アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

夏に至る。

ここ数年、この時期になると、ああ、もう今年が終わるなあと思っていた。

夏はあっという間に過ぎて、秋はほんと一瞬で去って、気付けば年末モードになっていく。

けれど、今年は素直に、ああ、もうすぐ夏が来るなあと思う。

暑くて、キラキラして、電車の冷房に震えて、日焼け止めを塗っても塗っても焼けていく、夏が来るなあ、と。

その感じが、すごくいいなって思う。

すごく好きだなって思う。

その感じを、ちゃんと味わいたくて、ぐっと見つめようとすると、指先からするりと抜け落ちてしまうのだけれど。

わくわくするような、そんな感じがする。

夏が来るね。

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説明は、なくていいよ

つい最近まで、「伝える」と「表現する」は同じだと思っていた。

正確に言うと、言葉の上での違いはわかっていたけれど、自分の行動を振り返ると混同していたと言うか、「表現」ってしてこなかったなあ、と。

「もっとわかりやすい表現にして」
「一言で伝わる言葉に置き換えて」

企画の仕事をしていた時、よく言われた言葉。
どうしたら他者により伝わるのか、どんな言葉だったらインパクトがあってわかりやすいか、を昼夜必死で考えていた。

「表現は、わかりやすくならねばならぬ」

その時に、強固な条件付けがわたしの中でされたのかもしれない。

これは決して弊害でなくて、むしろ誰に対してもわかりやすい言葉は何か、伝え方は何か、を自然に考える姿勢が身についていたからこそ、発達障害を持つ子どもたちと接する時も違和感がなかったのかもしれない。
こう言えば普通は伝わるのに伝わらないのは相手が悪い!とは思わず、伝わらないのかーじゃあ違う方法考えようってなるから。

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今よりももっと不安定だった時、心配してくれる人たちから「思ってることちゃんと言って」「言ってくれなきゃわからない」という言葉をもらった。
理解しようとしてくれる姿勢に対し、当時のわたしはちょっとパニックだったし、心の底ではこう思ってた。

どうせ言ったってわからないでしょ、って。

不安定な中で、自分の状況や感情を相手にわかるように説明することはできないよって思っていたのかもしれない。

そう、わたしにとって「伝える」はいつだって「説明」だったんだって最近気付いた。

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年明けに「強み発掘」というものをしてもらって、「自分を表現する強み」がある、と教えてもらった。
その時は、あんまりピンときていなくて、そりゃそうだ、あの時は「表現=説明」だって思っていたから。

自分の中にあるものを、一度思考まで持ってきて、相手に伝わるように、今までの中でより伝わりやすかった言葉に変換をして説明をする。

え、めっちゃしんどいやん…って思った。

だから、ずっと頭の隅にはあったけど、保留していて、けれど、そうだね、「表現」って「説明」じゃない。

「表現」は表すことだ。
中にあっては見えないものを外に出すこと。
ただ出す。あらわす。現す。
見えるものにする。

高校生の時、英語の授業で教室のドアのところで、先生がappearとdisappearを出たり入ったりして教えてくれたのを思い出した。

出てくるだけ。
出すだけ。
それだけでいいの。
そういう表現もあるってこと。
そういう言葉の出し方もあるってこと。

そんな発見を、最近したんです。

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『 』

乗り物が、好きだ。


電車も新幹線も寝台列車も飛行機も自転車も車も船も。夜行バスは最近ちょっとしんどいけれど。
近くと遠くで、違う速度で流れて行く景色を、ただただ眺める時間が好きだ。

特に吹きっさらしの移動手段が好きで、だから御蔵島に行く東海汽船の甲板なんて最高で。
海風に晒されながら、ビールを片手にキラキラした水面や遠くを流れる島々を眺める、あの時間。
何度も御蔵に行くのはイルカだけでなくて、あの時間があるからなのかもしれない。

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「社会人」と言われるようになって、気付けば10年以上経った。
社会に出たときに思っていたような未来ではなくって、意に反してフラフラとした10年間だった。

お蔭でいろんな経験もできた、おもしろい人生だと思う。
けれど、やっぱり心の真ん中で、普通の幸せ、と呼ばれるものに強く強く憧れている。

出世。結婚。出産。
役職や妻や母といった新しい役割。

いいな。
純粋に思う。

そんな気持ちでいた3回目の転職の時にカンボジアに行った。
そこで仲良くなった大学生の女の子。
彼女がわたしに言った言葉がある。

「さきさんの生き方は、わたしの理想です」

冗談でも茶化している訳でもなく、真剣だった。
その時、思った。
こんなちゃらんぽらんに見える生き方でも、憧れてくれるような人がいるんだって。
見え方は、ほんとうに人それぞれなんだって。

すごく、うれしかった。

自分のやりたいことって何だろう、と悩んで、自営なのかバイトなのか正社員なのかグルグルとしていたけど、とりあえず生きていけるだけのお金を稼げるところに行こう、と割り切れたのは彼女の言葉があったからかもしれない。

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小田原で営業をしていた時、営業先で急激な腹痛に襲われ、自分で救急車を呼んで病院に運んで貰ったことがある。
搬送先の病院では特に問題はない、と言われたけれど、不安も強くて家の近くの病院に行った。はじめて行く、ちいさな町の病院だった。
先生はちいさな女の人で、問診をして、点滴を受けて、その後もう一度問診があった。
ひと通りわたしの話を聞いて、先生は言った。

「がんばったね」

当時のわたしは、今思うと何でそんなに頑張っていたのかわからないくらい全てに全力で、家族にも友達にも「頑張りすぎないでね」「もう十分、頑張れてるよ」と言われていた。

けど、この時初めて「がんばったね」と、「もういいよ」と言ってもらえた気がしたんだ。
よくがんばったね、えらいよ。

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趣味は何ですか?と聞かれると考えてしまう。
では好きなことは?と聞かれたら、何だろう、海とか自然が多いところに行くことかな。
そして、そう、そこに風があったなら、もっといいな。

風のようにありたい、と思う時がある。
風のように、気の向くままに、いろんな場所を、人を訪れたい。
けれど、そろそろひとところに留まった方がいいのかな、そういう努力をしなければならないのかな、と世間に触れて、思う。
その方が、きっと楽なんだと思う。

もういい加減。
いい歳なんだから。

けど、ただフラフラとしてきた訳じゃない。
自分らしく生きる道を探して、わたしなりに、信念と呼べるほどのものじゃないけど、考えを持ってここまで来た。
結果として提示できるような、形のあるものは今はまだ、何一つないけれど。

そんな生き方に憧れてくれる人がいる。
たったひとり、あの時だけかもしれない。
それでも、そういう子がいた。
それは、十分な形なんじゃないか。
わたし、という作品。

まだまだ未完成で、世間の当たり前とかこうあるべき、という呪いに時に負けそうになるけれど、すんでのところで留まっている。

なんで、戦うんだろう。

自分らしくいられないとおかしくなってしまう性質なのも勿論ある。
けど、最近、もう一つ、思うことがある。

わたしのような生き方に憧れてくれる人が例えばいたとして、彼らが不安になったり心細かったりする時、そっと寄り添える人でいたい。
不安や恐れを吹き飛ばして、そっと背中を押せる、そんな風のような人になりたい。

とても大きな夢だけど、ちゃんと叶えられるよう、地道に愚直に生きていこう。

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東京は、あかいろ

御蔵島に行って


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海と緑と穏やかな時間に浸って

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イルカの気まぐれさに振り回されながら

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身体いっぱい使って遊んだ。

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寝て、食べて、海で遊んで、また食べて、寝て、星空を眺めて、秒針の音がない時間。

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帰りの船から見た東京は、ちょっとゾッとするほど赤かった。
高層ビルのてっぺんで機械的に明滅する無数の赤いライト。航空障害灯という、飛行機がぶつからない為のもの。空飛ぶものの為に作られたものだから、地上にいると見えない。こんなにたくさんの光る赤の下で暮らしているのか、と新鮮な驚きがあった。

だから都会にいると焦ったり、攻撃的になったり、オーバーワークしすぎちゃうのかな。

赤は情熱の色。積極性の色。行動的な色。
転じて、焦り、怒り、攻撃、の色。

赤の補色は緑。
疲れてくると自然を求めるのは、赤で染まった身体を中和させようとする本能的なものなのかもなあ、なんて思った。

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自然の色合いは、赤や緑や青や、いろんな要素が混じりあっていて、だから、ほっとするのかもしれない。


Invisible sensation

UNION SQUARE GARDENの『Invisible sensation』という曲が好きでして。

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youtubeの組み込み方がよくわかんない…)

ニゾンの曲は呪文みたいな言葉の羅列で、ルー大柴並みに英単語がちょいちょい混じるので聴いてるだけだけだと何歌ってるかわかんないんですよね。
けど、なんかこれいいな、と思って歌詞検索したら、もう大好きになりました。

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ねえ、ここから遠く遠く目指すとして
一体何が見つかるかなんて
考えてる時点でもう、夢中心コースアウト
見逃すなよ、この瞬間をscopeしろ
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遠い未来を目指していこうぜ!というありがちなものかと思いきや、いやいやそんなこと考えてばっかいないで、今ここをしっかり感じなさいよ、と。すごい、ハッとした。

わたしはもともと妄想とか想像が好きな子で、典型的な一人っ子、ひとりで割と無限に遊んでいられるタイプだった。
そして、いつからなのか最早わからないのだけれど、わたしは自分が思い描いたちょっと先の未来の中をずっと生きてきた気がする。

こういう行動をするとこういう結果が得られる。あの子にこう言ったら、きっとこういう反応をする。あの人にこういうことをすると、こんなことを言われる。

想定の結果が意外に当たらずとも遠からずな感じで、だから余計に想像の中で進んでしまう。けれど、やっぱり現実とは違うのでその誤差がどんどん広がっていって、いつか辻褄が合わなくなる。
そして、その想定外に出会うとパニックに陥る、というような、そんな人生。

いつか全てそうなってしまうのだったら最初からない方がいいや、と内側にこもっていく。

けれど根本的には、人が好きで、関わりたくて、というジレンマ。

そこをちゃんと自覚して、本当はどうしたいんだっけ?今、わたしはどう感じてるのかな?と『今』にちゃんと向き合ってきた半年だったと思う。

先日、五感セラピーのホームケアセラピストといものに合格しまして、ライセンスを授与しました。

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その名の通り五感、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚でストレスケアをしていく、といもの。

カラー診断を元にカウンセリングをして、その人その人にあったケアをしていきます。
(詳しくは五感セラピーHPへ→http://gokan-japan.com/

まだまだひよっこですが、お客さまに対して施術ができるようにはなったのでご報告でした。
しばらく糸掛曼荼羅で頭がいっぱいになりそうなので、落ち着いたら何かしていきたいなあ。

ちなみに、冒頭紹介した『Invisible sensation』は『見えない感覚』という意味。なんだか五感に似ているなあ、とも思ったり。

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願えばきっと叶うなら
苦労なんて辞書にはないだろうね
努力だけじゃ未来は保てない
目の前の希望を頼って拾って
重宝したら一歩先へ
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願いや努力だけでなく、希望があるから未来に向かって一歩進める。大層なものでなくても、目の前の希望に頼っていいんだよ、と。
「希望」に「頼る」ってあんまりない言い回しだけど、なんかいいなあって思った。

ちなみに、来月末に糸掛曼荼羅ワークショップやります。
不思議なネパールカレー屋さんで実施。
気になる方は是非お気軽においでください〜。

◉糸掛曼荼羅であそぼうinチャンドラ・スーリヤ

日時:6/30(日)10:00〜12:00
場所:チャンドラ・スーリヤ
(最寄駅:小田急江ノ島線南林間駅より徒歩2分)
参加費:2000円前後
(WS後のワンオーダーお願いします)

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詳細はこちらから。

みなさまのお越しをお待ちしております!


自分、が基準

『10年後の仕事図鑑』という本を本屋さんでジャケ買いしました。
落合陽一さんは前々から気になっていたのだけれど、著書がいくつかあって選べず、堀江さんとの共著だったので読みやすそうかなーと思って手に取りました。

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https://www.amazon.co.jp/10年後の仕事図鑑-堀江-貴文/dp/4797394579

思った通り読みやすく、早い人なら2時間くらいあれば読めるのではないかな。

堀江さんの主張は一貫して「未来を予想なんてできない。だから今を生きろ。遊べ」というもの。
誰かが言う「為すべきこと」に嫌々取り組むなんて時間の無駄。自分が「成したいこと」を全力でやりきれ、と言う。

落合さんは、「自分で決定していこう。写経をするな、クリエイトしろ。アーティストであれ」というもの。
今後間違いなく台頭してくるAIにどの部分を任せ、自分は何をするのか。自分のしたいことをはっきりさせよう、と言う。

研究者であり、また、メディアアーティストでもある落合さんは、以前から個人的に興味を持っている吉藤オリィさんと同業界・同世代の方で、著書がやたらに書店で取り上げられていて名前だけは知っていました。

落合さんもオリィさんもおんなじ感じの若者なのかな?と思って読んでいたけれど、全然違って、良い意味で広く浅くな感じの方でした。
オリィさんが深く太く地下に根を降ろす木であれば、落合さんは広く細かい根で地上を覆う植物みたいなイメージですね。
(オリィさんの著書もおもしろいので是非→【過去エントリ】「孤独」は消せる。のか/http://vegetaboo.hatenablog.com/entry/2018/03/23/221556

どちらの主張にも一貫しているのは「自分が基準である」ということ。
社会通念に惑わされるな、「普通」「当たり前」を疑え、自分の興味関心を大切にしろ、という、割と最近メジャーな考え方かと思います。

では、「自分」とは、何であろうか。

長い間自分を「探すこと」に時間を費やし、自分を「感じること」を蔑ろにしてきた私は思うのです。

「自分の感情に素直に」「ワクワクを大切に」。けれど、それが本当に自分起因なのか、他者起因なのか、今の世の中では気付きにくい。

テレビをつければ最近のトレンドがまとめられ、興味を持つべきものを提示してくる。
ネットを泳げば大量の情報に容易にアクセスでき、自分で考えなくてもそれっぽい答えをくれる。
顔認識自動販売機の前に立てば、おすすめの飲み物を教えてくれる(最近あまり見ない。需要なかったのかな)。
外側からの情報がそこここに溢れていて、内側への意識が向きにくくなる。

私は顔認識自動販売機の提案にはのらなかったけど、情報の海で出会う、誰かが「これ、いいよ」と言ったものを(発言者が素敵そうな人であれば尚更)片っ端から追いかけまくっていた時期があります。
ヨガや瞑想、ファスティング、星読み、心理学、カウンセリング、マインドフルネスワークなどなど。

一つのやり方として、それは悪いことではない。それらの活動のおかげで得られた知識や人との繋がりがあるのも事実。

けれど、根本的に「自分で感じる」、ということがわかっていなかったから、というか、わかったつもりでいたからタチが悪くて、だからなのか、結局長続きしない。
素敵な誰かが勧める方法をやりきれない自分が嫌になったりもした。
どうせ、私なんか。あの人と私は違うんだ。

けど、どんなにその人が素敵でも、大好きでも、その人にとっては良い方法が、私にとっての良い方法とは限らない。
そこを長い間、ずっと気付けなくて、だからずっと、自分というものをちゃんと考えてこなかったのだと思う。

どうして私はみんなみたいにできないんだろう、という思いを、本当にここ最近までずっと持っていた。

そんな私がここ数ヶ月、毎日続けていられている方法がある。
それは、『五輪色相環』というもの。

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五つの輪に、その時、自分が気になった色を気になった順番に塗っていく。
自分の感情という、見えないものを色を使って可視化する。
元々絵を描くことが好きで、色と遊ぶのが好きで、だから抵抗感なく取り組めた。

感情を色として紙に出してみると、漠然とした不安とか、もやもやする・イライラする、の奥にある原因に気付く。

外的要因に神経過敏になっているな、一人で考え過ぎて動けなくなっているな、他者に対して一歩踏み込むのを怖がっているな、思った通りに進まなくて焦っているな、云々。
ポジティブな気持ちもおんなじで、誰かとコミュニケーションを取れて嬉しい、とか、自分を素直を表現できて気持ちいい、とか。

自分でやって自分で分析するから、知識が先行して建前の色になるときもある。分析が必要以上に悲観的だったり、こうあって欲しいという希望的観測だったりすることもある。
そもそも色で本当に自分の感情を表せるのか、という意見もあるかもしれない。

けれど、ひとつの指針となるのは確か。
自分を一瞬でも俯瞰できるのは確か。

1日のうちのどこかで、自分の内側を観察する時間をほんの少しでも取れることが、日々の安定に繋がっている気がするのです。

もちろん、イライラするときもあるし、腹が立つときもある。けれど、以前よりも突発的な破壊衝動とか、底の見えない過食衝動は減っているように思う。

結局は、これも誰かが作った方法なんですけどね。自分にはとても合っていたよ、というお話です。

みんなやってる、とか、今流行りの、とか、そういうので決めず、ちゃんと自分で体験して、体感して、納得して、そうやって自分に合うもの、大切なもの、好きなものを見つけていけたらいいなあ、と思う。

ちょっと強引なロジックだったかな。笑
冒頭で述べた『10年後の仕事図鑑』気になる方いれば差し上げます。
五輪色相環も気になる方がいたらお声掛けください。誰かにやってみたい。

とりとめもなく

久しぶりに川崎に来た。

夜行バスに乗って大阪に向かう。
家の近くからも出るのだけれど、独立シートのいいやつは、都会からしか出ないのだ。
数ヶ月前に格安の夜行に乗った時、翌日朦朧とした頭で一日を過ごし、激しく後悔した。
だから、いいやつに乗る。

書きたいことがあるのだけれど、今だと変なところに着地しそうで、やめた。

だから、とりとめもなく言葉を紡ぐ。

とりとめもなく、と枕詞を置くと、最果タヒの詩が思い浮かぶ。
地元のネパール料理屋でバイト中に見つけた詩集、最果タヒ『夜空はいつでも最高密度の青色だ』は作者名と表題は聞いたことがあって、けれど手に取ったことはなかった。

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とりとめもなく突然に、恋をすることはロマンチックで、だから突然、誰かを憎むこと、それもポエジーだって言いたい
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彼女の詩には、死とか憎むとか嫌いだとかかわいそうだとか、そういう言葉で溢れている。
気怠いような気配があるのに、パキッとしていて冬の空気のようだったりする。夏の湿度が高い夜の気配がある。

よくわからないけど、声に出したくなる。
音が綺麗なのか、字面が綺麗なのか。
何度も声に出すのはいくつかの決まったもので、前述の一節は『やぶれかぶれ』という。
全文載ってるから気になる方は検索を。

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何でもあって、何にもない街、川崎

数年前、ここに住んでいた頃、友達とそう言っては笑った。
年々おしゃれになるこの街は、全部どこかの成功事例でできてるって思う。
必要なものは何でもある。けれど全部がどこかの二番煎じ。表参道にある雑貨チェーン、渋谷で話題のアジアン料理屋、みたいな。
だから、これが欲しい!がないんだ。
いや、知らんけど。眼鏡なしで歩く街はぼんやりとした、滲んだ色で構成された世界だから、私が気付けないだけで今はオリジナリティある素敵なお店があるのかもしれない。

確かに、スタバで「最強においしいやつあるんですよ!」という接客を聞けるのはここだけかもしれない。

そんなこんなで大阪行ってきます。
日曜日には帰ります。
何をしに行くのか。移動をしに行くんです。

目的地だけある旅がすきだ。
あてもないのは苦手。
細かく決まっているのも苦手。

誰かに会いにいく、でも、
何かを食べに行く、でも、
海を見る、なんかでも、なんでもいい。
一個でいい。そこを目指して移動をする。

歩いて、自転車で、車で、電車で、バスで、飛行機で、寝台列車で、新幹線で、船でそれはその時の気分によるけど。
風を感じながら、あるいはものすごいスピードで、地上からは感じられない雰囲気で、流れていく世界を見る。

とりとめない、とりとめないなあ。
お付き合いくださり、ありがとう。