アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

迎えてくれる人がいること

週の頭からから体調を崩していまして。
風邪で2日間会社を休む、という初めての経験をしました。今もまだ鼻声で、薬が手放せない状態。
なので、週末はおうちでゆっくり、休養が必要だったと思います。
















でも。




私、今、下田にいます。
レンタカー借りて、1人で、4時間弱かけて来ちゃいました。笑


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結果はね、もう、さいこーです。
ラストサマーを満喫です。



今回は、娘のように可愛がってくれているご夫婦がペンションを閉めて名古屋に帰るとのことで、その前に、と来ました。
都合が合う日がここしかなかったんだけど、奇しくも下田の一大イベント「Big Shawer」の日で。
昨日は昼間っからビール飲んで、海辺お散歩して、夜にはお好み焼きパーティして…


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さいこーかよ。








更には最近移住されてきた素敵なご夫婦と出会えて色々お話聞けたり、近所のペンションのママのところにふらっとお邪魔したらお茶に付き合ってくださるし。






さいこーかよ、ほんと。




週の頭、体調も悪いし、気持ちも不安定で、「あーあ、また逆戻りか。結局こうなるのね…」なんてマイナス思考も少しずーつ浮上して来ていて。
今、もう、ほんと多幸感でいっぱい。



下田の母には「太ったね!笑」と言われたけどね。
それでも変わりなく「いらっしゃい」と迎えてくれる人がいる。
あーーーー、しあわせだなあ。




見切り発車ばかりの人生にも、思いがけないギフトがあるものです。



そして、旅の最後に事故って、今、人生初の現場検証待ちです。笑
果たして帰れるのか!?笑
お腹すいたよー

大きい仕事と、小さい仕事

数年前にデッサン教室に通っていた。

辞めてからもう、随分たつからデッサンの描き方はすっかり忘れてしまったけれど、先生から貰った言葉は残っている。

その一つが「大きい仕事と、小さい仕事」だ。
大きい仕事は、キャンバスに大体のあたりをつける作業のこと。全体を見て、バランスや濃淡を決める。
小さい仕事は、キャンバス内の一部に目を向けて、モチーフの質感や立体感などを描き込んでいく作業のこと。
この2つの仕事を繰り返し行っていくことで、バランスのとれた美しいデッサンになる。どちらかの作業に偏ってはいけない。行ったり来たりする必要がある。
大きい仕事ばかりしていると、大枠を撫でるだけで確信に切り込めない、なんともぼんやりしたデッサンになる。
小さい仕事が多くなると、その部分しか見れなくなって、細かい部分の修正に次ぐ修正で、気付いた時にはアンバランスなデッサンになる。

この原理はいろんなところに使える。
仕事だったら、目先の業務ばかりに追われていて、数年後のビジョンが描けずにいつまでたっても成長できず、逆に衰退するか限界がくる。
恋愛であれば、昨日今日のLINE通知ばかり気にしてしまい、相手の愛情を疑ったりして勝手に疲れて人生の伴侶を失うかもしれない。

行き詰まった時、わたしはこの言葉を思い出して、自分のパワーバランスを見返したりする。
こんな素敵な言葉をくれた先生に感謝だし、何よりずっと絵を描くことをやめなかった自分に(そして続けさせてくれた両親にも)感謝です。

小さい頃から絵画教室に通わせてもらい、なんだかんだでゆるりと付き合いのある「絵を描くこと」。特別うまいわけではない。それで食べていきたいと若い頃一瞬思ったけど、そこまで没頭するでもない。
要は「無駄なこと」として切り捨てられるものの一つです。
だけど、それを続けていたおかげで、壁にぶち当たった時に自分に戻ってこれる言葉を得た。

子どもたちと接する中で、学校の勉強なんてやったって無駄!絵なんて時間の無駄だよ、描きたくない!(絵日記書いてる時)と言われることがある。
それも、一理ある。
平方根の整数部分の計算なんて社会に出てから使ったことないし、「ありおりはべりいまそかり」はもはや呪文だ。
だけど、ね。何が君たちのこの先を助けてくれるかなんてわからないからさ、大人はとりあえずは提示するんだよ。

世の中にはいろんな人がいるから、わたしが好きなお絵描きがこの世からなくなればいいのにって思う人もいるだろうし、わたしが理解できない数式の定理を美しいと感じる人もいる。

君がどうなのか、君自身もきっとまだわかってないでしょう?

わたし自身も最近ようやく、こっちかなあと思えることが多くなってきたくらいです。
だからね、文句言いたくなる気持ちもわかるけど、まずはちょっとだけでいいからやってみて欲しい、なんでも。
学校の授業についていけなくてもいい。でも、教科書はチラ見してみてよ。少しでも不思議だな、とか、なんだこれ?とか思ったら答えてくれそうな大人に聞いてほしい。完璧な答えは出せないかもしれないけど、一緒に考えてくれるはず。
いろんなことを知ってみようとすること、間違いでもいいから自分の頭で考えてみること。
そうすると、いつしか自分の興味が見えてくる。おもしろい、たのしい、と思えることができてくる。
その先の未来には、同じ興味を持った人と、同じ言語で話せる、考えあえる嬉しさがある、とわたしは思う。というか、わたしはあったよ。

いろんな状況の中で、子どもが諦めてしまう前に、諦めてしまった後でもまた戻れるように、サポートできる大人でありたいな、と思います。

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(最近ハマっているハライチの岩井さん)

家族だからって分かり合えなくていい

わたしと父は考え方がけっこう違う。

わたしは感覚的な考え方で生きていて、父は論理的な考え方が好きなようだ。

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横浜トリエンナーレの展示。なんとなく家族っぽかったので)


ちいさい頃、父に遊んでもらった記憶があまりない。写真では残っているので単に忘れているだけだと思う。
一般的な基準より背が高く、仕事に邁進する父がわたしは怖かった。
と、いうよりあまり家にいないので、どう接していいのかわからなかった。
無条件に、そして分かりやすく溢れ出んばかりの愛情をくれた母とは対極の人。
同じ屋根の下にいても、どう接したらいいのか、どうしたら愛してもらえてることを確認できるのか、わからなかった。

大きくなるにつれ、どうやら父は論理的に話すことを好むのだ、と子どもながらに察した。
具体的にはうまく言えないけど、どうやらこういう風に(論理的に)話せば、父はわたしを見てくれるらしい。
とは言えどんなに頑張っても経験や年齢の差には敵わず、いつも途中で嫌になって拗ねていた。

それは、おかしい。それは、違う。それは、間違っている。

そこまで、父が実際に言ったかは覚えていない。けれど、そう言われているとずっと感じていた。
その感情はわたしの外に出ることなく、蓄積されていくうちにこんな風に変わっていった。

お前は、おかしい。お前は、違う。お前は、間違っている。

かなしかった。さみしかった。
けど、自分の気持ちをうまく表現できないわたしは距離を取ったり、知らんぷりしたり、怒ったりすることしかしなかった。

かなしかった。さみしかった。
その裏にあったのは、認めて欲しい、という気持ちだった。
だから社会人になって、意図せず企画の仕事についた時、論理的に話す必要に迫られて鍛えて少しだけ力がついた時、父がわたしの言葉に耳を傾けてくれるのが嬉しかった。
わたしの意見に、時には納得してくれると言い難い充実感があった。
けれど、やはり向き不向きはあるようで、その仕事は長続きしなかった。
論理的に考えられないわけではない。必要性もわかる。けれど、わたしの行動はずっと感覚と直結していたし、感覚で動く方が失敗もたくさんあったけど得るものも多くて、何より楽しかった。

父の考え方が悪いのではない。わたしのとは違うだけ。
優劣ではない。違うだけ。
どっちも必要で、どっちも一緒に存在できる。
考え方なんて違っても、愛してもらえる。
所詮、その人の一部にすぎない。

日本男子は愛情表現が苦手というけれど、父は例に漏れずで、わたしはずっと不安だったのだと思う。愛されたかったのだと思う。

かなしかった。さみしかった。
認めて欲しかった。
愛してほしかった。

この歳になってから、この歳になったから、父と話す機会が増えた。
話していくとわかることもあるし、思い出すこともある。
遊んでくれた思い出、嬉しかった言葉。
それが本当に正しい記憶なのかは曖昧だけど、あたたかい気持ちになるのは確かです。

考え方が違っても、一緒に暮らせる。心配しあえる。労わりあえる。励まし合える。
四六時中ではないけど。嫌な時だってあるけれど。

こう思えるのは、自分の軸がしっかりしつつあるから。
誰になんと言われても、身内にやんや言われても、それでも「これはわたしにとって、とても大事にしたいもの」があるって、何よりもの安心感だな、と思う。
まだ、ブレる時もあるけど。

わたしは、どんなに非効率でも、関わるって決めた人とはちゃんと一人一人と向き合いたい。
そこだけは大事にしたい。

そんな事をふと思った、夏の終わりの金曜夜でした。
明日も仕事だけどね。

それでも、それでも、それでも

コミュニケーションの最小単位は、個対個だと思う。

会話のキャッチボール、とよく言うけど、ボールを使ったキャッチボールも個対個だ。
どんな場所でするのか、ボールの種類はどうか、相手との距離はどうか、違いはあるが、個対個、というのは変わらない。

わたしは、大人になって気付いた時にはボールになっていたように思う。
人から人へ飛び移る。時には人と人を繋げたりする。
それは別に悪いことではなくて、むしろ糸井重里は「もういっそ、あなたがボールになりなさい」と言うくらいだから、いいことの部類に入るのかも知れない。

それでも、やっぱり、投げる側でいたい。受け取る側でいたい。そんな風に思えたのは、ほんとうにここ1、2年のこと。
出逢う人、出逢う人、みんな楽しそうにキャッチボールをしていたから。
楽しそうな人たちに、少しでも触れられるボールは、そこそこ気持ちがいい。
だけど、そこそこ、なんです。
思いっきりボールを投げてみたいなあ、とね。

けど、いざ投げようとした時に、投げるわたしがどこにいるのかわからなくなっていた。
行って帰る、場所を忘れてしまった。
(まるで何かの歌詞のよう)

なんで忘れたかったのか。
自分が嫌いだったから。

なんで嫌いだったのか。
太っているから。ワガママだから。面倒臭がりだから。努力しないから。プライドが高いから。口だけで行動が伴わないから。格好悪いから。明るくないから。真面目すぎるから。すぐに親に当たるから。摂食障害だから。情緒不安定だから。自分を好きになろうとしないから。

振り返れば自分自身を見たくない理由はたくさんあって、そりゃ忘れたくもなるわな、と思う。まあ、そんな理由、自分が勝手に作ったものですけどね。

これではダメだ。
「帰ってくる」練習をしよう、と、「行って」ばかりじゃダメだろう、と。

なんでダメだと思えたか。
ちゃんと人と向き合いたいって本当に思い始めたから。

なんで、今更ちゃんと向き合いたいのか。
仕事で子どもたちと接して、ボールとしてじゃなくて、相手として彼らとキャッチボールをしたい、と思ったから。

なんでか。










いや、それは、もう、
楽しいから、でしょう。






その方が楽しいから。
ボールとなんて会話してくれないし、キャッチできた時の嬉しそうな顔もしっかり見えないし。
何より一緒にやってる感、ボールじゃ感じられないもん。やられてる感だけあってもこっちがつまらない。

一人一人ときちんとキャッチボールするのは、そこそこ疲れる。
特にわたしの場合はコミュニケーションの方法が効率的でないので余計に疲れる。(この辺りはまた今度書きます)

それでも、楽しい方がいいなあ。
この間、「カンナさん」でも言っていたけど、「楽より、楽しい」。その方がいい。

そんな事を思っていた矢先に、こんな言葉に出逢いました。

『透明なあなた

どうしてもあなたのことがわからない。
すぐそばにいながら、あなたがとても遠い。

あなたはぼくではない。
それでも、まず自分自身を
よりどころにしなければ
あなたとの関係は始まらない。

だから、ぼくをあなたへ差し出す。

ぼくはあなたではない。
それでも、あなたもまた
あなた自身をぼくに差し出している。

差し出されるそれらが
交わるところで関係が始まる。

ぼくはすでに透明なあなたであった。』

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この記事のタイトルにも使わせていただいた「それでも、それでも、それでも(齋藤陽道)」の最初のセンテンス。
誰かとの関係を始めたいから、内へと向かう。
30過ぎて今更だけど、今更から、今更ながら始めようと思います。




齋藤陽道
「それでも、それでも、それでも(ナナロク社)」

行ったり来たりを繰り返そう。

こんばんは、さきこです。
最近、素敵な方々と知り合える機会が多くって、有難い事なのですがアウトプットする場所があまりなく消化不良気味になっておりました。
なので、このブログでちょっとずつ整理して腑に落としていきたいと思ってます。
お暇な方は是非、お付き合いくださいな。

先日、O! MORO LIFEの繋がりで横浜市中区視覚障害者福祉会のバスハイキングに参加させていただきました。

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(おしゃべりに夢中で写真がこれしかなかった。お昼に食べたほうとうとお土産のぶどう)

一緒にぶどう園でぶどう狩りをしたり、お土産物屋さんで何を買うか悩んだり、ワイナリーで試飲をして、お土産物屋さんでソフトクリームも食べました。
視覚障害の方の歩行介助は初めてでしたが、必要な時は向こうから積極的にアピールしてくださり、躊躇なく一緒に歩けました。
みなさん、元気いっぱいで、声にハリがあって、お話もたくさんしてくれて、すごく楽しい時間でした。

お土産を選びながらお話ししている時、「介助疲れない?大丈夫?」と聞かれました。その時は本当に感じてなかったので「全然大丈夫ですよ〜」と答えました。
けれど、帰ってきたら単純にはしゃぎすぎたのもあるけど、いつもと違う神経を使っていたのかそれなりの疲れがありました。
ただ、嫌な疲れではなくて、気持ちいい疲れでした。

で、その時思ったんです。
きっと、相手の方も疲れたろうな、と。
初介助で初対面の人に連れられて慣れない場所を歩く。しかも、なんかいろいろ聞いてくるし(お話が面白くてめっちゃ質問してた)。
話疲れたろうなあ、気疲れもしたろうなあ。
けど、その人にとっても、気持ちいい疲れであったらいいな。

人と人が関わると、多かれ少なかれストレスはあるし、疲れはある。
「長い付き合いの人」と「初めましての人」だったら後者の人と過ごす方が疲れるもんだと思う。
けど、何かいい刺激があるのも後者だったりするんだ。

長く生きるほど、自分の場所みたいなものが出来る。
安心できる場所、頑張る場所、冒険する場所、守らなきゃいけない場所。
けど、まだまだ知らない場所もいっぱいあるよね。
そこに、今足りないなって思ってるものがある可能性は比較的高いのではないか。

違う場所に足を運ぶのは勇気がいる。さらに「障害」と呼ばれるものが関わると、また違う、なんだか面倒くさい手続きとか、ご大層な資格とか必要そうに思えちゃう。
けど、実際はそんなもんない。
友だちになるのに、そんなん必要ない。

普段関わらない類の人と関わるのは、前例がある人に比べたら疲労感は大きいのかもしれない。けどその分、刺激も多い。
だから、わたしはそこに魅力を感じるのかもしれないなあ。もっといろんな場所を行ったり来たりしたいなあ、と思った1日でした。

そして、わたしは「行ったり」は得意だけれど、「来たり(帰ってくる)」が苦手なんだな、その辺りをスムーズにできたらいいよな、とも気付けました。
「来たり」の苦手さについては、次回もう少し考えてみたいと思います。

31歳、学生になりました。

この春から、通信制大学に通う事になりました。

理由をあげればいろいろと出てくるけれど、一言でいえば勢いです。

今まで多くの局面で勢いで決断してきました。今回もそんな感じです。

けど、大学からちょっと笑えない量の教科書が送られてきた時は言葉を失いました。

正直、もう諦めたい…

けど、そう安くない費用も払っているし、

会社側に夏のスクーリング許可も貰ってしまったし、

やらざる負えないのです。

こんなブログを書いている暇があるなら勉強しろよ、なのですが、

こうして宣言することで自分に発破をかける、というか、

それと同時に息抜きというか、社会との接点を持つというか。

 

何はともあれ、再びブログ始めます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

さきこ

言葉を紡いで

こんにちは、さきこです。
今回で最終回。計らずも40回目の投稿とキリの良い数字になりました。
最終回はここまでちゃんと続けてきたご褒美として、自己満回でお送りします。

私は中学生くらいの時から、紙にその時の気持ちを書き留める趣味があります。
ポエミーな感じ。多かれ少なかれ誰もが通る道なのかも知れません。
ただ、私は30歳になった今でも続けています。意図的に、というか、なんか自然と。所謂こじらせ系女子なのでしょうか。わからんけど。
書き留めた言葉を読み返すと、当時起こった事とかその時の考え方とかが克明に見えてとても面白い。
「頑張らなきゃ」感がめっちゃ出てたり、「愛されたい」とか「でも、どうせわかってくれない」とか、すごーい悶々としている時代があったりする。
わかった風な言葉が並ぶ時もあって、なんか、可愛いなあ、愛おしいなあ、と当時の自分を愛でております。
きっと、また何年か後に見返したら、今の自分をそういう目線で見るのでしょう。私にとっての成長ってそういう事なのかもしれません。

移り変わる言葉の中で、変わらずに何度も出てくるフレーズがあります。
それが、「言葉を紡いで」です。
「言葉を紡いで」の後に続く言葉は時々によって変わります。
誰かと繋がりたい、ただ記録したい、いつかの自分を救いたい、いろいろです。
けれど、どんなものであれ、今まで私が紡いできた言葉は私の中だけで完結するものでした。

今回、初めて「転職活動」を通して自分の外側に言葉を紡いでみました。これは私にとってはとても大きなチャレンジでした。
最初はとても緊張したし怖かったです。投稿前に何度も読み返しました。PV数や星の数、読者の数の変動に敏感にもなりました。
けれど、今、最後を迎えて感じるのは「内側も外側もたいして変わらない」ということ。
というか、内も外も意識しているのは自分だけで他の人にとってはどーでも良いことなんじゃないかなってこと。
そう思えるようになったのは、きっと自分の中にちゃんと軸ができたからです。薄ぼんやりとしていたものが、この1年を通して、そしてこの転職活動を通して一応の形として成り立ったのだと思います。
この先、私はこうやって生きていくぞ、そういう、一応の、一旦の軸。この軸があるから内も外も関係なく、大丈夫だって思える。
傷付いたり、かなしくなったり、苛立ったりもします。けど、そこに溺れることはなくなりました。まだ溺れそうにはなるけど、溺れかけた時、助けてくれる人の手をちゃんと握れるようになったし、力を抜いて自然の浮力を使う方法もできるようになってきました。

言葉を紡いで。
今だったら、なんて繋げるだろうか、とこの記事を書こうと思ってからずっと考えていました。
今の私は、こう書きます。

やさしい、やわらかい、あたたかい
そんな言葉を、紡ぎたい

最後の最後に超絶抽象的な投稿、失礼しました。
右往左往しながら不器用に生きる私を「それでいいよ」と見守ってくれる父と母、落ち込んだりテンション高かったりアップダウンの激しい私を「おもしろい」と一緒に過ごしてくれる友達、おっかなびっくり一歩を踏み出す私に「全然大丈夫!とっても素敵!」と声を掛けてくださる人生の先輩たち、そして、推敲しまくった記事もあれば書き殴りのような記事もある不安定なこのブログを読んでくださった皆様に、伝えきれないくらいの感謝と敬愛を込めて。
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

2017年1月27日  さきこ

《余談》
このブログ、今月で公開停止しようと思っていたのですが、第2の実家の父母に読んでもらいたく、もう暫く残させていただこうと思います。
彼らが読み終わり次第、速やかにいなくなりますので、どうぞそれまでよろしくお願いいたします。