アラサー女子のジブンさがし

アラサー女子の日常雑感日記です。

できることと、やりたいこと

こんばんは、さきこです。
最近、速い電車に乗ると若干酔います。
あと満員電車を見ると、「げっ…」と声が出ます。
この素直な気持ちを忘れずに、慣れずにいたいな。

今日はひと月ほど前のお話です。

まだコートが手放せない時期のこと。
京牟礼 健人さん (きょうむれ けんと さん、以下けんにいさん)の『強み発掘リーディング』という個人セッションを受けました。

強み発掘とはカウンセリングを通して、それぞれの人が持っている強みを、わかりやすいモチーフで示してくれる、というもの。
カウンセリング、と言ってもカフェでお茶的な気軽なものでした。

当時、わたしは自分で広げた風呂敷に雁字搦めになっていて、「もうやだ!全部やめる!!」と人とのコミュニケーション全てをブロックしながら、「どうしていつもこうなっちゃうんだろう…」と孤独感の中、自信をなくしていました。
何にもやる気がなくて、怠くて。

だから、待ち合わせのカフェに行くのも正直億劫でした。行ったところでちゃんと人と会話できるかわからんし。
けど、なんか、ここだけは行っといたほうが良い気がする…と重い腰をあげたのでした。

けんにいさんは暑苦しくなく、爽やか過ぎず、適温なお兄さんでした。
しんどい気持ちでもリラックスして話が出来て、最終的にはすごくおしゃべりしていた気がする。

わたしの強みは「トライアングル」とのこと。
幼稚園や小学校でカスタネットとかと同じ分類をされる三角形の銀色のアイツです。
特徴としては自分を表現することが好き。

正直な感想は「へえ…」で、これは実は今もあんまり変わっていない。
へえ…トライアングルかあ…へえ……みたいな。

ただ、その時一緒にもらった宿題が、今とても役に立っています。
それは、「やりたい・やりたくない・できる・できない」分類ワークです。

このワークをやる事になった経緯は、トライアングルという自己表現の強み(特性、と言った方がしっくりくるかな)を持っているにも関わらず、今までわたしは結構な割合で「誰かの要求に応える」ことに重きを置いて行動していたことがカウンセリングを通して明確になったからです。

その特性と行動の相反が、心や身体の不具合に繋がっているのでは、と。

何となくは気付いてはいたのですが、けんにいさんから改めて言われてより納得。ワークの話をされた瞬間から、カウンセリング中にもかかわらず今までの出来事を頭の中で整理し始めていました。笑

ワークの内容は単純で、今までのトピックス的な出来事を「やりたい・できる」「やりたい・できない」「やりたくない・できる」「やりたくない・できない」という4つに分類すること。

セッションを終え、自宅に帰って早速ワークに取りかかりました。

やってみた直後の感想は、正直「こんなもんか」というもので、「すごくスッキリした!」ではありませんでした。
今までの整理をしてみて、分類をしてみて、何となく感じていたものを見える化して。
ふーん、そっかあ…的な。

けれど、その後から、何かやろうかなって迷ったとき、誰かに頼まれごとをしたとき、ちょっとでも違和感を感じたら「これはやりたいこと?それともできること??」と自問自答するようになりました。

何でかというと、ワークの結果「やりたくない・できる」分類がすごく多かったんですね。
特に仕事の面で多かった。

それでも今までやりたくないと感じることをやっていた理由は、それをすることで喜んでくれる人がいたからです。
わたしはその人たちと仲良くなりたくて、やりたくないことをやっていた。
誰かと仲良くなるために、要はコミュニケーションツールとしてやりたくないことをし、仲良くなる目的は達成するもしんどさを抱える、みたいな、健全な人からすればかなり歪な拗らせた事をしていました。

これ、今まで全然気付かなかったんです。
というか、ごっちゃになっていたのかな。
やりたくないけどできるし、やることで相手が喜ぶから嬉しくて、だからこれはわたしのやりたいことだ!みたいな。

仲良くなりたい、という目的に対する手段として相手に求められることをし続ける。
けれど、本来の特性と相反することなので無理をする。
そして負担がどんどん大きくなっていく。
けれど、それ以外のコミュニケーション方法がわからないから負担を感じつつもやり続けてしまう…

いや、もう、これ、変えたい!!

そんなこんなで、今はやりたくないけどできることを提供する、以外のコミュニケーション方法を少しずつ試しています。

ややこしく書いてますが、単純に嫌なもんは嫌って言うだけです。
ただ、言い慣れていないので、変につっけんどんになったり、馬鹿丁寧だったりして適度な温度感がまだ掴めません…これも練習だなあ、とスマートにできない自分を不甲斐なく思いながらもチャレンジしております。

幾つになってもいろんな学びがある。
けれど、柔軟性は年々衰えていくから。
いつまでも鍛えながら、しなやかに歳をとっていきたいなあ、と思いました。

そんな気付きのきっかけをくれた、けんにいさんの強み発掘リーディング。
新年度よりメニューが大分変わるみたいなので、ご興味ある方は覗いてみてくださいね。

◯強み発掘カウンセラーけんにいさんのブログ

カウンセリングとかセッションとか胡散臭いなって思うかも知れませんが、考え方が変わるきっかけに過ぎないし、それは胡散臭かろうがなんだろうがいいと思うんですよね。
依存するのはよくないけど、大丈夫、依存なんてさせてくれませんから。笑

脳っておもしろい!

こんばんは、さきこです。

あったかいんだか寒いんだかよくわからない陽気ですね。花粉が飛びまくっているらしく辛そうな方もお見かけします。
個人的には梅とか桜とか咲き始めててちょっとウキウキする、そんな日々です。

さて、少し前に古本屋さんで購入し、積読していた本が読み出したら面白かったのでご紹介します。

『海馬−脳は疲れない−』
発売年:2002年
https://www.amazon.co.jp/海馬-脳は疲れない-ほぼ日ブックス-池谷-裕二/dp/4255001545

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15年ほど前の本ですが、「へ〜そうなんだ!」と新しく知ることが多かったです。
きっと、今はもっと科学が進歩してわかってることも増えているんだろうなあ。
脳科学、興味があるのだけれど学術色が強くなると理解しにくいし、そこそこ根が張るので、なかなか手が出にくいんですよね。おすすめ本ご存知の方いらっしゃったら教えて欲しいです。

『海馬』の中で、特に印象に残ったのが

・頭の良さに、感情が影響する
・30歳を超えると、飛躍的に頭が良くなる可能性が高くなる

という事。ここで言う「頭の良さ」とは、情報を記憶し適切に引き出せる力が強い、事を指します。頭の回転が早い、と言い換えられるかな。


◯頭の良さに、感情が影響する

物事をどのように記憶するか判断し貯蔵する、必要な時に貯蔵した記憶を組み合わせて引き出す役目を果たすのが、本のタイトルである「海馬」です。
人間の海馬は、小指程の大きさで左右に一つずつあります。
この海馬が活発に活動すると、記憶を適切に貯蔵し、引き出す事がより素早くできるので、頭の回転が早い人になれます。
その海馬に隣接し、影響を与えるのが「扁桃体(へんとうたい)」という部分です。

扁桃体は感情を司る器官と言われています。
好き、嫌いを判断する部分。
好きなものに接すると扁桃体は活性化し、隣接する海馬に刺激を与え、海馬も活発に働きます。
嫌いは、その逆ですね。

この扁桃体は人間だけでなく、サルやネズミにもあります。
しかも、全体の脳の大きさから考えると、かなりの部分を占めるほど重要な器官だそうです。
扁桃体がないと、例えばサルは恐怖心がなくなり、天敵であるヘビに躊躇なく近づいていってしまいます。そうすると怪我をしたり、死に至る可能性が出てきます。生命の危機に晒されるのです。
逆に好き、を感じなくなると異性への興味がなくなり、種の存続が危ぶまれたりするのかな。
感情が生命存続の鍵となっているんですね。

話は少し変わりますが、わたしは今、ストレスケアセラピーのスクールと、医師による対話型のカウンセリングを受けています。
もともとは摂食障害の治療の一環だったのですが、症状が緩和してきた今は今後より良く生きる為に続けています。

以前ストレスケアの先生が「感じることは、生命なんだよ。生命はコントロールしてはいけないの」と仰っていて。
ああ、先生が言っていたのって体感的なことだけじゃなくて、科学的にも証明されていることなんだなあ、と本を読みながらすごく納得しました。

このブログでも紹介したことのある『落ち着きがないの正体』という本でも、脳科学の面から、感情をコントロール(管理)するのではなくレグ(調整)する事が大事だ、と述べられていて、自分の感情を如何に理解し、付き合っていくかを大事にする事は間違いじゃないんだなあ、と思いました。
※『落ち着きがないの正体』のレビューはこちらのエントリからどうぞ〜


◯30歳を超えると、飛躍的に頭が良くなる可能性が高くなる

海馬は脳の中で唯一成長する器官なのだそうです。
一般的に脳細胞は生まれた時点からどんどん死んでいく。ただ、普通に生きている分には、一生不足しない分量をわたし達は所持しているのだそう。脳細胞が死んでいく速度が急激に早くなった状態がアルツハイマーなのだとか。

海馬は記憶をどういった形で貯蔵するのか、と、貯蔵した記憶同士を結びつける役割があると前述しました。
この後者の「結びつける力」が30歳を超えると2のべき乗(n乗)で成長します。
今まで蓄積した情報を如何に組み合わせるか、という役割を使えば使うほど倍々になって成長する。
この成長に必要な刺激は、「新しいものに触れる」ことなのだとか。
特に空間的な移動は効果的らしく、旅行は最適なんですって。カンボジアに行って帰ってきて色々見通しがついたひとつの要因はこの海馬の働きなのかも知れません。

何故30歳なのか、は実験の結果見えたことだそうなので特に詳しい説明はありませんでした。
また、30歳以降はどんなに歳を重ねても成長の可能性はあるとのこと。歳をとったからといってそう悲観することもないのかも知れない。
ちなみに物忘れは加齢のせいではないとのこと。気になる方は是非、本をどうぞ。

こう考えると、20代までって闇雲でも色々経験する価値がすごく高いってことになりますよね。
ポジティブな感情が記憶貯蔵の活性化に繋がることも加味すると、好きだなって思う事を「意味あんのかな…」って思っても経験していくことが、30歳以降の閃きに繋がるのかも。


長くなってしまいました…ちょっと前の本ですが、対談形式だし、各章ごとにまとめもあるので読みやすいと思いますよー。

カンボジア・プノンペンにて

こんばんは、ご無沙汰しております、さきこです。
今は日本だと丁度日付を越えるあたりでしょうか。2時間の時差って微妙だけど大きいですよね。
わたしはカンボジアの首都プノンペンでトランジット待ち。この時間を使ってカンボジアでの日々をちょっとだけ言葉にしておこうと思います。

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丸々2週間、カンボジアに行ってきた。

初アジア、初カンボジア、初の海外旅行長期ステイ。初めてのことばかりで、想像がつかなくて、前日の夜、緊張でなかなか眠れなかった。

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カンボジアは、埃っぽくて、排気ガス臭くて、虫が多くて、暑くて、いろんな言語が飛び交っていて、人懐っこい人間が多くて、時に騙そうとする人もいたけれど、すごくやさしい人もいた。

日本人学生も多くて、学校建設や日本語学校のボランティアで来ている子も多い。教育関係の海外支援の場として、国の成り立ち的にカンボジアは人気なのだそうだ。

植物の生命力がすごくて背の高い木が多い。人間も動物も家族でいるところをよく見かけた。

発展途上国で貧困で、という所謂カンボジアイメージのエリアもきっとあるのだろうけれど、わたしが感じたカンボジアは、若くて適当にたくましく日々を生きているものたちが集まる場所だった。


何度か海外に行ったことはあったけれど、今回初めて世界って繋がっているんだなあって感じた。
日本に近い文化の国が初めてだったからなのか、やっといろいろ感じられる年齢になったからなのかはわからないけど。
世界って広いな、というありきたりなことを初めてちゃんと実感した。


カンボジアの人たちは大人も子どもも男も女もよく笑って、よく働いていた。
だから、自然に帰ったらわたしも働こうって思った。やりがいとか、別になくてもいいから、とりあえず働こう。


やりたいことも見つけた。
いつでも、今みたいに、広い気持ちでいながら生きていきたい。縮こまって苦しくなるのはもう嫌だなあ。同じ様にしんどくなりがちな人たちの何か手助けが出来たらよりいいなあ。


日本に帰って、また自分が作る枠に苦しくならないかな、と不安にも思う。だから、帰るのが正直なところちょっと怖い。
けど、カンボジア来る時も怖かったし。
変化の時はいつだってちょっと怖いものなのだろう。
それにダメだったら、またちょっとだけ頑張ってお金を貯めてカンボジアに逃げればいいや。
日本だけじゃない、広く逃げ場所があると思えたから、いろんな人がいるって感じられたから、多分きっと大丈夫だ。
そんな事を思った。


日本はもう、春なのかな。
わたしも、また、そろそろと動き出します。
徐々に、徐々に。
ひとつひとつ、丁寧に感じながら。

いつもと違うと

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いつもと違うと、ちょっと不便。


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いつもと違うと、ちょっと綺麗。


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いつもと違うと、ちょっとたのしい。


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いつもと違うと、ちょっとさみしい。


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いつもと違うと、ちょっと怖い。


いつもと違うと、いつもの風景がちょっとだけ違って見えて刺激になる。


けれど、私の「いつもと違う」は誰かの「いつも」だったりする。


住んでいる場所やライフスタイルによって「いつも」って変わる。


違う人の「いつも」に触れた時、いろんな発見がある。助けてもらえたりもする。


私の「いつも」を「いつもと違う」って感じる人に出会った時、手を差し伸べたり出来たりする。


雪みたいに見えるものだけでなくて、見えないものでもそうだ。


誰かの、私と異なる「いつも」が、いつだって私の刺激となっていろんな感情が生まれて、嬉しくなって行動したり、悲しくなって立ち止まったり。


だけど、刺激があるから面白いし、刺激があるからもうちょっと生きてみようって思う。


こきゅっ、こきゅっと雪を踏みしめながらほろ酔い気分でそんな事を感じた。


でも、明日はいつも通りに電車動いてほしいなー。笑

自分との信頼関係を築く

こんばんは、さきこです。

昨日今日と感情のアップダウンが激しくてしんどい。
今日は人に会えなくて、引きこもってこちらを完成させてました。

◯プレイバック・シアターロゴmovie

昨日、いろんな人に会って、SNSでやり取りをして、すごい笑ったし、すごい喋ったし、嫌な気持ちにもなったし、恥ずかしい気持ちにもなったし、期待外れなこともあったしで、今朝めっちゃ疲れてて、まあ、そんだけ感情揺れ動いたら仕方ないかなって思いました。
朝ごはんをぼーっとしながら食べて、食べすぎて、気持ち悪くて、でもまだ食べたい衝動があって、まあ、それも仕方ないかなって。
昨日頑張ったもんね、最近なかったもんね、いいよ、いいよ、みたいな気持ちでお菓子とか菓子パンとかおにぎりとか買いに行ったんですね。

お買い物の帰り道に、「で、何が嫌だったのかな?」と自問自答したんです。何に疲れちゃったの?と。内省しないと同じことを繰り返すことになるので。

その時に、ふと、思ったんですよね。
ああ、そっか、傷付いたんだねって。

嫌な感情になった時、私は反射的に相手を攻撃しようしたり、次の一手を具体的に考えます。
原因に対してすぐに対策を考えちゃう。
PDCAサイクルを回したくなる。笑

仕事だったらそれでいいんですよね。
むしろ超優秀ですよね。
なので結構仕事できるんですよ、私。笑

けど、心はついていけないんです。
事象に対する次の一手は、事象を動かすためには必要だけど、そこに私の心はないんです。事象の為なんです、全部。
心は置いてけぼりなんです。

なるほど、だから、気付くといつもどんどんズレていくのか…!
そのズレのバランスを取るために食べ物に走っていたんだ…!!と、発見。

実際に、そっかあ…傷付いたんだね。と思った瞬間、食べたい気持ちがなくなるっていう。笑
いや、これ、ほんとで、買ったもの全部食べなかったんですよ。
すごい機能ついてるな、私って思った。

何か困難にぶつかった時、どうしたらいいかなって対策を考えることは悪いことじゃない。むしろ大事なことだと思う。
けど、心を置いてけぼりにしちゃダメだなって改めて思った。
大人の私(行動)だけじゃなくて、子どもの私(心)も一緒に連れて行きたい。

とはいえ、生き方の癖みたいなものは身についてしまっているので、しばらく自分の為に時間をたっぷりと取って丁寧にやっていきたいな、と。

だから、今年の抱負は、
「自分との信頼関係を築く」

仕事とか結婚とか事象が気になるけど、事象ではなく心に目を向ける一年にしようと思います。
引きこもるって意味でなくね。
むしろ人によってはガンガン関わっていくので。笑
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

違うけど、おなじ

こんばんは、さきこです。

ここ数日、調子が悪く、予定が詰まっていたので誤魔化しながらやっていたのですが、やっぱダメだったみたいで今日はシャットダウンしてしまいました。

予定をごめんなさいをして、録画していたスイッチインタビューを見ていたら、込み上げてくるものがあり、めっちゃ泣いた。

最近、いろんな人の話、特に働き方とか生き方とか、を聞く機会が多くて。
とても楽しくて貴重な時間を頂いているなあ、と感じます。
それと同時に、他者の人生を聞くことが自分にとって価値あるものなのは何故なのか、と考える時間が増えています。
それは、個人的な趣味というよりかは必要にかられてなんだけど。

とは言え、全ての人の話を楽しく聞けるわけじゃない。人と会うのは好きだけど、この人好きだなって思う人もいればそうでない人も勿論いる。

私はどんな人の話が好きなんだろう。
ぼんやりとずっとあった問いに、何かに挑戦している(していた)人の話が好きなのかもなあ、と今日思った。

冒頭のスイッチインタビューはいとうせいこうさんと神田松之丞さんの回で。
松之丞さんは30代の講談師の方で、講談を知らない人たちに向けて、講談って面白いよ、といろんな試みをしているらしい。
先日お会いした職人さんは、何もないところから効率を考えてフロック加工という技術をオートメーション化した方だったし、療育について考え実践し続けている方にもお会いする機会を頂いた。
そういう、形として見えないものに挑戦している人たちに会うと、エネルギーの種みたいなものをもらえる気がする。

以前、そんなような話をしていた時に「僕は頑張っている人を見て、自分も頑張ろう!って思わない」と言われたことがあった。
矛盾しているようだけど、私もそう思う。
頑張っている人もいるんだから私も頑張ろう!って感じじゃなくて、挑戦と頑張るは同じようで違う、というか、なんというか。
その辺りがうまく言語化できずにいた。

で、今日、唐突に思った。
「差異の中にある“おなじ”を見つけた時、励みになる」という事。

私は完璧主義で、理想論者でせっかちだと思う。
イメージにある最善の形を実現できない自分を不甲斐なく思うし、口先ばかりになるのが嫌だし、すぐに目に見える形として実現できないような考えや思いは口にしたくないと思っていた、最近までずっと。

口先ばかりでも思ったことをちゃんと言えるようになったのはここ最近で、それは私自身がそういう自分を認められるようになったからだと思う。

矛盾していてもいいよね、って。

そうして口に出して、出し続けていたら「こういうイベントがあるよ」「こういう人がいるよ」って教えてくれる人が出てきた。
「その考え方、素敵だから一緒にこういうのしない?」と言ってくれる人までいる。そして何だか忙しかったりする。

口に出す前は、そんなことしたら非難されるだけだって思っていた。実際に非難まではいかないけど、それまでの人間関係では肯定されることはほとんどなかった。

私は私の理想とする形を目指して生きているんだと思う、明確に言語化はできないんだけど。
コミュニティなのか、ライフスタイルなのか、よくわからないけど、目には見えない、けど、何か素敵なもの。

「余裕」とか「やさしく」とか「あったかく」とか、そういうのが要素としてあって、今はまだ集めているところで全体像が摑めずにいる。

こっちの方向で何となく正しそうだ、と思っていても、やっぱり戸惑うことがある。迷子な気持ちになる時がある。

そんな時に、違う事柄であっても見えない何かに挑戦している人たちがいて、その人たちの言葉の中に、生き方の中に“おなじ”を見つけると嬉しくなる。
あ、大丈夫、正しいって思える。
灯台のようなものなのかも知れない。

そんなことを思いながら鎌倉〜江ノ島間をお散歩した2時間弱。
右足の土踏まず辺りの調子がおかしい。

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稲村ヶ崎からの夕焼け。サンセットには間に合わず、残念)

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三月のライオン事件

こんばんは、さきこです。

今日のブログ、その場の感情で書いていて、もう気持ちはすっかり落ち着いているのですが、せっかくなのであげます。(ごめんね、気を悪くしないでね)

さて、みなさんはアニメ見ますか?
わたしはオタクではないけれど、毎クールいくつかピックアップして録画して見るくらいには好きです。
ストーリーも、もちろん大事なのですがキャラクター動きが丁寧に描写されていたり(ハイキュー!のジャンプ前のグッと踏み込むとことか超好き)、背景の描き込み具合とか(新海誠が雲を描くとき上空の風速とか温度を考えて描くって言ってたのとかマジ素敵)、音楽と映像のマッチングとか(細田守作品はエンドロールの曲まで見切って完結だと思う。バケモノの子以外)、その辺りにこだわりを感じる作品が好きです。

ここ最近では、三月のライオンのオープニング(以下op)、エンディング(以下ed)が好きで、そこだけ何度も観たりしています。暇人です。
で、年末年始を挟んでクールが変わり、op、edが変わったんですね。

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(ちなみに文部科学省とコラボしていじめ防止取組の普及もしているらしい)

前のクールのopがすごい好きだったもので、これはもう保存版にしよう!とハードディスクのリモコンでコマ送りしてop部分だけ切り取って大事に取っておいたんですね、DVDに焼こうと思って。
それをですね、家族に消されまして。

いやあ、もう、ほんと腹立った!
アラサーだけど、たった1分半のアニメだけど!
文字にすると幼稚さ半端ないけど!!笑

でも、消された事実を知った時よりもむしろ、その後の家族の対応により腹が立ったんです。
ちゃんと謝ってもらえなかったので。
正確に言うと、“わたしがちゃんと謝ってもらったと思えなかった”ので。

いや、確かにね、消された衝撃から声も荒立ったし、動作も攻撃的になっていたとは思う(対物です。対人ではない)。
そこはわたしが悪い。けどさ。
言い訳とかじゃなくて、ちゃんと謝って欲しかったんだよね、わたしは。
いや、謝ってたのかもしれないけど、わたしに伝わってなかったの。

で、もうイライラするし、そもそもアニメ消されたとかで怒る年齢でもないし、そんな自分がふがいないやで出掛けてたんですけど。
いろいろ収まりつかなくて音楽聴きながらちょい早足で歩いていて、ふと、ね、改めて気付いたんです。

そうか、謝って欲しかったのか、と。
そうだよね、リモコンでカチカチ編集したやつ消されてそれを半笑い(に見えた)で謝られて腹立ったんだよね、かなしかったんだよね、と初めて自覚した。

今まで、こういう怒りってあんまり自覚したことがなかった。限界まで我慢をして、振り切れるところまでいって訳わかんなくなるのが常だった。小さな怒りには鈍感になってた。
今までだったら、腹立つ!もう知らん!!と家を出てブログに愚痴るのではなく、過食嘔吐に走ってた。
ああ、ちゃんと怒ることができるようになってる〜とちょっと嬉しくなった。
怒るの表現方法はまだ改善の余地ありだけど。

けど、こうして考えると、子どもってこうだよね。
腹立った!って暴言吐いて暴れて親に怒られて。
わたしの怒り表現レベルはまだ小さい子と同じなのだと思う。(因みに悲しい表現レベルも同じで暴れて泣きます。迷惑w)

で、感情の渦中の身から言わせてもらうと、昂ぶってる時にあれやこれや言われると、言葉の裏まで考えられなくて全部自分が責められている気になります。
感情を持つこと自体がダメって言われている気になる。ここに今までずっとわたしは囚われていました。

でも、感情を持つことはダメなことではないよね。
だって怒りとか悲しみとかあるから前に進めたり優しくなれたりするもの。(ピクサーでそんな映画あったな)
だから、まずは「そうだね」って受け止めて欲しい。

けど、これってかなり難しい。
親だって人間だし、近しい人間だからこそ互いに素直になれないものだ。
(話せるんだったらわたしだってこんなとこに愚痴らない)
そんな時にね、第三者がいるっていいなあって思う。収まりがつかない時間に付き合ってくれて、元気になった?って聞いてくれる相手がいるのは、すごく有り難くて最強のライフラインだと思う。
そういうのを、みんないくつも持ち合えたらいいよね。

それが、岡田哲也さんが提唱している「地球家族」なのかもしれないし、Chiaki Yoshihiroさんが始めた「お父さんバンク」なのかもしれないし、かっくん(井上和享さん)がやってる「プレイバック・シアター」の見守り役(観客)なのかもしれないし。

ひとりじゃしんどいから、子どもも、大人も、独身でも、既婚でも、障害を持っていても、疾患があっても、普通の人も、みんな少しずつ甘えあえたらいいよね。

そんな事を思った三月のライオン事件。
ちなみに今クールのop、edもとても美しいです!
さすがシャフト!さすがNHK!!
是非見てください〜そしてこの気持ちを分かち合おう〜。