イライラを見つめる
ここ数日、ずっとイライラしていました。
どんなに頑張ったって、どうせわかってくれない
こんばんは、さきこです。
ブログにする気はなかったのですが、書き出したら文字数多くなっちゃったのでこちらに。
最近、いろいろ揺らいでいて。
今までだったら「はい、おしまい!次!」だったのですが、今回はちゃんと見つめよう、と次に進みたくなる衝動を抑えて揺らいだ結果の自分を観察しています。
観察していくと、かなしくなって、苦しくなって、そしたら怒りが出てきて、最終的に「どんなに頑張ったって、どうせこうなる、わかってくれない」という言葉が出てきました。
「え、わたし、頑張ってたの…?」と衝撃を受けた。
自分では頑張っていないつもりだった。頑張っている部分も確かにあったけど、そこは自覚をしているつもりだったんです。
が、違うとこから「わたし、ここも頑張ってたの!」と。
え、そこ?あー、でも、確かに、的な。
でも、そこ、実は誰も求めてない部分の頑張りなんじゃ…?というようなことろでもあり。
それでも、知らず知らず頑張っちゃうのは、もう癖になっているんですよね。そして、それをやめるのが潜在的に怖いんです。考えるより前に、もう怖いから頑張っちゃう。
けれど、それをやめたい、と今回ちゃんと自覚できた感じがある。
怖い、を越えたい。
そんなこんなでここ数日、頑張らないそのままの自分、を意識して日々を過ごしているんだけれど、すごく難しいです。
頑張ることが当たり前になってるんですよね、気付いたらそっちに振れてる。今までどんだけ頑張ってきたんだろうと思う。
側から見れば、ずっと前からわかっていたことなのかもしれない。けど、自分では全然わかってなくて、そして自分から気付かないと納得しないという面倒な性格なので、いっこいっこ試して、失敗して、傷付いて、慰めてもらったり、突き放してもらったりしながら、また立ち上がって試して、という試行錯誤が必要で。
難儀なもんやなあ、と思う。
けど、ちょっぴりたのしかったりもする。
一足飛びではいけないから、地道に。
ふと、自分の年齢や状況を鑑みた時に焦るけれど、焦ったところで好転もせんし。
今をたのしもうと思っています。
わたし、繊細なんで。
このあいだ、久しぶりにのんびりと江の島散策をしてきた。
以前から気になっていた映画館を訪ね、江の島に登り、はじめて船にも乗った。
ポエムができた。
大人というものが、思っていたよりも完璧でなく、強くもなく、美しくもないのだと、認めたくなくて、見ないですむのなら、ずっと、子どものままでいいやって思ってた。
怖いって気持ちを、弱い、とか、可哀想、とか、病んでる、とかに変換して、だから仕方ないって思って見逃して欲しかった。
だって、どうせ、あんたにはわかんないじゃん。
心の中では見下して、つまんないって思ってて、楽しいふりをして、嬉しいふりをして、悲しむふりをして、敬うふりをして、励ますふりをして、だって、こういうのが欲しいんでしょう。
それなのに、それだから?
ずっと本当には楽しくなくて、どこか、ずっと重たくて、助けて欲しくて、けど、どうせって、でも、諦められなくて、たどり着いた先で、どうしてこんなに、奥に奥に入ってくるの。
ほら、まだあるじゃないって、笑うの。
わかったふりするなって、怒ってくれるの。
奥だと思ってた、もっと奥。
恥ずかしくて、見られたくなくて、でも、なんだろう、これは、うれしいのか。
気付いてくれたって、うれしいのか。
でも、やっぱり、どうしてって。
「好きだからよ」
シンプルな答え。余韻。
なんで、と、うれしい、と、
言葉にならなくて、涙。
なんで、今更
今、やっと
春の嵐、ぐるぐる、
さくら、空、新緑、巻き込んで、
カラフルな嵐
言葉にする、言葉になる
こんばんは、さきこです。
やさしいことはダメなこと?
最近、というか前からかな、よく「やさし過ぎるのがよくない」とか「もっと強くならないとダメだよ」と言われます。
カンボジア旅行記🇰🇭その⑤郊外定番遺跡「ベンメリア」ツアーには申し込むべきか?
おはようございます、さきこです。
(広いので人を避けて写真を撮ることはできます)