アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

にじいろの濁流

先週末から目まぐるしくて1日がとても早い。

なのに1週間がとても長い。
小学生みたいな時間サイクルで生きてます。
どうも、こんばんは、さきこです。

先週末のイベントで知り合った人とやたらと意気投合し、その人の活動を一緒にやっていくことになりました。完全なる巻き込み事故。笑
今週に入ってからも、以前から「こんな事したいな〜」と思っていたことを実現できそうなヒントや仕組みと出会えたり、実際にやっている人たちと出会ったり。今まで自分がやってきたことに興味を持ってくれる人が出てきたり。
次から次へと繋がりができて、情報が入ってきて、まるで濁流の中にいるみたい。

そう言えば、仕事をしている時にもこんな状態になった。
仕事を認めてもらって、そうしたら次から次へと案件が入ってきて、いろんなことを求められて、いろんな人と関わって。
あの時も濁流の中にいるみたいだった。
渦の中で沈みたくなくて頑張った。
見捨てられたくなかった。
結果、体や心がアンバランスになった。

だから、ちょっと不安でもある。
またおんなじことになるんじゃないかな…。
でも、今回は大丈夫!ってなんか変な自信がある。
まず、受け身じゃない。あと、嫌われてもいいやって思えてる。
そして、一番大きな要素は「自分も意識しながら動けている」と感じるから。
ここまでやった方がいい、というところまで無理して頑張らない。ここまではやったけどちょっと疲れちゃったから明日にしよう、って出来てる。
やる事だけじゃなくて、自分の事もちゃんとチェックできている、今は。
「仕事」となると変わっちゃうのかもしれないけど。
でも、今、ほんとうにとてもよい状態。
1日の中で、たのしいって感じることが多くなった。わくわくしている時間が長くなった。

で、そのわくわくに飲み込まれちゃうと知らぬ間にやる事過多になっちゃうのでちょっと整理した。

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関わらせて頂いている人、その人たちがやりたいこと、その人たちと関わる時の自分の立ち位置、わたしがその人たちとやりたいこと。

書き出してみると、わちゃわちゃしていたものが整理されて、すとん、と落ちる。
そうすると次にやるべき事が見えてくる。
そこに向かって動く。
そうしたら何かしらの結果が得られる。
副産物もあったりする。
その繰り返し。
そうやって、わたしがつくりたいものを少しずつ形にしていきたい。

経済的な不安はある。
けど、今はまだ甘えられる場所があるから、感謝して恩恵を受けながら自立の道を探していこうと思う。
とりあえず今日は早く寝るー。

ゆきむし

寒い時期になると飛んでいる白い虫。

あれを「ゆきむし」と呼ぶらしい。
いや、ほんとにあの虫を指しているのかわからないけど。
雪が降る前に飛ぶ虫でゆきむしというのがいて、とわたしが教えてもらったのはちょうど1年くらい前の話。
ゆきむしは専門家の間で人気がないらしい。だから、あまり研究が進んでおらず新種をすぐに見つけられる。新種の名付け親に簡単になれるのだそうだ。
街路樹で見かける赤い実をつける木が「ななかまど」という名前で、「七日間かまどで煮ても食べられるようにならないから」という名前の由来も彼女に教えてもらった。

北海道で一緒に過ごした約半年。やたら牛乳を飲んだこと、豪快な夜ごはん、街への買い出し、最後の日のこと。横浜に会いに来てくれたこと。
最近、ゆきむしを見て思い出した。
たのしかったなあ。行ってよかったなあ。
会えてよかった、ありがとう。

相変わらず情緒の緩急に飲み込まれる時がある。
突如湧き出る不安に右往左往する日もある。
どうしようもなく過食に走る日もある。
だけどその時、まだどこかで自分を客観的に見ることが出来るようになった。
身近な人が理解を示してくれる安心感があるから、もだけれど、ゆきむしみたいに日常の中で思い出す顔が増えたのも、少しずつ安定に向かえている理由なのかな、とぼんやり思う。

社会に出てから、特にここ1、2年、人間関係の幅が大きく広がった。
その場限りの人もいるし、少しの期間一緒にいて今は離れてしまっている人もいる。何だかんだゆるい付き合いがある人もいる。
熱い議論を交わしたな、とか、めっちゃ泣かせてもらったな、とか、くだらないことでお腹痛くなるくらい笑ったな、とか。
きっと、これからもっと増えていく。
そういう出会いがあると、単純にたのしい。
たのしいと、もう少しやってみたいなって思う。
そうやって時間を積み重ねられたらいい。

おはようございます、さきこです。
今日も寒いけどいい天気。
今日は逗子に行って、またあたらしい出会い。
たのしみだなあ。

自分が安心する、がベース

こんばんは、さきこです。

おとといから週3日勤務が始まりました。
休職後同じ会社に復帰するのも初であれば、短縮業務も初…ドキドキの今週ですが、今日はその前の週のお話をベースに書いてみます。

先週、会社に1日だけ終日出勤しました。
2週間振りの仕事…めっちゃ怖かったです。
なので、いろいろ配慮してもらって、自分でも様々な想定をして臨みました。
それでも思った以上に、というよりかは経験しなければ思いも至らなかったことで辛かったです。
想定していたのは以下のようなこと。

・期間が空いているため、状況理解までに時間がかかる
・その為、要領よく動けない、各業務について以前の倍の時間がかかることを覚悟しよう
・クライアントさんと微妙な距離感が出来てしまうだろう
・そこは仕方がないので、またちょっとずつ信頼関係を築いていこう

実際に働いてみると、想定はしていてもやはり苦い思いはする。けれど、想定できている分、やり過ごすことはできました。
だけど、やり過ごせないくらい1番精神的にやられたのはもっと別のことでした。

自分の負担が周りの方に顕著に表れているのを目の当たりにする。

これが1番辛かった。
でも、じゃあやります!と言えない状況。出来るかもしれないけど、その後崩れてしまっては元も子もない。それは周りも理解してくれていて、やってよ、なんて言わない。むしろ気を遣ってくれて、大丈夫ですよ!と笑顔を向けてくれる。
だけど明らかに多い業務量をこなすその隣で制限してもらったものをする、これはとても辛い状況でした。

帰ってからもやはり引きずってしまって、大丈夫って言ってくれたけど本当はそんな事思っていないんじゃないか、わたしがいない時に何を話してるんだろう、わたしは居るだけで迷惑なんじゃないか、いやでも良いって言ったし、割り切ればいいし、でもわたしだったら理解はできても絶対やだな、いやでも、けど…と負のサイクルに入っていきました。

あ、これ、ダメなやつだ!
あかん!
1人で考えたらあかんやつ!

そう気付いて、かなり勇気を出して休みの日に職場の方に時間をもらい話をすることにしました。
現状ふたりの方と蜜な関わりがあって、話しといってもまあ、それぞれの方とサシでただ飲んでお茶してってだけなんですが。

それでも、普段職場ではじっくり話せない仕事のことや、それぞれの思い、今後自分はどうしていきたいかをお互いに共有できました。
週5日で働くのは難しいこと、その負担がふたりにダイレクトにいくのが見えることへの正直な気持ち、それでも今はここで働きたいこと、できることなら今までと同じようにフラットに意見交換をできる関係でありたいこと。

話し合いだけで何が解決することってあんまりないとわたしは思っています。
話し合った結果行動して初めて結果が出るし、なるべく早く大きな結果を出せることが、特に仕事という場面だと求められがちです。
でも、その行動を起こすために、話し合うってやっぱりすごく大事。
話し合って、お互いのことを共有して、認め合って、そうすると安心する。
うまくいってもいかなくても、この人たちとだったら立ち止まっても良い方向に進んでいけるんじゃないか、というちょっと能天気かもしれない気持ちになる。
そう思える関係性がベースにあると、不思議と仕事のスペックもあがるものです。
現に先週1時間で1〜2件しか書けなかった書類が、今週は2〜3件書けたし。手を抜いていたとかではなくて。安心したから余計なことを考える分のパワーを作業に当てられたんでしょうね。

『安心がベースにあって力を発揮できる』

大人になってから自分がほんとに安心できる場所を得るには、ほんとの部分で話し合うことが必要。ほんとの部分で話すためには、まず自分がどうしたいのか、どう感じているのか、を伝えられるようにならないといけないんだなあ、と思える一件でした。

自分のほんとの部分を他者に伝えるには、

自己分析をし結果を出さねばならぬ、
セルフマネジメントができればならぬ、
完璧な自分の中の答えを出さなければならぬ、

ってことではなくて、

ここまで考えたけどわかんなかった、
こういう事をしてみて結果は出ていないけどもう少し続けてみたいと思っている、
なんか、こう、〇〇って感じなんだよなあ〜

と今の自分のそのまんまを口にできることが必要なんじゃないかな。

自分を殺さないで、だけど相手のことも少しだけ考えて、『わかり合いたいから話してみたい』。
自分ひとりじゃ堂々巡りしちゃうから、あなたの頭を、時間を貸して欲しい。
これはとっても贅沢なわがままであると思う。
それでも、お願いして「いいよ」って言ってくれた相手にまずは甘えてみていいんじゃないだろうか。
話した結果わかりあえなくても、それはやっぱり哀しかったり苦しかったりするけど、腑には落とせる、納得できる。だから、次に進める。

関わる人すべてにする必要なんてない。
それでも、「会社の人にはしない」「プライベートの人にはする」ってカテゴリーで分けちゃうのも勿体ないなって思った。
会社の人でも話したい人には話せばいいし、友だちと呼ばれる関係でも話したくなかったら話さなくてもいい。
話したい人が今のコミュニティにいないなら別のコミュニティで探せばいい。
いろんなところに、いろんな頻度で関わるコミュニティを持ってもいい。
もちろん逆でも。
どっちでもいい。

大切なのは『自分が安心できる場所を、自分が安心できる分だけ確保する』ことなのではないかな。
明確な答えがないからしんどいけど。
それでも、自分の頭を使って、心を使って、身体を使って得た安心は、すごくあったかいものなんだなあって今は思う。

ただ、これ、変動するものなので、これで安泰!とはいかないんだよなあ。
変動しつつも自分の安心を保ちながら、子どもたちには安心できる場所を提供していきたい。
そして、ゆくゆくは自分で居場所を見つけられるようになって欲しいな。

当事者として

こんばんは、さきこです。

最近、日々目まぐるしいのに時間が経つのがゆっくりで小学生的時間感覚で生きている気がしてます。1日は早いのに1週間は遅い、みたいな。

今日からカウンセリングが始まりました。
診断名は神経症、症状は過食嘔吐、になるのかな。
過食症状は高校卒業あたりから始まり、もうかれこれ10年以上の付き合いです。
ちらほらブログで書いたり、知人・友人に話はしていましたが、自分でちゃんと病気なんだなって認められたのはほんとここ数週間のことで。
あ、病気なんだ、そっか、病気なのか、じゃあ治すか、と素直に思えたことに驚いた。
素直に思えたことで、今まで病気だって認めてなかったんだってことに驚いたんですよね。
明らかにおかしいし、自分でどうしようも出来ないのに、何故か「そういうもんだ」って思ってた節があったなあ、と。
そんな風に考え方が変わっていったのは歳月が経ったのもあるけど、ここ1〜2年で関わる人の数や種類が増加したことが大きい気がしている。
多様なコミュニケーションの場って大切。

カウンセリングは毎週決まった時間に先生と小一時間お話をする、というもの。
今までの話を先生の質問に答えながら進めていきます。
うまく言えない気持ちを先生が言葉で補足してくれたり、客観的な見解を示してくれたり。
2年ほど前からお世話になっている方で、都度都度面倒を見てもらっているのである程度信頼関係が築けた状態からのスタート。
どんなことするのかな〜と期待半分、不安半分で行きましたが、初回の感想は「ただただ楽しかった」です。
自分の話を思ったまんま誰かに話す事って結構少なくて。
今は思わないけどちょっと前まで、友達との話でも起承転結がちゃんとあって盛り上がらなければだめ、って思ってたし。そりゃ疲れるわ。

今日は小学校くらいまでの話。
転職期間中にブログでまとめていたこともあり、ある程度自分の中で整理されていたのは大きかった。
一度整理したものを再考しながら話す。その上で他者から質問されて、それにまた答えて、答えている自分の声を聞いて、「そうそう、そう思ったんだ」と再確認して。
自分ひとりで思い出していくよりも、より深く、そして客観的に過去の自分を捉えることが出来ました。

その結果わかったことが、すごく幸せな幼少期であったなあ、ということ。
家族の話が主だったけど、周りの大人たちにたくさん愛されて育った子どもですよ、わたしは。笑

よく、家庭環境が悪いからと言って子どもも悪くなる訳じゃない、という話を聞きます。
これって裏返しも当然あって。
家庭環境が良かったからと言って子どもも良くなる訳じゃない。
環境が子どもの成長に影響を与えるのは事実で、家庭というのは距離が近い分、その影響はより大きくなる。
けど、環境がその子の全てを決めるわけではない。
その子自身の特性、周りの環境、時代、それらが起こるタイミングなど様々な要素が混ざり合って成長してく。

過食症は家庭環境に恵まれなかった人だけがなるわけじゃない。
家庭環境に恵まれていたってなる人もいる。恵まれているはずなのにって余計に自分を責めて悪化していく人もいる。
どんな人でもなる可能性があって、特に「女性は痩せていた方が美しい」とされる現代日本では全ての女性が予備軍と言っても過言ではないと思う。
食べるって三大欲求の一つで、生きることに直結してること。そこがちゃんと機能しないことの苦しさはじわじわと日常を侵食する。

で、何が言いたいかというと、「わたしに振り回されないでね」ということ。
過食嘔吐をすると血糖値が急激に上がり下がりするから情緒の変動が激しくなるし、食べ物が逆流するので身体への負担も大きい。
情緒がどん底の時は考え方がネガティヴに寄るし、自分や身近な人を攻撃してしまったりする。
それをやめたいと思ってカウンセリングを始めた。
でも、まだ始めたばっかりだからうまくいかないこともあるんだ。
だからついていけなくなったら一時避難をして欲しい。少し時間を置くとか、距離を置くとか。
見捨てられたらかなしいけど、まあ、それも仕方ないことなのかもしれない。
…いや、でも、やっぱり寂しいのでがんばるからもう少し見守ってください。

渦中のことだからうまくまとまらないや。
いろいろ書いたけど基本的には元気にやってます(*´-`)

2つの革命とわたしの革命

こんばんは、さきこです。
タイトル、やばないですか。厨二臭ぷんぷんで書きながらニヤニヤしちゃう。
「わたしの革命」ですよ、やばー。

さて、今日はこれと

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これの

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お話です。

まずは「革命のファンファーレ」から。

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(個人的にはカバーを外した装丁がすき)

この本、個人的にはすごくグッときて、内容とご本人の行動がちゃんとリンクしているところも込みですごいなあ、と思い、その思いの丈をAmazonレビュー(初めて書いた!)したのですが「内容が不適切」ということで掲載されませんでした。結構ショックだった。
その内容が以下。

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内容は正直あんまり覚えてないのですが、読後の爽快感というか…元気とちょっとだけ勇気をもらいました。インスタにアップしたら本当にちゃんと反応してくれるし、そういった楽しみ方もできます。1500円でいろいろ楽しめるからわたしはお得だと思いました。
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「内容覚えてない」ってレビューじゃないよねw
なので掲載されなかったのかなあ、と。ガイドラインをちゃんと読んでないから憶測ですけどね。
けど、この感想はわたしの正直な気持ちです。

内容とやっている事がしっかりリンクしている。
それを読者に体験させてくれる。
インスタに上げたらちゃんと反応してくれる。

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Amazonレビュー書いてくれたら嬉しいってコメントがあったからレビュー書く気になったよ)

たかが「いいね」一つ。コメントはきっとテンプレだろうし、もしかしたらご本人が対応してないかもしれない。
けど、この地道な作業を西野亮廣という人はずっとしてきている。
ブログ見ればわかるけど、「プペルを売る」覚悟がものすごいあるんだろうってわかる。


もう一つの革命「パーフェクト・レボリューション」は実話を元にした障害者とソープ嬢の恋バナ映画。

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電動車椅子で夜風きるの気持ち良さそうだった「映画.com」より)

内容に元々興味があったのだけれど、元ネタとなった子宮委員長はるさんのブログがFacebookのタイムラインでやたらと流れてくるのでより興味が強くなって観てきた。
観ている間、「普通ってなんだ」「障害ってなんだ」ってずっと思ってた。この映画を作った人たちはどういう答えを出すのかなあって。

今の社会において普通じゃないとされる人が思う普通の行動をすると、普通とされる人からバッシングを受けて、普通じゃない人はすごく普通じゃない行動に出たりする。
そうすると近くにいる普通の人の普通じゃない面が露わになったりして、結果みんな傷付く。
距離が近いほど傷も深い。
傷付くと痛い。傷付くと怖い。だからその原因に普通の人も普通じゃない人も蓋をしようとする。
受けた傷が大きいほど、原因から波紋状に広がる原因になりそうなものまで全部に蓋をする。

でも、傷付いても生きていれば回復する。
時間は掛かるけど、必ず、生き続けていれば。
回復できると前よりちょっと強くなる。前よりちょっと優しくなる。前よりちょっと見える世界が違ってくる。
いたずらに傷付けるのはよくないけど、それが自分を形成するコアなものなら出ちゃうものだし、それは痛いし怖いんだけど結果的により良い未来を掴めるのかもしれない。
大どんでん返し!的なことはないんだけど、最後ちょっとだけ、オセロ1枚分くらいひっくり返るの。そこも素敵。

で、わたしの革命はというと、医師、上司と話し合った結果、週4日勤務から復職することになりました。
当たり前のように感じる流れだけどわたし的にはかなりすごくて。
何故って今までこれが出来なくて転々としていたのです。
それまで同じ条件で働いていたのに自分だけ違う働き方をしながらもそこに所属する、ということがとても難しかった。
会社側の対応ではなく(むしろ有難い事にどの会社を辞める時もわたしが働ける範囲での復職提案をしていただいた。本当に有難い事だ)わたしが受け入れられなかったの。
「こうでなければならない」という気持ちがものすごく強かったから。
正社員なのだから週5日は働くべきだ、みんなが働いているのに休むべきではない、何故わたしはみんなと同じように働けないのだろう、そんな自分はいる価値がない、みたいなネガティヴサイクルでぐるんぐるんしていて。
それを今回、受け入れることができたんです。
なんか、自分の成長を感じた瞬間でした。
他愛もないことだけどね、いや、わたしほんとすごいぞ!えらいぞ!!!

実際働いてみないとなんとも言えないけれど。
それでも、ちゃんと会社と対話をして、自分の希望を伝えて、相手の希望を聞いて落とし所を見つけて。そんな作業がちゃんと出来るようになるとは。
人間、日々成長ですね。

O! MORO LIFE的ハロウィン

こんばんは、さきこです。

ハロウィンナイト、楽しんでいますか?
わたしは先週末、台風襲来の中すでに楽しんだのでいつも通りに過ごしております。
今回はその台風襲来ハロウィンパーティの個人的感想を書こうと思います。

このパーティはO! MORO LIFEプロジェクトという横浜市とstudio-Lが共同して行なっている、それぞれが日常で感じる「バリア(障害)」について考える市民プロジェクトから派生したパーティ。わたしは、今年の2月からゆるゆると参加しています。

基本的には普通の持ち寄りパーティ的なものなのですが「バリア」をテーマとした集まりなので、そこを意識したプログラムがあって。その一つが各テーブル毎に「バリア」を作ってコミュニケーションをとろう!というものでした。
目隠しテーブル、筆談テーブル、そして3本の指しか使っちゃいけないテーブルに別れてパーティを楽しみます。
わたしは、筆談テーブルにいました。その名の通り、喋っちゃダメ、筆談のみ!なテーブルです。

これがね、すごくたのしかったんですよ。
耳の不自由な方も同じテーブルだったのですが、一緒にたのしめてる感があってうれしかった。
あと、言葉を見える化することで話の流れが物理的に見えてより理解しやすかったりとか、「書く」という行為を経ることで「言いたいことを整理する」「どうしたら簡潔に的確に相手に伝わるか考える」ことが「喋る」よりも多くあって頭の体操みたいでそれも心地よかった。
言いたいことがあるときはペンを持つから、この人はこれから何か言おうとしているんだな、ということがよりわかりやすいのもよかったな。
文字だけでなく絵で伝えられるのも良い点でした。
もちろんタイムラグはあるし、言葉よりもすぐに伝えられない分もどかしさもあるけど。
でも、案外若者と親和性があるツールな気もしました。LINEとかTwitterとかデジタル版筆談と言えそう。

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(最初はそれぞれが紙に書いたものを見せ合っていたのだけれど、最終的に大きな紙にみんなで書き込んでいく形になりました)

環境が障害を作る、とはよく聞く話ですが、これもその一例だなあって振り返ってみて思いました。
「耳が不自由な人と話すために筆談する」ってなんかすごく「してあげている感」があって、関係性が上下な印象なんだけど、「筆談ゲームをみんなでたのしむ」ってなると途端に「一緒に遊んでいる感」が強くなって、関係性がフラットになる。
簡潔に伝えようとするとタメ口で書いちゃうし、そういう意味でもフラットになったりします。

何はともあれ、ひとつのコミュニケーションツールとして「筆談」たのしいので是非。

あと、個人的にうれしかったことがもう一つ。
それは、参加者の方のひとりがブログを読んでくれていたこと。
さらっと、見てますよ〜的な他愛もない会話の一部だったんだけれど、うれしかった。
このブログは誰かに何かを届けたい!という思いから書いているわけではないけれど、やっぱり自分が発信したものを誰かが受け取ってくれているってうれしいんだなって改めて感じました。

ハロウィン終了まであと数時間ですが、みなさんもたのしいひと時を〜Happy Halloween🎃

ただ友達になりたかった

こんばんは、さきこです。

メンヘラなタイトルですが意外とそうでもありませんよ。


さて、いろいろ書いているくせに、ただ今人生3度目の休職中でございます。
周りの方(具体的には職場の方と家族)に迷惑を掛けている自負があります。
ごめんなさい。早く…いや、ゆっくりでもちゃんと元気になる…なれる方法を掴みますね。

そんなこんなで有難いことに時間がたっぷりある訳で、今日は江ノ島〜鎌倉界隈をぷらぷらしておりました。
疲れると、とりあえず海に行きます。そんなわたしです。

ぷらぷらするだけなので基本目的はないのですが、目的がなさすぎるのも逆に疲れちゃうもの。とりあえず家を出るときは「海を見ながら朝ごはんでおいしいパンを食べる」を目的にしました。
江ノ島近辺で食べログ総合1位のパン屋さんに(おそらく)一番乗りし(何故ならまだパンが焼けていなかったから!)店主のお兄さんとお母さんの人柄にほっこりし、焼けるまでの待ち時間にファミマのカフェオレ飲んだらお腹いっぱいになってパンは結局食べられずお持ち帰りして、落ち着ける場所を求めて行った稲村ヶ崎の公園は崖崩れのため閉鎖されてて、その麓の防波堤(?)でプロフの撮影らしき事をしている女の子とカメラマンさんの隣で、ただほんやりと海と江ノ島とうっすら見える富士山を眺めておりました。

たっぷり太陽と波音を補給して、さて、この後どうしよう。
そういえば〜とずっと行きたかったごはん屋さんのことを思い出し、やってるか見てみたらやってそうだし空きもありそう…で、お電話したら大丈夫との事でそこからぷらぷら鎌倉までお散歩。

ずっと気になっていたお店はとても居心地がよくて、じんわりとあったかくて、今日行ってよかったなあ、という感じでした。
超おしゃれ!とか、すごい素敵!!インスタ映え!!!!的なお店ではないけれど(いや、インスタ映えはするか)また行きたいなあ、と思えるお店でした。

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(縄文定食1200円。ごはんがほんとおいしい。わたし的には真ん中のこんにゃくと何かの煮物的なものがびっくりするくらいおいしかった)

店主のご夫婦のまあるい雰囲気がとても心地よくて、そして今日は息子さん(小学生かな?)もいて、この子が超元気で、いや、ほんと好き。おねえさんは君と仲良くなりたいよ、ほんと。
ちょうどお店の一角で彼の展示をしていたのでお邪魔しました。絵とか紙粘土で作った作品がテーマ毎に展示されていました。

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(彼の作品。蛇とコブラ。普通にかっこいい)

自分の作品を見られるのが嬉しいのか(そりゃそうか)見ている最中や感想を書いている時、こちらが気になって周りをうろちょろ(でも話しかけてはこないw)。
どっか行ったな〜と思ったら棒の先に葉っぱの付いた枝をさして現れてバサバサとお祓い的な事をしてくれる。
「それ何?」と聞いたら「さかき!」だって。マジでお祓いやん。笑
またどっか行った〜と思ったら、今度は榊の葉を来場者に配り出すという…ご利益ありそう。笑
有難く頂戴してまいりましたよ。

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(彼の書いた絵と榊の葉はお部屋のインテリアになりました)

で、タイトルになるのですが彼を見ていて、わたしは子どもとどんな接し方…というかどんな関係性でありたいのかな、と考えた時、「ああ、わたしは友達になりたいんだなあ」って思いました。
友達と一緒にいろんな事を面白がりたい、笑いたい、楽しみたい。困っているなら一緒に考えたいし力になりたい。
ただ、それだけなんだなあ、と。

とは言え、わたしはもう子どもではない年齢なので、彼らよりも社会的にも経験的にも金銭的にもできることがあったりする。
その辺りが今後の生き方のヒントになりそうだなあ、と思った1日でした。

今日感じられたのはここまで。
明日は雨らしいのでひきこもりする予定。
天気で行動決められるなんてカメハメハ大王みたいで贅沢(*´-`)♡