を認識する、そういう関わり。

 

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障害や病気をわたしは個性だとは思わない。
ぱたりと連絡が取れなくなった時、きっとわたしが想像もつかない痛みや苦しさの中にいるのだろうな、と思うと、彼や彼女にとってそれがなかったならどんなによかっただろう、と考えることもある。
けれど、その苦しさを抱えた上で、それでも外へ、それでも未来へ、と進んでいく姿はとても格好良くて、勝手ながらすごく背中を押してもらっている。
それは今まで出会った当事者と呼ばれる人みんなそうで、社会活動してるとかしてないとかは関係なくて、だから当事者総活躍時代を求める訳ではない。
苦しさの中で一歩も動けなくなる時間を、少なからずわたしも知っている。
それでも、生きている、それはやっぱりすごいことだ。

 

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まとまりがなくなってきましたが、Think Universal.鋭意活動中です。最近ではThink Possibilityという活動もはじまりました。
気になった方は是非一度、覗いてみてくださーい!


Think Universal.
http://think-universal.org/


両育わーるど
http://ryoiku.org/


feese(Think Possibility
https://feese.jp/