アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

言葉にする、言葉になる

こんばんは、さきこです。

マンションの一角につくしが大量に生えてる。
食べれるのかな…

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「言葉にしないと、わからない」

と、いうのが苦手で。
恋愛面で言えば「察してよ!」はダメ、とか、療育現場で言えば言葉より先に手が出てしまうことを叱らねばならぬ、とか。

恋愛の場合は、感情よりも行動に関しての面が強い(洗濯物の畳み方が違うことが嫌、とか具体的な行動がある)ので、まだわかりやすいのだけれど、療育現場での「言葉でちゃんと伝えなさい」は、わたしは子どもたちに言えなかった。
手が出てしまうに至るまでに、複数の理由が絡み合っている場合も多いような気がして、というか単純に、自分ができないからだ。

強い気持ちが、ぐわっ!と出た時、それを言葉にして伝えることができない。
けれど、自分の中で処理できない程の衝動なので瞬間的に行動になる。(わたしの場合は物にあたる)

一番印象的だったのは、ぷつっとお腹の底から言葉にならないものが出てきて、気がついたら持っていたグラスが割れてて血が流れていたこと。

怖かったな。

そんな感情を自分が持っているんだってこと。
他者から怯えた目で見られる行為を無意識にしてしまう自分がいること。

衝動的な行動をしてしまう子どもたちも、少なからず同じ気持ちなのだろうか。
そう思ったら、「言葉にしなさい」と言えなかった。

とは言え、コミュニケーションを取る上で言葉はやはり必要で、理解し合う上で上手に使っていきたいツールでもある。
言葉にすることで始めて自分の気持ちや考えを具体的に掴むことができるのも事実だ。

だから、「言葉にする」必要性を頭では理解していた。けど、「言葉にできない」自分も確かにいて、それも事実で。
その辺りでずっともやもやしていた。

言葉にできない感情もある。
言葉にしないと伝えられない。

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わたしは自分の気持ちをリアルタイムで正確に理解することがあまり得意でない。
特にビジネスの場においては、もう、ほとんど100%くらいで「疲れた」がわからない。
気付かないうちに蓄積した疲労は、溢れそうになると、過食衝動や他者への攻撃性、情緒不安定など、様々な症状でわたしに疲れを教えてくれる。

けれど、それでは疲れ切ってから知ることになるのでリカバリーに時間がかかり過ぎたりして(だからカンボジアに行っちゃったりする)何かと不便、と今年に入ってから対話型のカウンセリングを受けている。

内容としては1時間、先生に自分の話したいことを話す、というもの。

始めた頃は、今まで言えなかった弱音とか、しんどかったこととか、とりあえず話して泣いてすっきりして帰る、ということを繰り返していた。

ひと月ほど経って、特別話したいこともなくなって、自分の中の不幸や弱さを無理やり探して言葉にしている自分に気づいた時、ああ、これ、もう無意味かも、と思った。

カウンセリングを受ける「病人」としての言葉を探して出している感じがしたから。

だから、やめたいんです。と先生に伝えた時、先生はこう言った。

「言葉にするんじゃなくて、言葉になるんじゃないですかね。言葉になることを人に話す、その練習をこういう場でするんです」

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わたしは、多分、人生の多くの会話で、自分の気持ちや考えを「言葉にして」きた。
それは、頭で考えて話すイメージ。
ロジック立てられた、理性の言葉。

けれど、本当はずっと「言葉になる」会話がしたかったの。ロジックでは説明がつかない、でも何かとても大切な、お腹の底から出てくるイメージの、感情の言葉。

「言葉にする」会話には見えないルールがあって、そこから外れると何とも居心地の悪いものになる。上滑りしてしまって、一生懸命喋ってもどこか虚しい感じがする。

「言葉になる」会話は、怖い。
自分のほんとの本音の部分を出すことが、とても怖い。けれど、怖さを超えて出した言葉は、伝わっても伝わらなくても、ちゃんと出せた、という妙な満足感がある。

わたしの場合、なのですが。

「言葉になる」には時間が掛かったり、集中力を要するので、全ての会話で行うつもりは更々ないのだけれど、場面場面で「言葉になる」会話を織り交ぜていきたいなあ。

そんなことを、練習し始めています。
春、新しいスタートです。