アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

概念の世界から出ておいで

こんにちは、さきこです。

大晦日ですね。いかがお過ごしですか?
わたしはおばあちゃんの昔話を聞いたり、アメトーーク!スペシャルを家族で見て笑ってたりしてます。平和。

年末、なんだかとっても慌ただしく過ごさせていただきました。
ニートなのにやることがあるってうれしいなあ、と人とのご縁に本当に感謝。

その中で、地元でお世話になっている方からもらった言葉がタイトルです。

『ブログ読んだよー。あなたはもう、ある程度、精神的には確立されてきているよ。概念の世界もいいけど、もう動いてみなさい。自分で実際にやってごらん。失敗してもいいから。』

タイミングすごくて神の言葉かと思った。笑
笑ったけど、でも、あったかくてうれしかった。

わたしは自分の内側だけでずっと生きてきた面があって。
だから、見た目以上に脆くて弱くて、そんな自分が大嫌いだった。
強くなりたいってずっと思っていて、とにかくなんでも闇雲にぶつかってきた。
泣いて、吐いて、調整して、挑戦して、そうしたら強くなるって思って生きてきた。

結果的に外面はほどほどに強くなっていったんだけど、内面はあんまり変わらなくて自分の中にどんどんギャップが生まれていきました。
ギャップが苦しくて過食嘔吐して、けどギャップで苦しんでいる、と気付けなくてまた外側だけ鍛えて、さらにギャップが大きくなって…というのが数年前までの状況だと思います。
いや、薄々は気付いていたんだけど、弱い自分を認めるのが怖くて。そこを見なくても何とかならないかなあ、と足掻いていた感じもある。

なぜ、怖かったのか。
弱い自分では、誰からも必要とされないって思っていたから。価値がないって思っていたから。
だから、誰からも嫌われたくなかった。蔑まれたくなかった。見くびられたくなかった。必要とされたかった。みんなの輪の中にいたかった。
どうやったらみんなと同じでいられるんだろう?
考えて、行動して、うまくいかなくて、また考えて。そうやって処世術を身につけていった。
そこには本音がなかった。
本音なんて要らなかった。
「その場にいてもいい自分」でいることが一番大事だった。

けれど、そんな生き方には限界があって、怖いし恥ずかしかったけど、自分の奥までずっと潜っていって見つけたものを言葉にする練習をずっとブログを通してしてきたように思う。
時に誰かを傷付けながら、自分も傷付きながら。
答えなんてなくて、終わりなんてないように思っていた。
それが、こんな風に誰かに認めてもらえるなんて。
意味のないように思えたことも、続けることで自分の支えになるんだ。初めて実感した。

彼女の言葉に後押しされて、来年は自分の「こうあるべき」を超えてみます。
思考を具現化した時、あまりのショボさに愕然とするのが眼に浮かぶけれど。
だけど、ひとつずつ、動いてみたいなって。
失敗もたくさんするんだろうなあ、とか、浮かれたり落ち込んだり激しくなるかもなあ、とかいろいろ思うところはある。
既にあるサービスや優秀な人たちに圧倒されたり、やはり甘い考えだったか…とまあ、もう既に思いそうなんだけど。笑
怖いし、不安だし、でもちょっとワクワクする。
アホみたいな生き方で笑える。
だけど、同時に素敵だなって思う。

2017年、皆さまにとってどんな年でしたか?
わたしは本当にたくさんの人と出会えた1年でした。うれしいこともびっくりするようなこともあったけど、めっちゃ楽しかった!
関わってくれた皆さま、本当にありがとうございました。みんな、大好きです。

今年のご縁を大切にして、2018年は現実を動かしていく年にしたいと思います。
すぐ挫折する気もするけど、まあ、とりあえずトライはします。笑

出会えた全ての皆さまが、穏やかに年を越せていますように。
来年も、どうぞよろしくお願い致します。

2017年、年の瀬に。
さきこ

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(近くまで行くのめんどくて門から撮ったら城、すげーちいさい笑)

リアルでもっと繋がるために

こんばんは、さきこです。

今、12/23に行われたイベントのレポートを書いているのですが、いやあ、なんか、すごいちょっとずつしか進まない。

◯Think Universal.×ヒューマンライブラリー 
(当日の様子、映像まとめたのわたしです。見て!)

誰かにちゃんと伝えようって思うと、「もうちょっと説明した方がいいかな」とか「この組み立て方でわかりやすいかな」とか考えすぎてしまう。
その点ブログは楽ですね。
感情の垂れ流しなので。笑

今日は高校生ダンス部の発表会見学に行ってきました。
高校とか久々、てか、普通の高校とかほぼ初めて。2000年代生まれの人たちだ…!JK…!!
ダンスは想像以上で、若さとパワーに圧倒されました。
学校の先生に「撮影は顔が見えない範囲で…」と言われていたので遠慮していたのですが、徐々に楽しくなってきちゃって最終的に最前列でバンバン撮るっていう。
だって、カッコいいコンテンツあったらカッコよく撮りたくなる、これ自然の摂理でしょ。
いろいろアングル考えたり、アオリで撮ってみたり、めっちゃ楽しんだ。
そうだ、わたし、映像撮ったり編集したりするの好きだったんだなあって改めて実感しました。

ダンスを見ながら思ったことがふたつある。
ひとつめは、「機会は平等ではないこと」。
わたしが通っていた高校は当時はまだ珍しい総合学科のある高校だった。
授業は全て自分で選び、時間割を組み立て、制服もなくて、大学生の時より大学生っぽい生活だったように思う。
高校には多目的ホールがあった。
200人くらい収容できるホール。
二階部分には調光室があって、ホールスタッフの生徒がいれば先生が立ち会わなくても使えた。
そこそこちゃんとした音響・照明のオペ卓があって、ピンスポットもあり、ステージ上を二階部分から観客を気にせずに狙える。
ステージ上には昇降式の舞台バトンがあって照明を吊って思い通りのライディングができた。カラーフィルムを使えば色だって好きに選べた。
そんな設備がルールを守ればお金はかからず自由に使えた。
こんな高校なかなかないよなあ、と思いつつも、当時のわたしたちにとっては多目的ホールは当たり前の学校設備だった。
でもそれが、今日ダンスを見せてもらった彼らにはないんだなあ、と。

ふたつめは「いろいろ、もったいない」。
今日繋いでいただいた方の関係で、以前幼稚園に行った時、園児たちの近寄り方がすごかった。
特にわたしはスケッチブックを首から下げていたので、「これ何?」「なんて書いてあるの?」「わたし読める!」と子どもたちが次々にやってきた。
そういうのが、今日はなかったなって。
年頃だからっていうのもあるんだろうけど。
けど、もうちょっと大人に興味を持ってみてもいいんじゃないかな。
…ん?……あっ!あんまり魅力的じゃなかったのか、わたしが!!
いや、まあ、それは否めないけども…。
それでも、少し話しかけてみるとかしたらいいのに。てか、話しかければよかったのか。
単純にわたしが話してみたかったんだ、彼らと。
感想を述べて「ありがとうございます!」って言われるんじゃなくて話を聞いてみたかったな。
「学校」という場に入ると、子どもたちにとって段々と大人は「評価する人」になっていく。
それがもったいない。
評価する大人もいる、けど、君たちと一緒に楽しみたい大人だっているんだよ。
もっと一緒に遊んでほしいなあってさみしくなったアラサーでした。

彼らを見ていて、若者ってすごいなって改めて思った。この時期特有のエネルギーがある。
このエネルギーをもっと掛け合わせたらおもしろいことになりそうだなってわくわくした。

例えば、高校生ダンス部×映像系専門生or大学生とか。それぞれの立ち位置で議論をしながらひとつの作品を作るの。
間に大人を交えて議論の仕方フォローしながらワークショップして作品作りを進めていく。
高校生は無駄にハイスペックな機材で自分たちのダンスを撮ってもらえるし、映像系学生はセミプロに近いダンサーの撮影ができる。
何より学校、年齢を超えて、作品を通して議論ができるっておもしろそう。
卒制にも使えるしね!

学校単位で固まるの、もったいないです。
いろいろなしがらみがあるのも想像できるけど。
繋がりたい声があって、繋がれそうなら、できる範囲でわたし介在するし、なんかできないかな。
やりたいなー。

クリスマスだから好きな事を自由に書いてみる。

メリークリスマス、さきこです。

ホリディクリスマス、みなさまいかがお過ごしですか?

わたしはここぞとばかりに一日引きこもっていましたw

休みの日のクリスマスに外出とか無理ww

そんな引きこもりの一日をただダラダラと書くだけのブログです、今日は。

 

午前中は、溜まっていたアニメとドラマをひたすら見ました。

今期アニメ、わたし的にかなり良くて。

観てるのは「三月のライオン」「魔法使いの嫁」「血界戦線」なのですが、もうね、映像の美しさに癒されます。

op、ed飛ばして観ちゃうタイプですが、この3本についてはop毎回飛ばさず観てます。血界戦線に関してはedまで観きる。

一番好きなのは三月のライオンのopで、零ちゃん(主人公の男の子)がガードレールを飛び越えるところから川面を駆け抜けていくまでの描写なのですが、鉛筆で書かれたような柔らかい線と水彩っぽいやさしい色合い、自然な動作のアニメーションが最高なんですよね。今日3回くらい見返しちゃった。youtubeに上がっていないのが残念。是非放送見てください。

 

3lion-anime.com

 

午後からは頼まれていた画像編集とか、頼まれてないけど楽しくなっちゃた映像編集とかしてました。

やっぱ、何か、表現って楽しい。

(Think universal.のFacebookページから見れます。見て欲しい、是非。)

www.facebook.com

 

そう言えば、昨日イベント終わりの忘年会でブログについて褒めてもらった。どうしたらそういう文章が書けるの?みたいな事も聞かれて、すごく嬉しかった。

その時は恥ずかしさもあってさらりと流したんだけど、改めて考えてみた。

 

わたしの表現の根底には、わたしの好きなものの影響がある。

今、ぱっと浮かぶのはBUMPと齋藤陽道さん。

BUMPはね、もう、ほんと毎回新曲出るたびに泣きながら聴いているから。

藤くんの歌詞に毎回心揺さぶられています。

しかも、その時々のわたしの気持ちや状況に対して的確に突いてくる。

藤くんはわたしのために曲を書いている、と全バンパー(BUMPファンの事ね!)が思うようなことを普通に思う。

今日の午後エンドレスでリピートしていたのは「リボン」。

 

www.youtube.com

 ここはどこなんだろうね

どこに行くんだろうね

誰一人わかっていないけど

側にいる事を選んで 今側にいるから

迷子じゃないんだ

 

たのしい、けどそれだけでいいのかな、と最近よくそう思う。

このまま進んで行けそうだけど、いったいどこに行くんだろう。

不安だってある。

そんな時に「迷子じゃないよ」と言ってもらえると安心する。

自分で選んだ今に自信を持とうって思える。

 

齋藤陽道さんはろう者の写真家さん。

彼の文章がわたしはすごく好きだ。

note.mu

日常や自分の心の動きをのそのままを、まっすぐに言葉にしようとしている。

彼の著書「それでも それでも それでも」のあとがきは音読するくらい好き。

 

たったひとつのそれだけを見る。

一瞥しただけでわかったつもりにならない。

一方的に言葉をあてこむこともしない。

それまで培ってきた価値観を頼りにしない。

その存在と、ただただ出会う。

なにごともおこらないその鮮烈さをもって、素朴にただ出会う。

そうすることで、その奥からやっと浮かぶものがある。

それを待つ。それをこそ見る。そして撮ってきた。

自分の写真においての行いを、そういうふうに思っている。

 

彼には、同じくろう者の奥さんと、聴者の2歳になる子どもがいる。

彼がSNSで、子守唄を歌っていた自分に驚いた、と言っていた。

そういう発見もあるのだな、と思う。

異なることは困ったり、不便だったり、時には生死にかかわることもある。

(泣き声が聞こえなくて子どもの異常に気付けない、とか)

それでも、異なりがうれしい、と彼は言う。

その表現が、すごく好きだ。そう心から言えるようにわたしもなりたいなって思う。

 

わたしは自分の気持ちを他者に伝えるのが怖い。

言葉にしようとすると涙も一緒に出てきてしまう。

だから、上辺だけで話すことも多い。

泣かないで話せる範囲の言葉で済ませてきた。

コミュニケーションには困らないし、それなりにたのしい。

けど、やっぱり、その先に行ってみたい。

そんなことを思う聖なる夜。

これからのわたしに、期待。

余裕とは

こんばんは、さきこです。

朝の通勤ラッシュを久しぶりに体験しました。
すごい。
乗車ってか、もはや収容され運ばれる感じ。
毎日だと慣れるんだろうけど…でも、やっぱりちょっと異様だと思うし、身体や心への負担は大きい環境だよな、と改めて感じました。

そんなことも含めて、ここ数日「余裕」について考えたり話したりする機会が多くて。

どうして、みんなこんなに余裕がないんだろう?

この問いが出る環境ってことは、少なからず余裕がある人たちなんだと思う。本当に余裕がない時ってそんなことを考える余裕すらないはずだから。
で、そんな人たちに囲まれているわたし自身も、それなりに余裕のある日々を今は過ごせています。

どうして、みんな余裕がないんだろう?

この問いに対して、人それぞれの答えや解決法があるだろうけど、わたしは「自分と向き合う」ことが必要だと思っています。
実体験として、自分と向き合うようになってから以前よりも切羽詰まらなくなったので。

「自分と向き合う」って「自分探し」ってことじゃない。(ブログタイトル、ジブンさがしだけど)
「自分と」向き合うって「ひとりで」向き合うわけではない。(むしろひとりだと結構難しいと思う)
「自分」は何が好きなのか、どういう時に楽しくなるのか、どういう人と接すると笑顔になるのかのか。
逆に、何が嫌なのか、どういう時に虚無感を覚えるのか、どういう人と接すると眉間にシワがよるのか、を感情に飲み込まれずに、少し冷静に観察する部分を持つ。
観察する→知る→向き合うってイメージ。
観察するために、いろんなモノやコトやヒトと関わって、刺激をもらう。刺激がなければ、反応がないから観察のしようもない。

ただ、今はその刺激が非常に多い時代で。
ひとつひとつをいちいち確認していられない。
全部を捉えようとすると物凄い速さで処理していかないといけない。そうして飲み込まれる。
自分では情報選別できてるから大丈夫、と思っている人でも、現代の環境下では結構至難の技だと思う。てか、かわたしはできない。
膨大な情報に飲み込まれて、常時刺激に晒されていると慣れ過ぎてしまって、もう好きとか嫌いとか楽しいとか虚しいとか、わからなくなっていく。
けど、確実に身体も心も反応はしているから、ちょっとしたきっかけでドバッと出てきたりする。
涙が止まらなくなったり、肌が荒れたり、胃が痛くなったり、大きな病気になったり。

わたしの場合はそれが過食衝動だった。
過食がピークだった時、症状だけを必死で抑えようとしてもできなかった。
そりゃそうだ、だって過食はあくまで身体からの反応に過ぎないんだから。
これするのもう無理だよ、これ以上やると壊れちゃうよっていう身体からのエマージェンシーなんだと、今はなんとなくわかる。
だから耳を傾けて、どの刺激に対して反応しているのか観察する。要因を見つけたら対策をする。その繰り返し。
そうやって必要にかられて、わたしは自分と向き合うようになった。
結果、生きるのが楽になった。楽しくなった。
すこし余裕が生まれた。

「自分と向き合う」って就活生とか厨二病の専売特許じゃない。
それに、みんな必要だと心のどこかで思っているはず。
だから、ヨガとか瞑想とかリトリートトリップが流行っているんじゃないかな。
個人コンサルとかコーチングとかメンターって言葉もここ最近よく耳にするけど、これって全部自分と向き合うためのサービスですよね。

人生の中で余裕のない時期は、程度は違えど誰にでもある。
でも、一億総余裕なし時代みたいになっちゃうのはどうなのかな。
じゃあ何とかしてよって言われても、わたしはわたしと向き合って結構楽しくやっているよってことを見せるくらいしかできないんだけれど。
その姿があなたの生きやすさに繋がるのなら、うれしい。

師走感。

こんばんは、さきこです。

ここ最近、妙に忙しい。ニートなのに。
チャージしてもチャージしてもPASMOなくなってくし。どんだけ移動してんねんって話なのですが、今は雑食の時期!と声を掛けていただけるがまま動いている、そんな師走です。

今日、久しぶりにプレゼンをしました。
一昨日くらいにやります〜って言って、中1日で作ってチェックしてもらって修正して練習して。
結構タイト。でも、楽しかった。
企画書作るの好きだったんだなあ、と改めて実感できる機会でした。

それと、「思いは言葉にしたい」「意見・提案はビジュアルにしたい」んだ、わたし、という気付きがあった。

企画書を作る、といってもわたしが好きなのはパワポで作る写真や図を用いたものです。
伝えたいことを明確にして、誰に伝えたくて、その人たちに伝えるにはどういう表現がよくて、どうしたら理解しやすくなるだろう?と考えて形にしていくのが好き。
言葉だけよりもビジュアルがあった方がわかりやすいし、作っている体感がある。
だから言葉のみのは苦手。全然進まない。
そうして作った叩き台にダメ出しをもらって、修正して、より伝わりやすさの精度をあげていく作業が好き。
関わる人それぞれが真剣に考えて磨き上げた企画書は、完璧な正解ではないかも知れないけど、独特の美しさがある。
美しいものは見てもらいやすい。見てもらえるから理解してもらえる。伝わりやすくなる。
と御託を並べましたが、単純に美しいものが好きってだけです。

あと、見える形にダメ出しをもらうっていうのも重要。
企画書という形があると、ダメ出された言葉は企画書に向かう。わたしには向かわない。
言葉だけでのやり取りは、わたしに直接向かっているわけではない、と頭でわかっていても、やっぱりダメージを受ける。
会議でも、メッセージでのやり取りでも。
だから、そういう場所で意見や提案をするのはすごく勇気がいるし、白熱すればするほど何にも言えなくなる。
矛先が「わたし自身」に向かうのが怖いから。
でも、逃げるのも悔しいなって最近は思い始めていて。苦手なんだけど、でも意見をもっていないわけではないから。
どうせわかってもらえないって拗ねたり、めんどくさいって逃げたり、反射的にはまだまだしちゃうんだけど、少しずつ練習していきたい。
悔しいから。
そっか、悔しかったんだなあ、わたし。

ブログはわたしの思いだから、自分の中をずっと潜っていく作業だから、他の人がどう言おうと「そういう考えもあるかもなあ」と割り切りやすい。
でも、意見や提案は少なからず発した先にわかって欲しくて出るものだから、だからこんなに躊躇したり怖くなったり不安になったりするのか。
なんか、納得。

基本的に怖がりで傷付きやすいから、そういう場からは逃げてきたけど。
それでも、やっぱりわかって欲しいんです、わたしも一緒に考えたいんですって思えるテーマに出会えたんだな。また、ここから切磋琢磨だな。

なんか、書こうと思っていたことと違う感じになった。でも思いがけず自分の中の整理ができた。よかった。

ほんとは12/23(土)のイベント告知にスムーズに繋がるように書きたかったんだけれど。
ま、いっか。唐突だけど。
think universal×ヒューマンライブラリー 、摂食障害当事者として本役で出ます。
定員に達してるけど、まだちょっとなら大丈夫とのこと。
本のタイトルも公開されました。珠玉の本揃い。
どれ読んでも外れないと思う。
今週末、まだご予定決まってない方は是非〜。

◯Think universal×HumanLibrary
12/23(土)12:30-16:00@渋谷100BANCH

さん

こんばんは、さきこです。

今日、学生の頃からのお友達と久しぶりにランチをしてきました。
意外に友達に対して自分から「会いたい!」って言うことが少ないわたしの、数少ない「会いたい!」って言う人たちです。
(会いたい!って言わなくても会いたい気持ちはあるのよ。誘って。笑)

どうして会いたいかって、もうね、パワフルなんですよ。ずっとしゃべってる。ずっと笑ってる。
彼女たちは結婚していて子どももいて、ライフスタイルが違うし、わたしが想像つかないようなしんどさやさみしさもあるんだと思う。
でも、そういうの全部笑って吹き飛ばすようなパワーがある。さらっとわたしの話を聞いてくれて背中を押してくれたりする。超男前。
だから時々無性に会いたくなる。
こういう縁がゆるゆると繋がっているって本当に幸せでありがたいことだなあって思います。

で、タイトルなのですが、今日のランチ会も3人。昨日打ち合わせがあったのですが、それも3人。一昨日参加したワークショップでも、3人でグループを組んで行いました。
「3(さん)」がここ数日多いなあって。

2、でもなく、4、でもなく、3。
その理由をワークショップの時に少し教えてもらった気がしました。

そのワークショップは「プレイバックシアター」という即興劇を使ってコミュニケーションしよう、というもの。
元演劇部のわたしにとって「即興劇」というと、その場でクリエイリョンしていく、エンターテイメント要素の強いものかと思っていました。
けれど、実際は違って。
遊びを通して自分と他者を知って、認めて、共感してゆっくりとアイスブレイクをした後に、自分と向き合う作業を他者の力を借りて、無理せず、けどひとりでやるよりもより深くしていける、そんなものだったなあ、と。
刺激的な楽しい!というものではなく、ほんのりあったかい癒しなワークショップでした。

特にわたしの心が動いたのは、自分の「大切なもの」を相手に伝えて、その相手が「大切なもの」になりきって、自分に語りかけてくれる、というワーク。
この時、語る人、話を聞いて「大切なもの」役をする人、見守る人、の3つの役割に分かれて行います。
「大切なもの」は、本とかスマホとか物質なので、普通に考えたら恥ずかしくてできないと思うんですよね。
だって、「はい、じゃああなたは今からスマホです。スマホになりきってしゃべってください!」とか言われても、いやいや〜ってなりません?
でも、そのスマホは、語る人にとってはとっても大切なものなわけです。
どうして大切なのかって、聞いて演じる人に真剣に語るんです。
その真剣さを受け取るとね、自然と恥ずかしさとかなくスマホ役が演じれちゃうんです。
真剣な気持ちに、真剣に返そうって思う。
わたしが素直すぎるってのもあるのかもしれませんが。
わたしはこのワークの時、もうずっと泣きそうで。語り役の時も、聞き役の時も、見守り役の時も、なんかあったかくて、ちょっとうれしくて、いろいろ溢れそうでした。

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(「大切なもの」ワーク中のひとコマ)

このワーク自体は、語り役と聞き役がいればできてしまいます。
それでも、あえて見守る役がいる。
2人がつくる世界を一歩ひいて見ている人がいる。だからうまれる、安心感が確かにあった。
効率的ではないのかもしれない。
例えば6人いた場合、2人で3チームでやった方が、3人で2チームより早い時間で終わるし。
(1人5分としたら、前者は10分、後者は15分)
けれど、それでも見守る役をつくる意味がある。
人ひとり分の物理的な空間のゆとりとか、ふたりだと向き合わねば!となる心に、もうひとりいる安心感を与えてくれたりとか。
言葉でうまく言えないけれど、そういう第3者の必要性を体感できる場でもあった。

これって子育てだったら「家族×学校or幼稚園×地域」だったり、社会人だったら「仕事×家族or友達×地域」だったりするのかなって。
2つの要素だけだとどうしてもバランスが悪くなるというか、ゆとりがなくなる気がしていて。
地域ってどこのジャンルにも関わる結構重要な立ち位置なんじゃ…?と最近感じている。
そう感じる人が多いから地域活性化とか、地域おこし協力隊とか、よく聞くようになってきたのかな。地域の立て直しと並行して、それぞれを繋げていくことも大事だよなあ、とかぼんやり思ったりしました。

プレイバックシアター、新しい自分の発見もあったし、自分と向き合う時間にもなったよ。
単純にたのしいからみんなも機会があったらやってみたらいいよ。

プレイバックシアター/人と人がつながるしくみ

近宣伝が多い…笑

渋谷のラジオに出演してきた!〜後編〜

こんばんは、さきこです。

昨日、自分で書いたアラサー女子が世間から求められそうな要項に自分で傷付きメソメソしていたわたしです。
わたし自身が一番わたしを残念な人だって思っているんだなあ、と改めて実感しました。
だってやっぱどんどん太ってく自分嫌だし、肌も年相応になっていくし、幸せな家庭とか築きたいけど口ばっかだし、じゃあダイエットすれば?婚活すれば?って感じなんだけど、今するとまた過食嘔吐の日々になりそうな不安感半端ないし、結局そういうのできないの全部摂食障害のせいにしてるのかな、甘えてるのかなって思うし。
今朝、急に内側がぐちゃぐちゃしちゃったんだけど、太陽浴びながらひとしきり自分の嫌なとこ認めて泣いたらとりあえず落ち着いた。
30分くらいで落ち着けたから以前よりはバランスの取り方が上手になったみたいですが、まだまだ練習は必要なよう。アラサーにして不安定、残念。笑

さて、健常の方とそれ以外の方が「福祉」っぽくない出会いがどうやったらできるのか?もっとライトに関わり合いを持つ、持ってみようかなと興味喚起できるアプローチ法はないかな?と妄想していた時のことです。
わたしはその中でもこどもに興味があるので、学校や家庭で何となく過ごしにくいこどもたちの居場所みたいなものがつくりたい、と重光さんにお話ししていた時のこと。

「なんでそこまで思えるんですか?」

わたしは今まで教育とか福祉現場にがっつり関わっていたわけでもないし、自分にこどもがいるわけでもないし、確かに何でだろ?って思った。
自分が生き辛かったから、とか、全ての人に生きやすい世の中が結果的にみんなにとって生きやすいと考えるから、とか志っぽい思いもあるにはある。
けど、一番は単純に「たのしいから」です。
たのしくて、おもしろくて、興味深いから、彼らと関わりたい。
不謹慎な言い方かもしれないけど、それが本音。

だって、普通に生活をしていて、自分の脳って髄液が支えてくれているのか〜って改めて思ったり、男女関係について考えるとき心として?体の機能として?遺伝子として?って考えたりしない。
そうやって普段気付かない身近なことにはっとしたり、自分とは違う切り口で物事を捉えている人の意見を聞くことは本当にたのしい。
ハンディを持った知人が増えたO! MORO LIFE(https://www.facebook.com/OMOROLIFE/)で、脳性麻痺のお兄さんの世間に対するアグレッシブな姿勢にカッコいいなあ!って思ったし、視覚障害の方の耳での楽しみ方の上手さにすごいなあ!って思ったし(流暢な小噺、普通におもしろかった)、「カカア天下」って手話使わないくせに一生忘れなさそうだし。
放課後デイで働かなかったら、目も合わない声も出さない子が自分からやりたくなること探しに躍起になることも、思いついた!って用意したわたしが考えもつかなかった教材の使い方をして見て見て!って言う無邪気な笑顔に出会うこともなかった。

異文化交流と同じ。
異業種交流と同じ。
(合コン要素強いけどw)
わたしが気付きもしないこと、知ろうともしないこと、それに出会える。新しい価値観や考え方に出会える。しかも、よりマニアックな。

海外に行かなくても、お高いセミナーに行かなくても、隣におもしろい人がいるかもしれないよ。
人と人同士だし、合う合わないは当然ある。でも、自分と違うからって最初から排除するのはもったいない。

特別新しいアイディアでもないし、「おもしろい」って言葉に引き摺られて上から目線で彼らに接して欲しくはない。
でも、同じ目線でたのしめたら最高だなあ、と。
みんな、わたしの好きな人たちなんです。
好きな人には好きって言う。
好きな人のことを別の好きな人に知って欲しくなる、そういう性格です。
報われないことも多いですが。
もうすぐクリスマスですね。がんばる。笑

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(本日の夕焼け。今日も一日いい天気でしたね)