人の目や世間体を気にするようになったのはいつからだろうか ‐前編‐
こんばんは。さきこです。
お散歩をしていたら、商店街でお花を拾いました。おそらく開店祝いか何かなのだと思います。オアシスに刺さった切り花が店前に「ご自由にどうぞ」と置かれていました。ので、わーい、と、遠慮なくいただいてきちゃいました。
さて、ハローさん(ハローワークのキャリアカウンセラーの方)と進めているワーク。「人のために何かして、喜ばれたことは?」というテーマについて話していた時の事です。
※ワークの詳細を思い出したい方はこちら
仕事やプライベートを思い返して、このテーマに当てはまる出来事を出してくと、以下のような事がわかりました。
・私は、相手の困りごとを聞き出し、問題解決に繋げることができる
・私は、周囲の状況を観察し、相手が求める行動がとれる
観察力があるのね、というハローさんの誉め言葉に、けど人の目や世間体を気にしすぎることもありましたよ、と私は答えました。答えながら、はて、それはいつからだったんだろう、と不思議に思い、ハローさんを遡ってみることにしました。
幼少期の私は、あまり記憶がないのですが、おそらく「箱入り娘」という言葉が当てはまる内面の持ち主だったと思います。内面、ね、ここ大事です、見た目がドラマや漫画とかに出てくる「箱入り娘」のようだったわけじゃないです。
≪幼少期のさきこ≫
・一人っ子:父は仕事で留守にすることが多かったが、母は基本的に家におり、一緒にいてくれた。
・初孫:とても可愛がられた。また2歳の時に、母の入院で1ヶ月ほど祖父母と暮らした。祖父母は商店街で商売をしており、商店街の皆さんにも可愛がってもらった。
・一人遊びが好き:外で走り回って友達と遊ぶよりも、家で一人、もしくは母と遊んでいたイメージが強い。
幼いころの私は、親や祖父母に溺愛され、商店街の皆さんにも可愛がられ、大人の中で守られて天真爛漫に生きていました。
そして、転機が来ます。きっかけは小学校4年生の時の転校です。
それまで私は、幼稚園に行っても、小学校に行っても、基本的には「箱入り娘」気質のままでした。ただ、転校によってその気質は大きく変化します。それくらい、転校による環境の変化はとても大きいものでした。その差を、当時私の周りにいた子どもたちの特徴で見比べてみます。あくまで私目線です。
≪転校前の小学校≫
子どもたちの気質:おとなしい、自分の世界を持っている。
遊び方:屋内でおもちゃを使って遊ぶ。一緒に遊ぶ、というより、隣で遊んでいて時々交わる、というイメージ。
≪転校後の小学校≫
子どもたちの気質:元気いっぱい、とにかく、元気いっぱい。
遊び方:屋外で身体を使って遊ぶ。ドッジボール、鬼ごっこなど、みんなで一緒に遊ぶイメージ。
もう、ね、180℃違うわけですよ。普通に考えたら馴染めるはずない、下手したらひきこもるんじゃないかって感じですが、この元気いっぱいな子たち、元気だけじゃなくて好奇心旺盛で、そして優しかったんです。
転校当初、箱入り娘・さきこは、どうしたらいいのか分からず、あまり喋っていなかったように思います。いつ頃だったのか、もう全然覚えていないのですが、今でも仲の良い友達が遊ぼうと誘ってくれました。ただ、どういう流れだったのか良くわからないのですが、せっかく誘ってもらったのに途中で癇癪を起して「もう帰る!」と帰宅した記憶が、ある、よ。最悪やん。
ただ、そんな事があっても、また誘ってくれたんですよね。優しい、というか、屈託がないというか、バカというか。そういう子たちと一緒にいるうちに、箱入り娘は箱から出て、いろんな経験をするようになりました。
この「箱から出る事」、一般的に「社会性の発達」と言うらしいです。…うん、らしいですよ、はい。というのも、ハローさんとこの話をするまで「社会性」なんて、単語すら意識したことなかったので。ああ、そう言われると私あまり社会性のない子だったかも!とこの時発見した次第です。
Google先生に聞いてみると、社会性はいろいろな解釈ができるようですが、家族以外の他者と関りを持ち始めるのはどうやら3歳ごろから発達していくようです。本格的に「協調性」「応用力」「適応力」などを身に付け始めるのは5歳ごろから。付け焼刃の情報ですが、仮に5歳を「他者と協力して何かをする力が芽生える」年齢とするなら、私はその倍かかっています。
ただ、私はとても模倣するのが得意な子でした。元々の性質もあるのかもしれませんが、幼少期に1ヶ月祖父母のところに預けられた経験が影響しているようにも思います。
祖父母は商店街で衣料品店を営んでいました。必然的に日中は二人と一緒に店番をします。おじいちゃんが「いらっしゃいませ」と言えば、真似して言ってみる、ような事はきっと日常的にしていたのでしょう。
2歳児が、いらっしゃいませ。褒められないわけがない。可愛いと言われないわけがない。
そうして、真似すること=褒められること=良いこと、というロジックが私の中にできたのだと思います。
元気っ子たちの中で、私はどんどん真似をしました。時には失敗することもあったとは思いますが、基本的に元気で、屈託がなくて、素直な子たちが多かったので、悪い方向に進むことはありませんでした。
私は5歳からの5年間を取り戻すべく、周りに目を配り、行動を模倣し、メキメキと社会性を身に付けていきました。いや、意識はしていないですけどね。きっとそうだったのだと思います。お蔭で友達もでき、大勢の中で遊ぶ楽しさも知り、楽しい学校生活を送ることができました。
ただ、急に社会性へのスイッチをオンにした影響か、今思うと、ここでも私は過剰適応をしていたのだと思います。人の目や世間体を気にしすぎるようになったのです。それも、ここ最近まで、ずっと。
けれど、今はそこまで気にしていません。さらに、ハローさんとの会話で出てきた言葉のお蔭で、この先また過剰反応して、悩み過ぎたり考え込んでマイナス方向に落ち込みそうになっても、一旦フラットに戻して、そこから対応することができそうな気がしています。
その言葉は「戸惑い」です。
気にしなくなった要因、「戸惑い」で何故フラットに戻るのか、次回まとめていきます。
≪余談≫
ちきりんサンの新刊「自分の時間を取り戻そう」読書中。読みやすいし、視野をぐーんと広げてくれるのでこのシリーズ好きです。考え方とか文章の書き方とかしばらくめっちゃ影響受けると思います。