ほっとした顔を見るのがすき
新生活の傍ら、少しずつ五感セラピーのワークショップをしている。
五輪色相環とマッサージで、セラピーの一部を体験していただく、というもの。
まだ2回しか開催していないけれど、いろいろな方が参加してくださる。
興味津々の方、半信半疑な方。
期待に応えられるのかな、信頼してもらえるのかな。いつも不安に思う。
けれど、私にできるのは参加してくださった方の『いま』に向き合って、共有して、少し背中を押すだけ。
それだけだから、そこには本当に真剣に向き合いたいと思う。
その人の身体や心が出してくれた色や信号のいろんな可能性を見出して、決めつけず、真摯に。
色を介して、その人の心とまっすぐに向きあって向きあって向きあって、そうして徐々に自分の言葉で話し出してくれる瞬間。
話して、放して、少しだけほっとした瞬間。
その笑顔がすきだ。
どの人もみんな、自分の言葉で語る姿は本当に美しい。
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自分と向き合うのは簡単なことではない、と思うのは私がそうだったから。
ずっと、自分の苦手な部分、弱い部分に向き合うのは怖かった。
あれやこれやと理由をつけて逃げた。
逃げたら逃げたで帳尻が合わなくて、結果苦しくなった。
その苦しさが怖さを上回った時、やっと向き合おうという気持ちになった。
それでも怖くて怖くて怖くてたまらなかった。
今、以前よりも自分と向き合えるようになったのは、向き合うことを一緒にやってくれた人たちがいたからだ。
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人は人を救えないと私は思う。
産まれたての赤ちゃんをすぐに立たせようといくら必死で支えたって、身体が出来ていなければ、そして立ちたい思いがなければ、立つことはできない。
ずっと支えて立てたとしても、それは立たされているだけだし、限界がある。
けど、手を貸すことはできる。
一瞬かも、けど、その場の手掛かりに、足掛かりになることはできる。
筋力が付くまでの支えになれるかもしれない。
立ちたい…!と思った時、きっかけになることはできるかもしれない。
そのツールは人それぞれ、合うものがある。
選択肢もたくさんある。
そのひとつに、なれたらいいな。
なりたいな。
そんな風に思うと同時に、
もっと真摯に、
もっと純粋に、
ありたいな。
そんな風にも思った、満月の夜。
一緒に暮らす
彼が我が家に来て1ヶ月ほど経つ。
犬との暮らしは、はじめて。
最初の頃はどうしたらいいのかわからず、噛み付いてきて怖かったり、ひとりにするとキュウキュウ鳴いて心苦しかったり、彼の時間に合わせすぎて家事が溜まってイライラしたりした。
ネットで調べたり、しつけ教室に行ってみたり。いろんな情報に左右されていっぱいいっぱいになりそうになった。
そんな時、旦那さんが言ってくれるちょっとした言葉。
「すくすく元気に育ってるよ」
「さきこの時間もちゃんと取ってね」
「ふたりが元気でいれば、それでいいよ」
何気ない一言。
けど、いっぱいいっぱいになっている時、狭まった視野をふっと広げてくれる。
狭いお部屋から草原に来たみたいな、ひろやかさ、あかるさを思い出させてくれる。
意外と完璧主義な私。
旦那さんとわんこと一緒に暮らす上で、理想通りにいかないことなんて多々ある。
でも、そこを「無理」で片付けず、擦り合わせていく。
旦那さんとは話しながら、わんことは表情を見合いながら。
喧嘩したり、感情的になっちゃったりもする。
相手が困った顔をしたり、怒ってしまうこともある。
でも、どっちかに合わせるんじゃ一緒に暮らす意味がないじゃないか。
お互いが、お互いに気持ちよく暮らせるポイントを見つけた時のうれしさ。
こんなやり方もあるんだなって発見。
固定概念がパラパラと崩れていく感じ。
一緒にいること、制限されることから、軽やかさや穏やかさがうまれる。不思議。
日常雑感。
ブログを、書こう書こうと思って、こういう風にしよう、とか、この話も入れたい、とか妄想段階ではいい感じなのに、いざ時間を作って書こうとするとうまくいかない。
愛犬リンクス。名前の由来は某アニメです。笑
ちいさな神さま
夏、猛暑の中、ちいさな家族が死んだ。
異質で、同等。
五感の先生に勧められて、『話を聞かない男、地図が読めない女』を読みました。
触れたい、衝動。
五感セラピーというものを習い始めて10ヶ月ほど経つ。
自分がいない気分に浸った朝があって
目は閉じてる方が楽 夢だけ見ればいい
口も閉じれば 呆れる嘘は聞かずに済む
地固めの夏。
今、すごく時間をかけて取り組んでいることがあって、はじめてのことばっかりで、思った以上に進んだり、思わぬところでぶつかったりしています。