はて、さて、どうしようか
こんばんは。さきこです。
最近、UNISON SQUARE GARDENを聴いています。「シュガーソングとビターステップ」でちょっと前に話題になった人達です。
彼らの「メカトル時空探検隊」という楽曲(今知りましたが、すごい曲名だな)の中でタイトルの言葉を使っていて、印象に残ったフレーズだったので引用しちゃいました。
「シュガーソング~」カラオケで歌うと、とても楽しい。ベースがすごく楽しそうなとこが好き。
UNISON SQUARE GARDEN「シュガーソングとビターステップ」ショートVer.
はてさて今回は、どう進めようか職探し、というお話です。
まず、今までの職歴振り返りから見えてきた気付きをまとめてみます。
≪職歴振り返りからの気付き≫
●仕事への姿勢
・私は意外と仕事をするのが好きである
●仕事内容について
・私は「人の心を動かす何かを作り出す事」に興味がある
・映像はその手段のひとつではあるが、手段はもっと幅広くても良いと思っている
・成長したい、と思えるくらい企画の仕事が好きだった
●仕事をするにあたりこれから気を付けること、身に付けたい能力
・仕事の優先順位の付け方、力加減を身に付ける必要がある
・上司に対するイライラは、未熟な自分に対する焦りや不安だった
⇒自分の気持ちをリアルタイムで感じられるようになろう
・いい加減、ちゃんとしよう
⇒何をするにしても、自分がちゃんと納得して進もう(他人任せにしない)
・自分をちゃんと信じられるように、自分を裏切らない行動をしよう
以上が、私が自分なりに自分を分析した結果です。これらをベースに転職活動を進めていこうと思うのですが、曖昧な内容が多く、すでに「うまくいかなそう感」満載です。自問自答し続けても良いのですが、泥沼化は目に見えているので、第3者にサポートしてもらうことにします。
まず、一般的な転職方法について私なりにまとめてみます。
大きく分けて転職活動には、「自力」「他者のサポート」の二つのやり方があると思います。
≪自力≫
・転職サイト(リクナビNEXT、マイナビ転職、DODAなど)
・ハローワーク求人票
・各企業の採用ページ
・人脈
≪他者のサポート≫
・転職エージェント(リクルートエージェント、typeの転職エージェント、DODAなど)
・ハローワーク個別支援
ちなみに私のこれまでの転職方法は以下の通り。
≪1回目(イベント⇒企画)≫
方法:転職サイトのみ
理由:転職にかけられる時間的余裕がなかったので、自分の都合で24時間いつでも利用できるサービスのみで活動。面談や必要書類の提出など定期的に連絡を取らなければならないエージェントの利用は難しかった。
≪2回目(企画⇒営業)≫
方法:転職サイト、ハローワーク求人票、各企業の採用ページ、人脈、エージェント(上記3社併用)、ハローワーク個別支援
理由:退職後の転職活動だった為、短時間で次を決めたかった。1回目の転職活動時に情報量が少ないと感じたため、なるべく多くの情報に触れようとした。
2回目の時全部やってるんだ、と今気付きました。アグレッシブだな、過去の自分。
エージェント各社を実際に利用してみた比較感想や、転職サイトとハローワークの求人内容の違いなどもまとめていくと面白そうですが、長くなるので今回は省略します。
さて、今回3回目、私は現状下記の方法で活動を進めています。
メイン:ハローワークの個別支援
サブ:各企業採用ページ
理由は、2回目で出会ったハローワークのキャリアカウンセラーの方にサポートしてもらいたかったからです。
前回の活動時はすぐに次の会社が決まってしまったので、少し話を聞いてもらっただけでしたが、それでもすごく信頼のできる方だな、と感じました。就職してからも一度相談に乗ってもらったのもあり、今回その方と一緒に進めていきたいと思ったのです。
ただ、ハローワークは公共サービスなので基本的に指名はできません。が、ちょっと無理を言ってお願いしちゃいました。
今、私は週に1度ハローワークのキャリアカウンセラーの方(以下:ハローさん)と1時間の面談をし、履歴書、職務経歴書の振り返りから始めています。
次回は、振り返りをハローさんと一緒にして気付いたことをまとめてみたいと思います。
≪余談≫
以前、私はブログの中で「仕事は会社と会社のやりとりである」という内容を書きました。けれど、実際にサービスを利用する側に回った時に、私は「会社」ではなく、「人」で選んでいるな、という事に気付きました。会社と会社のやり取りだけど、最終的には人と人の付き合いなんですよね。バランス感覚が大事ってことかな。なんかキーワードになりそうなので、メモでした。
うしさんの愛らしさを、うまく表現できないもどかしさ
こんばんは。さきこです。
さて、今回は北海道・後編です。
牧場の仕事は朝が早いイメージがありますが、私がお世話になった牧場は6時半からと、そこまで早くないスタートでした。
一日のスケジュールは以下のような感じ。
1日に2回作業をします。朝は6時半、夕方は16時半からなので、朝と夕方の間の時間は自由時間です。ただ、作業中はずっと動きっぱなしなので、ご飯を食べたらだいたい疲れて寝てしまっていました。なので、仕事のある日は、
起床⇒働く⇒ご飯(昼)⇒寝る(昼寝)⇒働く⇒ご飯(夜)⇒お風呂⇒寝る
という、スーパー健全な生活でした。
仕事で身体を動かし、帰ってきたら疲れて「ご飯より睡眠!」となり、スルスルと痩せていきました。今、必死でリバウンドと戦っています。
ちなみに1回の作業内容は以下のような流れです。
めっちゃ簡素ですが、要は「搾乳」というメイン業務に、いろいろな付帯業務がある感じ。
この「搾乳」、牧場規模によってやり方が全然違います。オートメーション化している大きなところもあれば、1頭1頭手搾りしている個人経営の牧場もあります。
私がいたところは、個人経営ではあったけどミルカーという搾乳器を使って搾っていました。気になる方は「ミルカー 牛」でググってください。
機械を使うとはいえ、1頭1頭搾るのは変わりません。1頭1頭、布巾で綺麗に4本の乳頭を拭き、1頭1頭ミルカーをかけていきます。約140頭分の約560本の乳頭を、毎朝毎晩、365日、拭いてはミルカーをかけ、消毒をし、また次へ。
いや、マジ大変。
あの空気感の中にいると普通のことみたいに乳拭いてたけど、そりゃ筋肉痛で夜も寝られない日々が続きますよね。(最初の頃、手のひらがしびれすぎて良く夜中に目が覚めていました)
ただ、牛さんたちは、スーパー可愛かったです。
特に親牛。仔牛が可愛いのは想像がつくとして、親牛があんなに可愛い生き物なんだって知らなかったです。まず、性格からして可愛い。
≪牛の性格≫
・温厚 ・好奇心旺盛 ・臆病 ・我慢強い ・繊細
人間に興味を持つくせに、こっちからいくと嫌がって離れていく。そのくせ発情してると「あ、私発情してます!」みたいな感じで寄って来たり、首の下のたるみをタポタポするとちょっと気持ちよさそうだったり、あ、全然伝わってないと思うんですけど、もう、とにかく可愛いんですよ!あと、寒い日とか挟まれるとめっちゃあったかい。
あと、愛情をかけた分だけわかりやすく返ってくるのも良かったです。毎日やさしく接していると、他の人が触ると蹴るくせに、私が触ると蹴りそうになるけど我慢して搾乳されてる子とか、もう、ほんと愛おしくなる。嫌なのに我慢してるんですよ、めっちゃ震えながら。こういう時、「怒る」よりも「寄り添う」が大事なんだなあ、と思いました。
思い出話し始めるとキリがないです。乳拭いてるときに「もー」って鳴くから、「なあに?」って顔をあげると、帽子のつばを鼻先でふんふんしてきて、そして帽子取られる、みたいな流れとか、あー、すごく懐かしい。元気かなあ、1662(個体識別番号です)。1610は元気に赤ちゃん産んだかな、1428は乳房炎治ったかな、330は相変わらず穏やかにいるかな、1123はミルカー落とさずちゃんといい子でいるかな。たかだか5か月だけど、結構覚えているものですね。向こうは全く覚えていないと思うけど。
そしてここでも、また私は体調不良になるのですが、自分的にちょっと嬉しいことがあって。
それは、ちゃんと自分で限界点を理解して、自分で辞めてこれたこと、なんです。
もう30になる人間が何を甘いこと言ってんだって感じですが、2社目も3社目も医師の診断書という印籠を持って辞めた身としては、これは小さいけれど大きな進歩なんです。
辞めて帰ってくるときに、私は自分に「ありがとう」という気持ちになりました。
「ちゃんと辞めてくれて、ありがとう」って。
今まで、私は辞めた後や仕事の現状を考えて、会社にお客様に迷惑を掛けてしまう、せっかくしてくれた信頼を裏切ってしまう、と思っていました。
勿論、その観点は必要な事です。ですが、それ以前に、ずっと自分自身を裏切っていたんだな、とこの時気付きました。
もう身体が持たないから辞めてほしい、という自分の声をずっと裏切っていて。だから、今回辞めた時、ちょっとだけ自分自身への信頼度が戻った気がしたんです。
北海道で生活をして、きっとまだ消化しきれていない、いろいろな吸収物があると思うけど、今一番良かったな、って思う気付きは
・自分をちゃんと信じられるように、自分を裏切らない行動をしよう
という事でした。
さて、長々と今までを振り返ってきましたが、次回からは転職活動、具体的に進めていきます!
≪余談≫
牛の可愛さについて今だったら結構語れるかも!と思い「牛 オフ会」で検索したら、牛肉食べる系のオフ会がたくさん出てきて複雑な気持ちになりました。。
別海、よいとこ、一度はおいで♪
こんばんは。さきこです。
さて、今回は北海道編です。
まずは場所から見てみます。
私がお世話になった牧場は「別海町」という場所にありました。
札幌からは車で6時間くらい。東京と大阪くらいの距離です。
ほんと、北海道ってもう一つの国って感じです。でっかどう、ほっかいどう。
別海町は「町」と言ってもかなり広く、面積は約1,300km²、横浜市の約3倍です。
そこに住む人口は約1.5万人。武道館収容人数くらいです。思った以上に少ない。。
なので、街から離れると、全く人に会いません。人より野生動物によく出会います。
キツネ、鹿、鶴、うさぎ、りす、等々。
こちら、鹿はiPhoneで撮影。奈良の鹿並みの近さ。警戒心なさすぎ。
ちなみにキツネは関東で猫に会うくらいの頻度で会います。逆に猫のが珍しい。
このエリアの見どころは、溢れんばかりの「自然」です。
思わずパノラマ撮影したくなる風景がたくさんあります。
・野付半島(牧場から車で30分)
・開陽台(牧場から車で30分)
・霧多布岬(牧場から車で1時間)
・納沙布岬(牧場から車で2時間)
・釧路湿原(牧場から車で2時間)
・阿寒湖(牧場から車で2時間)
ドライブしてても、わき見運転しちゃうくらい、空が高くて広くて気持ちいい。
ちなみに帰るころには、車で1時間だと近い方、2時間になるとちょっと遠いなあ、という感覚になっていました。地元の方は、2時間までは近い方らしいです。4時間になると遠いなって感じるみたい。あ、これ片道の話ですよ。
名物は海鮮です。左から、根室のさんまロール、釧路の勝手丼、野付のホタテ、貰い物の花咲ガニ。
お値段もそこそこするので、観光地で食べるか、貰い物かって感じでした。
また、中春別辺りは酪農地域なので乳製品がおいしいです。
カフェよりもソフトクリーム屋さんの方が多くて、週1~2個は食べてた気がする。
のに、思ったより写真に残っていない。。
写真多くすると長くなりますね。次回は牧場生活のまとめをします。
まさかの2回にわたってしまった~。
≪余談≫
物価はモノによります。野菜は思ったより安くない、というか茨城県産とか逆輸入なものも多かったです。今年は台風の影響もあったのかな?
魚介類や肉類は安い!でかい!種類が豊富!な感じ。鮭とか一本で売ってるし。ジビエ(鹿肉とか)もコープで普通に売っています。
加工品は高い、かな?ヨーグルトとか高いみたいです(数十円の差だろうけど)。全国流通のメーカー商品は首都圏みたいに安く販売できないのかな?
田舎暮らしもそんなに楽ではないようです。
誰かに話すって大事
こんばんは。さきこです。
北海道から帰ってきて1ヶ月くらい経ち、最近少しずつ友達と会ったり、キャリアカウンセラーの方と面談したり、人と会話することが増えてきました。そして思うのが、こうやって文字にするのも良いのだけれど、やっぱり誰かとの会話から気付くことのほうが多いなあ、と。・・・なんかひきこもりみたいですね。いや、めっちゃ散歩とかしてるんで安心してください。
さて今回は、ミッション設定したにもかかわらず、いつからか仕事に押し流されてしまった原因について考えます。前回でなんとなく答えは出ている気もしますが。一応ミッション達成できていた時期とできなくなってきた時期をまとめてみます。
≪できていた時期≫
・担当を持ち始めた頃
・前任の方がまだ社内にいて、いろいろと相談ができた
・クライアント様からの印象も「後任の子」という雰囲気
≪できなくなってきた時期≫
・クライアント様が、担当が私だという意識を持ってくれるようになった
・最初は打ち合わせの時間もいただけなかったクライアント様が、話を聞いてくれるようになった
・今まで広告を発注いただけなかったクライアント様から少しずつではあるが発注をいただけるようになった
できなくなってきた時期=クライアント様が信頼してくれ始めた頃でした。熱心に提案してくれるからちょっと考えてみるよ、とか、来てくれると頑張らなきゃなって元気をもらうよ、と嬉しい言葉をいただくこともありました。
嬉しい反面、怖くもなりました。信頼していただいた分、ちゃんと返せるのだろうか。
とはいえ、不安に思っていても何も始まりません。上司や先輩に相談しながらとりあえず行動をしていました。そして、クライアント様といろいろな会話をするうちに、私は大事な本質を忘れていきました。
これは、会社と会社のやりとりなのだ、というビジネスにおいて当たり前のこと。
個人経営の方が多かったのも勘違いしやすい要因になったのかもしれません。私は段々と、「私自身が」返さなくては、と思っていったのだと思います。
けれど、私自身ができる事なんてちっぽけな事です。キャッチコピーを試行錯誤してみる、写真の組み方を工夫する、広告掲載されたらちゃんと振り返りをして効果があったのか検証する。コピーや写真組みは考えようと思えばどこまでも考え続けられてしまう。真剣にやろうとすればするほど作業に時間がかかり、未処理の業務が積み重なっていく。前職で企画をやっていた、という変なプライドもあったんでしょう。もっとできるはずなのに、と思いながらも時間が足りず自分では不本意な時もありました。
けれど、クライアント様にそのことで怒られたり責められたりしたことはありません。上司にも、ちゃんとできてるよ、と言ってもらえていたので、その仕事に求められている水準は満たしていたのでしょう。だから、あくまで、自分がそれではだめだと言っていただけなのです。もっとできるでしょ、ここまでしないとだめでしょ、と。
理想通りできなくても仕方ない、と思いつつ、誰よりも自分が自分を責めていて、自分が自分を信頼できていなくて、その気持ちをごまかすように一生懸命になりました。もう、一生懸命やるだけじゃだめな事はわかっていたのに、変わってない自分と向き合う方が怖かったんですよね。
結果、気付いたら前職と同じような流れで会社を辞めていました。
何かを変えたいとき、「環境」「相手」「自分」のどれかを変えると結果が変わる。
面倒くさがりの私は、相手が変わることを望んだり、環境を無理矢理変えて結果を変えようとしてきました。けど、やっぱり教訓通り、自分が変わらないと結果を変えるのはかなり難しい、というのが実感です。今回の気付きは以下の1点。
・いい加減、ちゃんとしよう。
誰かが求める役割に、ただ出来そうだからと手を挙げてコミットされても、私は過剰適応して最終的にだめになってしまう。だめになっても、また似たようなところを見つけて、転々としながら働くことはもしかしたら可能なのかもしれません。だけど、もういい加減、長く働ける場所を見つけたい。
誰かが認めてくれても、自分が認めてくれないのはどうしてだろう。そこに自分が納得できる理由がないからじゃないか。誰かがくれる理由じゃ納得できないなら、いい加減、自分が納得できる理由は何なのか、自分でちゃんと決めなくちゃ、次には進めないんじゃないかな。
なんてことをキャリアカウンセラーの方に言ったら、まあそういう考え方もいいけど、もっとシンプルでもいいんじゃない?と言われました。ははっ、一蹴。
まあ、小難しい考えからにせよ、シンプルな考えからにせよ、自分が決めていかないとなって思ったよ、というお話でした。
なんか、ここ数回すごく疲れたので、次回は北海道編、写真満載でお送りしたいと思います!
≪余談≫
昨日、本当にとても久しぶりに「生ビール」を飲みました。やっぱ缶と違う!おいしい!!
横着をするな!って中学生の時、良く怒られてたなあ。
こんにちは。さきこです。
私は中学生の時、ハンドボール部でした。顧問の先生が結構厳しくて、疲れてきて足が動いていなかったり、手が上がらなくなってきたりすると良く言っていた台詞が「横着をするな!」です。その時は、怒鳴られるたび、ただ必死で身体を動かしていたっけ。けど、今でも事あるごとに思い出して、はっとさせられる言葉です。
何かを変えたいとき、「環境」「相手」「自分」のどれかを変えると結果が変わってくる、という話を良く聞きます。環境や相手は中々変えるのが難しいから、自分を少しずつ変えてごらん、そうすると環境や相手が変わってくるよ、という教訓めいた流れになります。
え、でも自分変えるのも結構難しくない?環境変えちゃった方が早くない?と2社目での自分の状況や気持ちをろくに整理もせず、要は横着をして3社目に入社した私はどうなったのでしょうか。
まずは退職に至るまでの流れを振り返ってみます。
≪3社目詳細≫------------------------------
業種:情報通信業(情報サービス業)
職種:企画営業
入社理由:自己成長のため
担当業務:自社媒体利用顧客に対するセールスサポート及び広告販売
在籍期間:9か月
退職理由:精神面からくる体調不良。医師の判断により休職後、退職。
----------------------------------------------------
この会社は「3年間更新なしの契約社員」という契約形態でした。
ですので、この仕事がしたい!というよりは、この仕事を通して勉強をさせていただこう、という気持ちが強かったです。
また、2社目の辞め方がそれなりに不本意だったので、見返してやりたかった気持ちもあったと思います。
要は、「病気になって辞めるとか、逃げたとか思ってるかもしんないっすけど、私、この会社(結構な大手企業)に入れるくらいの能力あるんで」的な。
うーわ、感じ悪っ。結果同じように辞めとるやん、だっさ、と今は笑ってしまう考え方。
ただ、入社時はもちろん満期までやりきるつもりだったので、二の舞にならないよう、自分なりにミッションを設定していました。
≪自分の中で決めたミッション≫
①仕事との優先順位をつけ、効率的に業務を遂行する
・仕事を自宅に持ち帰らない
・こだわりすぎない
・できる限り定時であがる
②ビジネスにおける「お金」の仕組みを理解する
・自分が行っている業務に支払われる対価を意識する(①に関連)
・クライアント様との交流の中で、様々な経営方針を理解する
9ヶ月間の中で、②は達成できたかな、と思っています。対価に合わせて効率的な業務遂行を「意識する」ことはできました。行動できていたかは別として。小さなことですが、2社目では意識することすらできていなかったので進歩です。
また、様々な経営者や担当の方とお話しすることができました。私の担当エリアは個人経営、会社経営、コンサルを使っているところ、いないところ、本当に幅広くて、そしてそれぞれが様々な思いで経営をされていてとても勉強になりました。
さて、問題は①です。ここが退職の起因となっているので、しっかりと振り返ってみます。
≪ミッション①未達成の要因≫
・未処理業務が増えてくると優先順位づけに頭を使えなくなり、なし崩しにその場その場の対応になってしまった。
・結果的に自宅で出来る業務は自宅ですればいい、という考え方になった。
・キャッチコピーや原稿本文など、クライアント様の良さをどうやったら表現できるか、を考えすぎ時間がかかりすぎてしまうことがあった。(こだわり過ぎた)
この要因の根本にあるのは、私の下記のような性格に原因がありそうです。
≪さきこの性格≫
・真面目すぎる ・こだわり過ぎる ・正直すぎる
・周囲の期待を敏感にとらえ、先回りして応えようとしてしまう
上記の理由が、精神面からくる体調不良へと繋がったと考えます。この「体調不良」、2社目の振り返りで省いてしまいましたが、両社とも「適応障害」という診断を受けました。
そもそも適応障害とはどんな病気なのでしょうか。
●適応障害とは
適応障害は、ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。また、無断欠席や無謀な運転、喧嘩、物を壊すなどの行動面の症状がみられることもあります。
※「知ることからはじめよう。みんなのメンタルヘルス(厚生労働省)」より引用
適応障害には、環境にうまく対応できない「不適応」と、逆に過剰に適応しすぎてしまう「過剰適応」という状態があります。私は「過剰適応」と診断されました。
これは私の解釈ですが、過剰適応=度の過ぎた八方美人、だと思っています。
私の場合の話をします。
入社前、私の勝手なイメージですが、「営業」というと、社外ではニコニコしながら、社内では無理な納期の資料作成を要求したり、メールの返信さえよこさなかったり、そんな印象がありました。で、私はそういう営業にはなりたくなかった。イベントスタッフの時、企画プランナーの時、直接ではないにしろその余波を受けていたのも原因でしょう。
とは言え、当然クライアント様が第一です。打ち合わせ時には必要資料、データ読み込みは当然していないとだめ。プラスαの情報提供もできた方が喜ばれるから何かしらのネタを仕入れておかなければだめ。外向きの顔、とても大事。
だけど、内向きの顔も大事にしたい。原稿の締め切り、社内書類の締め切り、スケジュール入力の徹底。社内に迷惑を掛けるなんてだめ。内向きの顔だって、大事。
外にも内にも「やらなければならない事」がいっぱい。理想はそれら全部を網羅できる営業マンです。けれど、そんなの初めから全部出来るわけがない。ただ、私は度の過ぎた八方美人なので、すごい、すーごい努力して、ギリギリやれちゃったりするのです。
最初に出来てしまうと、それがその人のデフォルトになる。「さきなら大丈夫」と、周りも、そして自分自身さえ思ってしまう。私は出来る、と思っている真面目な人間が、出来ない状態に陥った時のストレスは、結構しんどいです。昔より自分を許せるようになってはいましたが、それでも表面的には出ないだけで、かなり辛かったんだろうなあ。ごめんね、私。
しかし、こうならないためにミッション設定したはず。そして最初の頃はできていたはず。一体どこで崩れたのだろう。そもそも「根本(自分の性格)」には触れず、「行動(ミッション設定で制御しようとした)」を変えようという試みは正しかったのか。
その辺りを次回掘り下げたいと思います。
参考:「新生活での「過剰適応」にご注意。入学、就職、異動の時期に気をつけるべきメンタルヘルスの問題 (MEDLEY)」
https://medley.life/news/item/56fa7a190cd1521f008bf723
≪余談≫
中学の顧問の先生語録でもう一つ覚えているのが「視野を広く持て!」です。まあ、ここでの意味は「コート内をもっと良く見ろ!」なんですが。意外と覚えているものだなあ。
お前の家庭ぶっ壊してやろうか、と本気で思うくらいのどす赤黒い感情
こんばんは。さきこです。
週の初めから不穏なタイトルで失礼します。タイトルは私が当時、上司に対して本当に持っていた感情です。「殺してやりたいくらい」でなく、ちょっと実現可能そうなところが怖いですね。
さて、何故、私はこんなにも上司が嫌いだったのでしょうか。まずは上司に対する不満から整理してみます。
≪上司に対する不満≫
・仕事量が多いので担当の見直しをしてほしいと進言。
⇒(私の目線から見て)社内交渉もせずに無理だと言われる。何度かトライするも結果変わらず。
・資料のダメ出しが理にかなっていない。
⇒正論で言い返していたら最終的に何も言わなくなりました。
・何をしているのか、わからない時間が多い。
⇒資料作成は、ほぼ自分でしていたので作業自体には影響なし。
あれ、意外に、ないなあ。
そうなのです。最近、ブログを書くために自分の中を整理していて、ふと思ったんです。上司自体がイライラの根源ではなく、自分のイライラを上司にぶつけていたのではないか、と。
それでは、イライラMAXだった時の私の状況を整理してみます。
≪イライラMAX時期=退職直前の状況≫
・駐在要員となり約1年。仕事、環境にも慣れてきて周りが見えるようになってきた。
・駐在先社員さんなど、他者が作成した企画書を見る機会が増えた。
・他案件の打ち合わせに参加するなど、同じ立場の人(マーケティング、企画担当の方)と議論する機会が増えた。
前回書きましたが、私はマーケティング実務、どころか勉強さえもしたことがない状態で入社しました。そして実践を繰り返す中で仕事を覚えてきました。
一方、駐在先は大企業。実践はもちろん、知識も備わっている方が多い。そして人間ができている方が多い、おしゃれさんが多い。
知識がなくても実践の中で得た経験や理論で会話はできます。けれど、打ち合わせの中で出てくる言葉が分からない、アイディアを出す手順が違う、企画書のわかりやすさが違う、物腰の柔らかさが違う、ファッションのセンスが違う、等々。
もう、全部格好良く見えるわけです。正しく見えるわけです。自信がなくなるわけです。
自分のやり方は正しいのかな、もっと良い方法があるんじゃないかな、偉そうにプレゼンしているけど他の方向からの検討が足りてないんじゃないかな。そんな事を思いながらも日々の業務は変わらないし、捌いていかないと終わらない。
一度立ち止まって自分の気持ちや仕事の進め方を検討する、という判断は当時の私には難しかった。言葉にできないモヤモヤを持って日々に流されていました。相談しようにも、そもそも自分が何にモヤモヤしているのかもわかっていない状態。飲みに行っても結局、仕事量の多さや上司の愚痴になるだけでした。
今、時間と距離を置いて考えると、このモヤモヤの正体は、「自分の未熟さへの焦り」だったと思っています。入社してから3年、駐在して1年。がむしゃらに進んで、結構登ってきたなあと、ふっと顔をあげたら果てしない山脈があった、みたいな。要は上には上がいるって実感したんですよね。
恥ずかしい。悔しい。負けたくない。私もそっちにいきたい。こんな気持ちがモヤモヤの正体かと。
だから自分で辞めるという選択肢はなかったのでしょう。でも、どうしたらいいのかわからない。わからないなりに妙な焦りは感じるので、結果、もっと働きました。そして、また苦しくなる。
そこに上司がいました。わかりやすいイライラの捌け口でした。
上司に対する不満、というよりはむしろ自分に対するモヤモヤ(それは不満の何倍もあったと思う)をぶつけていた。そのパワーたるや。
そのパワーを勉強に向けていたら、今とは違った未来があったのかもしれません。企画屋さんとして成長するには恵まれた環境だったので、手放したのはもったいなかったのかもしれない。けど、あの状況の中、この考えに至るのは不可能でした。そして、今、ちゃんと振り返って、整理をして、気付けてよかったな。
今回の気付きは以下の2点。
・上司に対するイライラは、未熟な自分に対する焦りや不安だった
・成長したい、と思えるくらい企画の仕事が好きだった
マイナス感情満載のタイトルから、いい感じの結論が出せてよかった。
さて、次回は3社目、企画営業時代のお話です。
≪余談≫
こうやって思い返すと、上司もしんどかったろうなあ、と思います。本当にすみませんでした。また、情緒不安定だった私に、駐在先の方々、特にお世話になった営業部長さん、担当営業さん、同じチームだった姐さん方は優しく、時に厳しく、それでも投げ出さずに向き合ってくれました。
この場を借りて、本当にありがとうございました。
ご期待に沿えず、本当に申し訳ありませんでした。
と言っても、見てないと思いますが…届かなかったら意味ないじゃん、だったらお礼状とか書けやって感じ…あ、そうか、お礼状書けばいいのか、会社ならわかるし。あーそっか、うん。けど、今更そんなん届いてもあれですかねえ。…うーん。とりあえず落ち着いたら考えることにしよう。
西野カナの歌に出てくるような、普通のOLさんになりたかった
こんばんは。さきこです。
西野カナさんはマーケティング手法を用いて曲を作るそうです。ターゲット・コンセプトを決め、リサーチをし、企画書に起こしてスタッフさんと打ち合わせをする。作曲活動といっても一般的な仕事と変わらないのですね。
そんなターゲティングにまんまとはまり、歌の中のきらきらした女子像に憧れて私は転職をしたと言っても…いや、過言ですね。あんま関係ないですわ。
さて、今回は2社目について掘り下げていきます。
詳細を再掲します。こちらも入社理由を加筆しました。
≪2社目詳細≫------------------------------
業種:情報通信業(情報サービス業)
職種:マーケティング・企画プランナー
入社理由:土日休み、定時で上がれる仕事に就きたかった
担当業務:小売業(主に食品)向けの市場調査及び企画提案
在籍期間:4年
退職理由:精神面からくる体調不良。医師の判断により休職後、退職。
---------------------------------------------------
入社理由を見てわかると思うのですが、「マーケティング」をやりたかったのではないです。9時5時勤務の、いわゆる「普通のOLさん」になりたい!と転職活動をしていたら、たまたまこの会社に出会い、ご縁があった、という訳です。
結果的に私の職歴の中で一番長く、4年間お世話になりました。4年の中で2度の大きな転機があるので、時系列で見ながら退職に至るまでの経緯をもう一度整理したいと思います。
≪4年間の流れ≫
当時社員数10人以下の小さな会社でした。社長が案件のほとんどに関わり、自ら企画書を書き、自らプレゼンに行く。他の社員は「お手伝いさん」感覚が強かったです。
ただ、いつまでもそれでは「会社」として不十分である、ということから人を増やし、業務拡大をしている、私が採用されたのはそんな時期でした。
この会社は「しろうと目線」を大切にしていました。理論などに縛られず、「今」をしっかり観察して消費者のニーズを知ろう、という方針です。だからこそ実績のない私を採用してくれました。仕事を覚えるのも「習うより、慣れよ」。先輩の資料参考に見よう見まねで企画書を作り、社長のプレゼンに同行してノウハウを学ぶ。
転機①以前の私の仕事は、社長が考えたロジックに沿ってデータや企画書をひたすら作ること。プレゼンや社外打ち合わせには同行はしても、ひとりで行くことはありませんでした。
転機①以降、自分が中心となって動く案件が増えていきました。社外との接触も増え、自分で考えて進めることが必要となりました。
転機②から、自社内ではなく、お取引様社内の駐在要員となりました。新しい仕事を開拓する為です。積極的に、ではないけれど、いることで営業して来い、という訳ですね。
理解しやすくするために表にまとめてみます。
≪業務内容の変化まとめ≫
期間 |
業務内容 |
入社後 |
資料作成 |
転機①後 |
資料作成+社外打ち合わせ、プレゼン |
転機②後 |
資料作成+社外打ち合わせ、プレゼン+新規開拓(営業) |
業務内容の変化に伴い、当然、労働時間にも変化が現れました。
≪各期間の労働時間≫※出典元=さきこの記憶。
期間 |
出勤時間 |
退勤時間 |
休憩時間 |
労働時間 |
入社後 |
10:00 |
19:00 |
1h |
8h |
転機①後 |
10:00 |
21:00 |
1h |
10h |
転機②後 |
9:00 |
22:00 |
0~1h |
12~13h |
※7h以下省略。※転職②後は12.5hで表示
入社から転機①までは、私が思い描いていた通りの「普通のOLさん」でした。定時で上がれて、土日は完全休み。朝もゆっくりだからお弁当を作って持って行っていました。横浜に住んでいた時は、金曜の夜にミッドナイトショーで映画を見たり、休みの日にはヨガに行ったり、デッサン教室に通ったり、たまに旅行したりと憧れ通りの生活。
その後、転機を経るたびに段々と労働時間が増え、資料作成、打ち合わせ、プレゼンに追われ、体調不良に至ったと考えられます。
ただ、この「転機」、押し付けられたものではありませんでした。「こんな話があるけどやってみる?」と毎回、社長は私の意思を確認してくれました。その度、私は新しいことができるのが楽しくて、任せてもらえるのが嬉しくて「やります!」と答えていました。
新しい仕事が増える=何かの時間が圧迫される、という考えが欠落していたんですよねえ。あと、「普通のOLさん」が実際やってみるとそんなに楽しくなかったんだと思います。
ただ、単純に「仕事量の増加=労働時間の増加」と考えるのは良くない。増えていく仕事に優先順位をつけず、どれこもれも全力で取り組んでしまっていたのも事実です。「1週間の力配分をきちんとすること」と、後の営業時代に上司に言われましたが、この頃からそうだったんですね。全力投球はやり切ったとき気持ちがいいけど、毎回してたら壊れちゃいますし、結局壊れちゃいました。
今回の気付きは以下の2点。
・私は意外と仕事をするのが好きである
・仕事の優先順位の付け方、力配分を身に付ける必要がある
さて、多くなっていく仕事量に当時の私も気付いてはいました。そして、自分なりのアラートを上司に出していました。が、これが、なかなかの方でして…全然伝わらない。さらに、部下(私)が死にそうになりながら働いているのに定時前に帰る。打ち合わせ直前に資料にダメ出しをしてくる。云々。
上記のようなことが積み重なって、最終的に自分でも引くくらいその人のことを嫌いに、いや、憎んでいました。
けど、何でそうなったんだろう。そんなに嫌な人だったのかな。
このあたりを深掘りして、当時の私の心理状態をもう一度振り返ってみたいと思います。
次回、「嫌いだった上司」、お楽しみに!
≪余談≫
音楽聴き放題サービスがある中、いまだレンタルCD派です。昨日1年ぶりくらいにセトリ更新してうきうき。お散歩が楽しくなりそー。ほんとの余談でしたー。