アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

枠に苦しまなくていい

年明けくらいに、五感セラピーでやっていく!って思って、ひと月くらい突っ走って、転んで、イヤイヤ期に入りました。今、少し落ち着いて、またちょっとずつ自分のペースでやっていこうと思い始めたところです。


ブログを書きたくて、けれど、どうやって書いていたのかわからなくなって、書いては消してを繰り返していました。


書きたい!でも、書き出してみては何か違う…表現したいって思うのに、うまくまとまっていかない、水分の足りない小麦粉みたいにこねてもこねても形にならない。


ああ、でも書きたい!とここ最近の記事を読み返して、ああ、わたし、なんてやさしい文章を書くんだ…!とひとり泣いてしまいました。笑


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こういうことを伝えたい、と頭で考えて構築して理路整然と伝えようとすることは、相手にとってもわかりやすくて、情報として質の高いものなのかもしれません。


でも、わたしは、実は結構そういうの、苦手で。


けれど、『伝えたい』ことは、そうやって頭でちゃんと構築していかないと伝わらないものだって思ってた。


だから、五感セラピーをお客様に提供する立場に立とうとした時、伝えたいものって何ですか?と聞かれたとき、「そんなものはない」って反射的に思ったのかもしれない。


伝えたい、を相手に届けるためには、わかりやすくなければならない。相手がどう受け取るかを考えて発信しなければならない。
そんな変なしがらみがあった。


でも、そんなものなくても。
伝えたいこと、ちゃんと思って書いたものには、ちゃんとそんな想いがのるんだ。
やさしいやさしいしあわせな気持ちで書いたものには、ちゃんとやさしさやあたたかさを感じられたから、大丈夫なんだって思った。

 

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枠で苦しまなくていい。


それがわたしが伝えたいこと。
世の中にあるたくさんの枠、役柄。
無理にできるふり、しなくていい。
無理にはみだそうとしなくてもいい。


ただ、自分があって、他者がいて、枠があって。

それだけ。


枠は環境や時代で変わるし、その時々ではまったって、はまらなくたっていい。


世間の基準に支配されなくていい。
世間の基準を都合よく使えばいい。
適度なものが今はまだないのなら、自分で開拓していったっていい。
それを馬鹿にする人がいたって放っておけばいい。
自分が本当にしたい、と思うのなら何度だってトライすればいい。


けど、その為の練習をわたし達はあまりにもしないで大人になる。
小学生としての振る舞い、中学生として、高校生としての…年齢による世間の枠で長年生きてきたから、どうしたらいいのかわからなくなってる。
世間がつくった枠を、節目節目で右か左かを選ぶだけが多かったから、自分で枠をつくろうなんて考えたこともなかったし、考えたところで作り方もわからない。


試行錯誤しながら、ほこりだらけになって、必死で頑張っても既存のものになんて到底及ばなくて、比べて、世間の目が気になって、やっぱりまた…と自分を鼓舞して、既存の形に押し込んで、既存の気持ち、既存の表情、既存のステータスを身につけていく。


既存が悪いわけではもちろんない。
既存をそのまま着こなせる形で産まれた人はそれで全然いい。スタイルがよければユニクロだってかっこいい。


でも、ユニクロが似合わないのに無理に着続ける必要はない。ユニクロを着こなすために自分を変えていくのもありだけど、違うブランドを試してみたって、自分で作るまでいかなくても、アレンジしてみたって全然いいのだ。


枠はあくまで枠に過ぎない。
枠があったほうが、たくさんの人が一度に生きていく上で効率が良かったりするだけだ。


枠を使ってもいいし、使わなくてもいい。
試してみて合わなかったら次にいっていい。
合わなかった自分を責めたり、必要以上に落ち込んだりしなくていい。
そういうもんだ、と進めばいい。

 

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そういうことをわたしは大人になるまで知らなかった。
こうでなければいけない、こうせねばならない、にいつの間にか侵食されて、苦しめられてきた。


それが本当に本当に苦しくて、でもそんなもんだって思って、頑張らなくちゃって走って、病気になって、あーもうダメだって思う日々が何年もあって、試行錯誤して、「枠にこだわり過ぎなくていいんだ。カスタマイズしていいんだ」とやっと気付けてきたのだ。


当たり前な事なのかもしれないけど、わたしはずっと気付けなかった事。


同じように苦しくなっている人がいるなら、わたしはこうだったよが参考になるなら、繋がってみんなでハッピーになりたい。


そして同じように苦しむ前に、子どもたちと接する機会があるなら、少しずつ伝えていきたい。
学校が全てじゃないよって。
親御さんからしたら迷惑なのかもしれないけど、いろんな大人がいたっていいと思う。子どもはもっと、いろんな大人と触れ合っていいと思う。

 

 


大人、とか、子ども、とか。
健常、とか、障がい、とか。
枠で区切って互いの交流がないのもかなしい。
いろんな枠を行き来すること。
それがもっと当たり前に、スムーズにできる社会であったら、もっときっとたのしい。


そんな世界は、もっときっと社会的な成長もあるはず。
だって、みんながそれぞれ、自分の一番いいパフォーマンスで無理せず動いていけるんだから、結果的に効率がいいと思う。


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そんなことを思うゴールデンウィーク
だから、きっと、日焼けした花嫁だっていいと思うのよ、と日焼け止めをせずにお外で遊んで、また一層こんがりしたなあ、と鏡を見ながら思うのです。
白無垢、大丈夫かな…

 

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