ドラマチックな展開なんてない
先日、摂食障害経験者としてお話しさせていただく機会があった。
会場は以前働いていた職場の近くで、会社の人に会っちゃったりするのかな、なんて少しだけ期待していた。
当然、そんなサプライズはなくて、少し緊張しつつもお話をして、新しいご縁をいただいて、普通にお喋りをして、普通に帰宅した。
会ってどうしたかったんだろ、と帰りの電車で思った。
幸せであることを見せびらかしたかったのかな。
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その会社は4年ほど勤め、最終的に適応障害という医師の診断書で辞めた。
いろんな経験をさせてもらって、いろんな感情を自分が抱くことも教えてもらって、毎日全力で、過食嘔吐もひどかった。
どうしてあんなに切羽詰まっていたのだろう。
その姿を「かわいそう」とか「バカみたい」とか「残念」とか思われていたんだろうな。
そういう感想を、会うことで、全部上書きしたかったのかな。
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寝ても覚めても企画書を書いて、けれどそれが世の中に大きな影響を及ぼすものでもなくて、でも必死で、認めてもらいたくて、価値が欲しくて、隠しきれないその必死さをそれでも隠そうとバランスを崩していた。
パワーのかけ方がアンバランスで、自分なんてなくて、なくなればいいとも思っていた。
機械になれたらいいのに、早く全部終わればいいのに、って。
そこから、5年ほどで、こんなところに来た。
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摂食障害がなくなった原因のひとつに結婚がある。
わたしの全部を受け入れてくれて、一緒にいてくれて、笑いあえるパートナー。
出会って2週間で付き合って、付き合って2ヶ月で結婚した。
そう言うと、何か感じるものがあったの?とか、ビビッときたの?と訊かれる。
なかった。
そういうものはなかった。
でも、代わりにたくさん話をした。
付き合っていた2ヶ月間、ほぼ毎日長電話をした。たくさん話をした。弱みを積極的に見せた。たくさん泣いて、喧嘩もして、それでも最後には笑っていた。
この人だったら大丈夫かも、と思えた。
結婚がしたくて、でも自分を誤魔化すことはもうこれ以上できなくて、じゃあ、もうしょうがないじゃない。
怖かった。
すごく怖かったけど、少しずつ勇気を出して自分を出していった。
それは格好いいものではなかったと思う。
スマートな振る舞いではなかったと思う。
それでも、その時々で感じたことを、素直に伝えようとした。
ぶつかる事もあった。
傷付けたこともきっとあった。
なんか変な空気になって、言い争いになって、泣いて、沈黙して、少しずつまた話して。
そういうのを繰り返して、今がある。
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昔からマンガやアニメが好きで、感化されることも多かった。
何かを成し遂げた時、大きな目標をやりきった時、マンガやアニメは終わりを迎える。
けれど、現実は続くから。
大円団にはならないから。
日々のいろいろ。
その中で感じる、わたし自身。
過去をほじくり返さない。
未来に夢を見過ぎない。
『今』を見続けるのは、案外退屈で、時には苦しかったりして。
それでも、練習をする。
じんわりと暖かいものを見逃さないために。
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