アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

ちいさな神さま

夏、猛暑の中、ちいさな家族が死んだ。


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生まれて半年、うちに来て4ヶ月。

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祖母の家に車で帰り、数日過ごして戻ってくる、その道中。
気付いた時にはもう息はなくて、けれどまだ柔らかくて、命の痕跡みたいなものがあった。

行きの道では元気だったから、子どもの時に飼っていた子たちは大丈夫だったから。
そういう過信、人間のミス、私のミスだった。

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春分の日に家族になったから、『はる』。

はるがうちに来た頃、私は何度目かの診断書をもらって、何度目かの休職をして退職をして、何度目かの就活をして、社会に出てからはじめてフルタイムではない仕事を始める、そんなタイミングだった。

いろんな不安があった。
不甲斐なさや、無力感もあった。
だからこそ、わかりやすい『守るもの』が欲しかったんだと思う。

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はるは、怖がりで、好奇心がなくて、自分の家が好きで、いつもぐでっとしていた。

朝晩ひとつひとつ手でひまわりの種をあげると、ちいさな手でひとつひとつ受け取って殻をむいた。
時々、ちょん、と私の指に乗るちいさな感触が可愛かった。

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夜はリビングで家族みんなで寛いだ。
はるが楽しかったのかはわからないけれど、家族のまんなかにはるがいて、はるの一挙一動にみんなで微笑んだ。

はるは、我が家のアイドルだった。

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違うお家の子になっていたら、もっと長生きできたのかな。その方がはるは、しあわせだったんじゃないかな。

帰りの車の中、膝の上でずっとはるを撫でた。
涙が止まらなかった。

ごめんね、ごめんね。
なんでもっと、どうして、どうしたら。
ごめんね、ごめんね、ごめんね。

ごめんね、ありがとう。
ありがとう、大好きだよ。
ありがとう、ありがとう。


何時間もずっとそうしていて、はるの中から少しずつ命が抜けていくのを感じていた。

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あれから、目まぐるしく時間が過ぎて、それでも本気で思い出すと、まだ涙が出る。
どういう気持ちからなのかはわからない。

つい先日、母が言った。

「はるちゃんは、ちいさな神さまだったんだよ。辛い時に来てくれた。家族の会話をつくってくれたよね。」

春分の日に家族になったから、はる。
太陽の陽と書いて、はる。

彼がしあわせだったかはわからない。
最後の顔が安らかだったなんて、飼い主のエゴかもしれない。

けど、はるがいて、私はしあわせだった。
動かないし、懐かないし、言うこと聞かないし、好き嫌い多いし。
けど、そこにいてくれて有り難がった。
おひさまみたいにあったかかった。

ちいさな神さま、はる。
あなたと暮らせてよかった。
でも、やっぱり、ごめんね。
ありがとう、はる。

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異質で、同等。

五感の先生に勧められて、『話を聞かない男、地図が読めない女』を読みました。


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https://www.amazon.co.jp/文庫版-話を聞かない男、地図が読めない女-アラン・ピーズ/dp/4072352179)

題名は聞いたことがあったけれど、もう20年くらい前に出版されたものだった。

男女の脳の作りの違いを、わかりやすい事例を多用しながら科学的に説明しています。
男脳、女脳は概念的なものでなく、物質的に違うのだそう。

例えば、考え事をする時。
男脳では右脳の一部分だけを使って考えます。
だから、基本的に考え事をしている時は他のことは疎かになります。
考えながらお喋りをしたり、テレビを見て楽しんだり、ご飯を食べたりはあまり得意でない。
静かにじっと、自分の内側で自分と会話しながら考えるのが男脳。

一方、女脳では左右の前頭葉やその他色々な部分が、考える時に活発化します。
「お喋りをする部分」「感情を左右する部分」とも連動しながら考え事をします。
よく、女性は言葉に出して自分の考えをまとめている、と言われるのは脳の仕組み上、当然のことなのだそう。議論している内に感情的になっちゃうのも、ある種、脳の仕組みの違いなのです。

けれど、男脳の人は、考え事は黙ってするもの、また、女脳の人は、考える時は喋った方が早い、という常識が潜在的に身体に染み込んでいます。

だから当然、相手も同じ常識で生きている、と思ってしまう。話しかけても反応しない彼にイライラしたり、話し合えばいつだって感情的になる彼女に嫌気がさしたり。

けれど、元々生まれ持った脳という部品の機能がそもそも違う。
そこをお互いに理解し合えれば、かなしいすれ違いは少なくできるのでは?という投げ掛けがこの本の主なメッセージでした。

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また、男女平等賞賛に対する警鐘も。

そもそも機能が違うのに、同じ事を求めるのは果たして本当に平等なのか?

それぞれが得意とする部分、苦手とする部分があるのだから、お互いにその部分を補い合えば良いのではないか?

男と女、だけでなく、私たちはそれぞれ似通っていてもまったく同じものではない。
それぞれ違う部分があって、分かり合えない思考や感情もある。

違うね、ということ。
そこに優劣はない。

違いを責めたり恥ずかしく思う必要はない。

完全な共感・共有が出来ないから、せめて言葉や文字や色んなツールを使って、自分の内側を伝えたい、と、相手の内側を知りたいと思うのかもしれない。

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男脳は各部分ごとに役割分担が明確にされているそうです。
考える場所、お喋りする場所、感情表現する場所。それぞれの場所を繋ぐ通路は女脳に比べて細く、相互関係が弱いらしい。

脳の仕組みが原因とされている発達障害の発症率が男の子の方が多いとされているのは、もしかしたら男脳、女脳の違いなのかもしれない。

女脳はそれぞれの機能が広範囲に分布していて、また、それぞれの場所を繋ぐ通路が太く、密に連絡を取り合っているとのこと。

勘が鋭い、というのも、女脳の方が男脳よりも、表情、声のトーン、仕草、その他いろいろを結び付けて感じ取る能力が高いから。

だから、逆に女性の方が精神疾患が多いのかな?なんて事を思いながら読んでいました。

理解しがたい相手が出てきた時、どうしてどうと責めたり排除する前に、もしかして自分とは違う機能の人なのかも、と思うと少し冷静になれたりするかもなあ、と。

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違う人と関わることの大切さを、今まで頭では理解していたけれど、実感はしていなかった。

違う人に自分の内側を伝えることはしんどいし、実らないこともあるし、だから怖かった。

だけど、本当はずっと聴いて欲しかったのかなあ、と今の彼と出会って思う。

一生懸命話しても、うーん俺にはわからないなあという事もある。
けど、一生懸命聴いてくれる。
私が諦めたい気持ちの時にも、諦めずにずっと聴いてくれる。
そういう人がいることが、途轍もない安心感をくれる。

安心すると穏やかになる。
穏やかになると他者とのコミュニケーションも円滑になる。
良い人間関係が築けると次への意欲が湧いてくる。

安心感。その上に全てとは言わないけど、多くのものは積み重なっていくんじゃないかな。

違うけど、等しく大切なもの。
私たちは異質で、同等。

触れたい、衝動。

五感セラピーというものを習い始めて10ヶ月ほど経つ。

子どもだったらそろそろお腹の中から出てきてもおかしくないくらい、四季は一巡しないくらいの長いような短いような期間。

その間にいろんな事があった。

仕事が変わって、
付き合う人が変わって、
休みの日の過ごし方が変わって、
家族との会話が増えて、
大切な人ができた。

五感セラピーは、その名の通り、視覚、聴覚、嗅覚、味覚(言葉)、触覚のバランスを整える事で心身ともに健康な状態にしていくものだ。
(詳しくは協会HPへ:http://gokan-japan.com/

五感セラピーにたくさん助けられて、けれど、五感セラピーでわたし変わりました!とは言えなくて…やっぱりちょっと、あやしい感じがしちゃうかなあとか、胡散臭さがあるかなあ、と感じてしまっていた。

正直、今もまだちょっとある。

けれど、それ以上になってきている思いもある。

それが、触れたい、ということ。
五感セラピーの触れる、をいろんな人にたくさんしてみたい、ということ。

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五感セラピーから私がもらったもの。

それは、自分の感覚を取り戻すこと。

取り戻した感覚を大切にすること。

大切な感覚が、なんかいいなあって思う方向に行動することを許すこと。

大切な感覚が、なんか嫌だな…て思うことから全力で逃げること。

大切な感覚が、大切な私が、感じること全て、ポジティブなものも、ネガティブなものも、否定はしないってこと。

感覚に従うって、言うのは簡単だけれど、行動に移すのは結構難しくて、側から見たらなんて事はないけれど、当人からすると毎回バンジージャンプ級に怖いこともある。

私の場合は、自分の主張をすること。

怖さを打ち消すために100本ノック方式で話し合いとか、議論の場に顔を出してみた。

けれど、結局は家族や大切な人との会話の中で満たされている。

どうでもいいこと、考えすぎなこと、けれど、その一つを言うだけでも泣いてしまうような私は、泣かないように強くなる代わりに、「泣いてもいいよ、話して、聴かせて」と言ってくれる人を見つけた。

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いろんな人の、いろんな身体に触れてみたい。

言葉にできない苦しさやもどかしさに、
いつの間にか背負ってしまったもの、
現代の呪いにがんじからめになっている心、
そういう、いろいろに触れたい。

これは、ただのエゴで、
そんなデリケートな部分、他者に見せたくないって人もいると思う。

それでも、中には、
もうひとりで抱えきれなくて、
手放したくて、けれどその一歩が踏み出せなくて、音にならない声で助けを呼んでいる人もいるのかもしれない。

昔の私みたいに。

もしかしたら、その人の一歩に
触れることが、役立つのかもしれない。

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BUMP OF CHICKENの「プレゼント」という曲を聴くと思い出すシーンがある。

10年くらい前。
過食嘔吐がピークだった時、食べて吐いて、
力尽きたトイレの中のこと。

『世界に誰もいない気がした夜があって

自分がいない気分に浸った朝があって

目は閉じてる方が楽 夢だけ見ればいい

口も閉じれば 呆れる嘘は聞かずに済む


そうやって作った 頑丈な扉
この世で一番固い壁で 囲んだ部屋
ところが孤独を望んだ筈の 両耳が待つのは
この世で一番柔らかい ノックの音』

『このままだっていいんだよ  勇気も元気も生きる上では
無くて困る物じゃない  あって困る事の方が多い
でもさ
壁だけでいい所に わざわざ扉作ったんだよ
嫌いだ 全部 好きなのに』

何度、消えてしまいたいと思ったろう。
何度、もう終わりにしたいと思ったろう。

それでも、その都度、
誰かの何気ない一言や、
ふとした出会い、
その間ずっと見守っていてくれた家族に、
手を借りて、引っ張ってもらって、
ドアを開けて、今がある。

大好きな人に、大好きだよって言えて、
大丈夫だよって抱きしめることができて、
喧嘩もしたり、それ以上に笑って、
幸せだねえ、なんて言い合える今がある。

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一人の人間が、一生の間に、本当に支えられる人は自分を含めてひとりか、ふたりだと思う。

だけど、立ち上がる手掛かりに、もうちょっとだけ前に進む後押しには、
きっと、もうすこしたくさんの人のきっかけになれるのではないかな。

その為に、まず、いろんな人に触れたい。
そんな触れたい欲求が俄かに高まっています。

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地固めの夏。

今、すごく時間をかけて取り組んでいることがあって、はじめてのことばっかりで、思った以上に進んだり、思わぬところでぶつかったりしています。


はじめての感情に出会って、わたしこんなことで嬉しくなるんだー、わたしこんなことで哀しくなるんだー怒るんだーと発見も多い。

あまりにも短い期間のうちにいろいろと起こるから、消化しきれなくて、あーもう、めんどくさい!ってなるけど、もういい!全部やめる!!おしまい!!!ってしたくなくて、ちょっと無理したり、踏ん張ったり、でもうまくできなかったり。

問題に直面したその瞬間は固まっちゃって何もできなくなったり、感情が先行してアウトプットできなかったり。
その後はイライラもやもやで、腹が立ったり、不安になったり。
けど一息つくと、さて、ちゃんと向き合うか、ってなる。

この感覚ははじめてで。
自分でも思っている以上に他者と距離を縮めないわたしが、こんな風に思えるようになるとは考えもしなかったな。
きっと、それだけ大切ってこと。

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BUMP OF CHICKENが好きで、けれど最近離れていて、久しぶりに今朝、彼らの曲を聴きながら通勤した。

以前、Twitterで、「バンプ好き夫婦の二次会、オーイエーアアークイズ超難問」という投稿を見て笑ったけれど、それくらい彼らの曲には言葉でない歌詞が多く出てくる。

オーイエーアアーについて、何かのインタビューで藤くんがこんな風に言っていた。

「言葉にできない想いがあって、それを伝えようと思うとやっぱり言葉にならないんだ」

その時はよくわからなかったその言葉の意味は、今もやっぱりあんまりわからないけれど、supernovaを聴きながら、「らんらららら〜♪」部分も素敵だなって多分はじめて思った。

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距離を縮めていくのは、やっぱり怖い。
けど、だからと言って上部を撫でるだけは嫌。縮こまるのも嫌。諦めるのも嫌。

ちゃんと全部出して、笑って、泣いて、怒って、まだまだ成長できると思うんだ、一緒に。

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そんな地固めをしています。
ご迷惑を既にお掛けしている方、これから掛ける方もいらっしゃるかもしれません。
ごめんなさい。
でもその分、しっかり地に足つけて、大きくなって、今とは違う形かもしれないけれど、また関われたらなって思います。

2018年、平成最後の夏に。

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伝えるのが先か、受け止めるのが先か。

思いは言葉にしなくても、伝わるんじゃないかって思ってた。

同じ感覚を持つ人なら、一緒にいるだけできっと感じあえるものなんだって、わかるんだって、そういう人にわたしはまだ出会ってないだけなんだって。

けど、違った。

同じ感覚の人にも、言葉とか、かたちにして、自分の外に出さなければ、自分の思いを、感情を、感覚を、わかってもらうことはなかった。

ただ、違うのは、ちゃんと出せば、辿々しくても、不格好でも、言葉が一転二転しても、受け止めてくれる、ということ。
伝わる、ということ。

伝わるって、こんなにうれしいんだ。
伝わるって、涙が出ちゃうな。
伝わるって、すごく安心なんだ。

伝わったものすべてを、
肯定してくれなくてもいい。
反対の意見でもいい。
ああ、そうなんだね、君はそう思うんだねって、伝わるだけでうれしい。
もちろん、おんなじ方向を向いていたら、それはもっともっとうれしいんだ。

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言葉にしてくれないとわからない。
その言葉が、わたしは多分、この先も好きにはなれないけれど。
言葉にしてくれないとわからない。
その意味は、わかるようになった。

だから、わたしは、伝えたい人には、大切な人には、怖くても、がんばって、本当の言葉を伝えていく。
だって、伝わるとうれしいから。
伝わると、もっと伝えたくなる。
もっともっと話したくなる。

それは、言葉でなくてもよくて。
絵でも、歌でも、ダンスでも、手話でも、点字でも、なんでも。
自分の中にあるものを、勇気を出して表現した時、受け止めてくれる人がいたら、おもしろがってくれる人がいたら、それって、すっごく、うれしいことだと思うんだ。

伝える、受け止める、はふたつでひとつ。
今夜は上弦の月
満月に向かって、ちょうど半分になる夜。

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プロフェッショナルにならない

昨日、話していてああ、そうか、と気がついたこと。

プロフェッショナルになりたい訳じゃない。
少なくとも、今は。

これ!というもの1つに絞ってどんどん極めていくのでなく、興味があること、気になる人、やってみたいこと、いっこいっこ丁寧にやっていきたい。

1つのことを極めている人は格好いいし、すごく尊敬するし、憧れるし、好きだ。

けど、好きだから、憧れるから、その人と同じ方向を向かなければいけない訳じゃない。
同じ道を目指さないといけない訳じゃない。

最近わかって、肩の荷が降りたのは、好きだからといってその人の全てを肯定しなくてもいいんだってこと。
まだまだ引きずられてしまうことはあるけれど、振り返った時に、ああ、好きに引きずられてたなあ、と思えるだけで違う。

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漠然と立ち止まった時、こういうことがしたい!と言うのはないのだけれど、でも、なんかここじゃないってもがいている時、その停滞に新しい流れを入れ込める人でありたい。

ほんの少しだけの動きかもしれない。
ヘドロのような沼地を一掃できるような勢いのある清流ではない。
けれど、ちょろちょろと水を送り続けたい。
望むのなら、わたしが知っている限りで助けを呼ぶから。

だから、あきらめないで。
世の中は簡単には渡れない、けど、全てが不透明な訳でもないとわたしは思うし、だからこそ、わたしはもっと純度をあげていきたいと思う。

もっと素直に。
もっと純粋に。
もっとまっすぐに。

そうじゃないモノやコトやヒトがいるのも知っている。蓋はしない。距離はとるけど、忘れたりはしない、その上で。

はちみつみたいに、あつめて、濾過して。

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とけて、とろけて

とける、とろける

あつい夏の日

これが、わたし、というものを
見つけなければならないと思っていた。

人と会うと、その人の、これがわたし、が入ってくるような気がして、素敵であればあるほど、引き寄せられるけど、関わりたくない。

けれど、暑さに、出会いに、とけて、とろけて、混ざりあって、新しい色がうまれる、
そんなこともあるのかもって、
あってもいいかもって、思って。

染まりやすい分、怖がっていたけれど、たぶん、大丈夫。
欲しい色は残して、そうでないものは離して。
そうできる気がする。

とけて、とろけて、
また新しくなる。
こんなわたしもいたんだねって、
こそばゆくて、どこか懐かしいような、
あたたかくて、やさしい、ときめき。

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